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英語教育産業の端っこであがき続けるために大事だと思う3つのこと

まさか、この業界に20年もいることになるとは想像だにしないうちに、20年も経っている。
ガシガシと計画を立てて自ら創り上げるキャリアもカッコイイけど、流されるままに出来上がるキャリアも悪くないなと思う今日この頃。(自分を正当化しているだけかもしれないけれど。)

せっかくなので、まとめてみよう、この業界でやっていく私の覚悟。

1. できることを、できる範囲で、やる。

例えば自分の商品である英語力をキープし、伸ばすこともそれだ。ぶっちゃけ「自分の英語力を磨く暇がない」と言う先生もいる。

厳しいことを言うようだけれど、それでは絶対にダメだと思う。ネイティブであっても同様。『ただ喋れるだけ』の人や『過去にがんばって培った下地でやってるだけ』の人は、プロとしての魅力に欠ける。

でも、がむしゃらに寝る暇を惜しんで勉強しなければならない人も、プロとしての魅力が低い。

まず、できることをできる範囲でちゃんとやる。
この最低限の覚悟なくしてプロを名乗ってはならないのではないか?

同志のみなさんも、人に教えることができると自負するから、英語を教える仕事に就いたんだと思う。そして実際に教えてみると、最初は特に、自分の至らなさに気づく機会が想像以上に多かったであろう。ただ、慣れてくると、その機会をやり過ごせるようになってしまう。

そこからが勝負だと思う。

自分の力不足を誤魔化す能力は、プロに必要な力の1つだと思う。でも、その能力に頼り切って、仕事し続けるのはいかなるものか?

「できること」は「今できていること」だけでなく「できるかもしれないこと」も含む。自分の商品力を上げるためにできること。それが何か、思いつくことがあれば、やってみる。どうすればできるか、いつやるべきか、などと考える暇があったら、とりあえずやってみる。

仕事に慣れてきたらプロと名乗る覚悟を持ちたい。そして、英語のプロを名乗るなら、自身の英語力を伸ばし続けるしかない。逆に、その道のプロを名乗れないのであれば、転職したほうがいいと思う。仕事のチョイスは人の数だけあるから。

英語や英会話を人から習っている方がこれを読んでくださっているなら、ぜひとも、その先生が「ちゃんと自身の英語力を伸ばす努力をしているか」、「がむしゃらにし過ぎていないか」は確認していただきたい。


2. Creative + hopeful なスタンスを崩さない。

会社や組織の中でやっていると、越えられない(と感じる)しがらみがある。でも、それを乗り越えられたら、すごいことが起こる。と分かっていつつ、諸々の事情で挑戦を躊躇する。
でもさ、それってさ、もったいなくないか⁈

あなたが気づいていて見過ごしている。という事実がもったいない。

と言う自分も、20年間を振り返ると、気づいていたけれど見過ごした案件だらけだ…。実にもったいない。(と書きつつ、でもね…!と、できなかった理由があふれ出る。)

これからは、『あかんかもしれんけど』という前置きを使い倒す人間でいようと思う。Trial and error が人を成長させるからね。がんばろう。


3. 自分を信じると書いて「自信」と読む。

これも研修等で乱用してきたくだりだ。28歳くらいのときに、「自信」という漢字を眺めていて、ふと「自信がある人=自分を信じてあげられている人なんちゃうか?」という結論に至った。

さらに、例えば親御さんや家族、友達、恋人、上司、同僚、部下、先輩、後輩…。みんな、きっと、いつかは、自分を好きでいてくれる誰かが周りにいた。今もいるであろう。「私なんか」と考える前に、その周りの人たちがいてくれるというありがたいギフトをちゃんと受け取るべきだと思う。そして、がんばって自分を信じてあげてほしい。

同時に、自分を信じ続けるためには根拠が必要だ。

だから、人は挑戦するんだろうと思う。オトナも子どもも、挑戦しているときの表情はキラキラだ。そして、自分で自分を認められた瞬間の顔は格別!

例えば、リスニングの問題の答え合わせのとき。または、さっき出てきたポイントを今使えばいいと気づいたとき。

オトナも子どもも、『ドヤ顔』をする。

教育現場で「自信」や「自己肯定感」が話題にのぼることは、どうだろう、年間で1000回はあるのではないか?

誰かについて、自信がない、自己肯定感が低いと思うのであれば、考えてみてほしい。最後に自分が、その人(その子)のドヤ顔を引き出したのはいつだったか。


どんな情報でもインターネットにお願いすればすぐに得られる現代だ。「教える」仕事について、従来通りのポジショニングだと思っていたら、ヤバい。きっと、教えられてくれる相手がいない状態になる。

私は「教えさせてもらっている」という感覚を忘れたくない。そして、相手が生まれたての赤ちゃんでない限り、言語なんて教わるものではないと思っている。

もっと極論をいうと、物心がつけば、自分の教育は自分でできる。

ただ、勇気、挑戦、発見、歓喜、陽気、好奇心、悔しさ、根気が必須条件となる。先生の仕事は、それらのサイドディッシュがほどよく常備されているかを確認することなんじゃないか?というのが私の意見だ。

「教育に gamification を!」と叫びたい。


「教える」のは、いたって厳しく難しい職種だ。何を教えるにしても同じだけの厳しさと大変さ、難しさがある。でもだからこそ、半端なくオモロい。

私は《 英語を教える先生たちのための英語屋 》として、【 21世紀の日本での英語の教授のかたち 】を、先生たちと一緒に創っていきたい。

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