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子ども時代は「自分」、出せましたか?

娘の心の拠り所、山形県飯豊町のひらすび牧場の写真をよく眺められるようにPCの壁紙にしています。

娘が学校に行かなくなって四か月近くになりました。
行かない理由はさまざまありますが
「みんなに合わせるのが当たり前」
という空気に耐えられない子どもが一定数いる。
娘はその1人なんだと感じる日々です。

私は佐渡ヶ島出身です。島のなかでもさらに「僻地指定」されている地域の小学校に通っていました。

もう統合して学校自体はなくなっちゃったけど、総合学習のはしりで、地域の伝統芸能「歌舞伎」を子どもたちがやるので少し知られた小学校で、練習や発表会には多くの先生が本土から見学にいらっしゃってました。
歌舞伎メイクばっちりして隈取りされた顔の私たちが雑誌に載ってたこともあったな。
大人になって、新潟で教師として働き始めた頃、出身小学校を言うと「子ども歌舞伎の学校だ!見に行ったことあるよ」って多くの校長先生、教頭先生から言ってもらってびっくりしたのも懐かしい思い出です。

私たちの小学校は、3年生から複式学級でした。
複式学級とは、2学年が同じ学級にいて、たとえば算数なら、前の黒板で3年の算数、後ろの黒板で4年の算数をやってる感じ。社会と理科は、三、四年の内容を交互にやってたように記憶してます。
算数、国語は先生が最初の10分を3年生に説明したら4年生の方にいくんです。その間言われた問題に取り組んだり、取り組まなかったり…。

つまり授業中にもにぎやかで、先生や友達とやりとりしながら授業を受けるのが普通のことでした。

先生の説明の最中にも「わからーん」「どうやってやるのー」とかみんな平気で口を出していたものです。
「心折れるからやめてくれ」と若い担任の先生が言っていたのが忘れられない。

ひとつだけフォローさせてもらうと、中3までALTの先生から「元気でめっちゃやりやすい」と必ず褒めてもらえた私たちでした。外国人受けは抜群👍

娘が学校に行かなくなって、
「学校にいると、いろはすの桃味ぐらい自分が薄くなる感じがするの」という名言を吐いたことがあって(ほんのり香る程度ってことでしょうか。)
そのときに、私はその感じ、小学校・中学校の頃感じたことなかった!って思った。
「ごめん、ママはその気持ち、ほんとうには分かってなかったわ」と謝りました。
親子間でカルチャーショックでした。

それで妹にも「子どもの頃、自分が出せない気持ちしたことある?」と聞いたら「ない‼️」と即答してたから、そうだよなーと思ったものです。

窮屈な思いをどうしても受け入れられない子どもは一定数存在していて、そんな子たちには無理をさせなくてもいいと思うのです。
娘は今、2つの居場所を見つけ、同年代の子どもや、ずっと歳上の先輩たち、見守ってくれる大人の方々から、すごい刺激を受けている。
無理して学校に行っていた頃は硬かった表情もすっかり和らぎました。
子どもらしくいきいきとして、毎日、通ってる居場所のことをたくさん話してくれます。

迷っているお母さんに届くといいな。

ちなみに最近
「いろはす桃味のほんのりな自分から、今は何%の自分になった?」と聞いてみたところ
「95%! のこり5%は、ぐでたま!」
と言ってました😆

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