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電動車椅子が初めて私の元へやって来た日。

電動車椅子を使い始めて約20年。

それまでは手動の車椅子を使用していた。
通学も、学校の中も手動車椅子。
自分の腕力は幼児並みで漕ぎ続ける力も体力もなく、常に親やクラスメイトに押してもらう状態だった。
自分一人で自由に移動できる日が来るなんて
思いもよらなかった。

新しい車椅子を作ってもらおう!までは聞いていた記憶があって、
私の体のサイズ上、オーダーメイドになるので
身体障害者情報センター的なところに連れていかれ、
寸法測られたり、色々質問されたり、動かしてみてくださいと言われたりみたいなのがあった。
わけも分からず言われるがままに答えた記憶がある。
今思うと、あれは適応審査も込みだったんだろう。
そして車椅子の布の柄、タイヤの外側のカバーの柄を選んだ。(タイヤに手が挟まないようにするプラッチックのカバー)
赤チェック柄の布に、カバーは黄色背景にミッキーがついているのにした。

そうして完全にその事もすっかり忘れていた、中1〜2のある日のこと。

電動車椅子が私のもとへやってきた!!
その時は確か学校にいて、放課後の学校の外で業者の人が持ってきてくれてのお披露目だった。
凄くびっくりして嬉しかったのを覚えている。
やばい、一人で自由に動ける。好きな所へ行ける。これで車椅子押してって頼まなくてもよくなる。
本当に嬉しかった。

嬉しすぎて、動かしまくってはしゃいでいたら
当時話したことない隣のクラスのイケメンくんから
「おぉすげぇ!かっこいいじゃん!!」と
目を輝かせながら言ってくれたのを何故か今でも強く覚えている。
話したことなかったから、びっくりして印象に残ったんだと思う(笑)
まあ、いい人止まりのイケメンくんだったので恋とかは特にない。ただまじで良いやつ。

話を戻そう。

勿論、使い始めたばかりで慣れていないので
道路で一人での移動は、親から許可が降りるまでしばらく出来なかった。

体育の時のグラウンド内や、
親に付き添ってもらいながら道路でも動かす練習した記憶がある。半年くらいかなあ。

中3になったら、
少しずつ一人で電動車椅子で登下校できるようになって、下校時は、あやごんの名付け親でもある親友と帰り始めたりしたような。
曖昧な記憶だけども(笑)

高校では、完全に一人で電動車椅子で
地下鉄に乗って通学できるようになっていたし、
プライベートでも電動車椅子をブンブン乗り回して遊んでいた。
その頃は、中学時代の親友と
ほぼ毎週土曜、近所のマックに行って
自分の高校の愚痴を聞いてもらっていた気がする(高校時代は、そんなにいい思い出ではなかった。友達はいたけどね)

今となっては、電動車椅子が私の足のようなもんだ。初代のはぶっ壊れて、今二代目だが、二代目もやっぱり全く同じ赤チェックの柄にした。
いつも乗っている相棒だもの。いつもの柄がしっくり来て落ち着くのだ。
さすがにもう大人なので、タイヤカバーはもう付けずミッキーは卒業したけど(笑)

初代よりも、座高も高くなりスピードもだいぶ速くなって、最高な相棒である。


これからもよろしくな、相棒。



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