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AFKアリーナ を辞めた理由。いまのゲームは感動がない。

2020年10月、Appストアで偶然見つけて始めたゲーム。
当時は課金など考えずに遊んでいた。

しかし、1ヶ月以上が経過してから「課金すれば良かった」と後悔した。
始めたばかりのユーザーは、課金すると大量にダイヤが貰えるのだ。そこで、iPhoneのデータと並行してiPadでも始めた。すぐにお金を入れて、あっという間に1ヶ月前に始めた本垢を越した。

このゲームはオート機能があって、アプリを落としていても自動的にアイテムを見つけてくれるのだ。それが有難く、なかなか助かる機能だった。

更には、これはあまりオススメしないがチャット機能があった。そこは既に派閥が生まれており、シンプルに強い者が権限を持っていた。そこにいる、比較的緩やかなギルドの人たちから誘われ入った私は楽しく活動していた。INしない期間が続いても脱退されることは少ない。置いてくれているという事に恩を感じていた。

オススメしないことはもう1つある。アイコンにリアルの顔写真を使える事だった。顔写真を使っている女の子も多かった。その流れから、私も顔アイコンを使うようになっていた。今なら思うが、ゲームに顔写真は必要ない。ぼかしたり隠しているならともかく。

名前もほかにいるようなものでは無いため、顔とセットで覚えられていたりもした。

しかし、このゲームは荒野行動並に、もしかしたらそれ以上にお金の要素の強い課金ゲームだった。

イベントがあると、たまにプレイヤーからプレイヤーへイベントアイテムをプレゼントできるというものがある。上位になった数名に動くフレームが配られる。

要は、貢がれた分だけ上にいける、キャバクラみたいなシステムだった。

それがあると、こぞってワールドチャットに上を目指しているから送ってくれという文字で溢れた。私は動かなくても少し豪華なフレームが欲しくてお願いした。送ってくれた方の名前が表示されるので、お礼をしに行ったりもした。

でも、人気な人は何十万、何百万と貰っていた。
その人とは友達だったから、応援していると伝えたけれど、あんまりいい気はしなかった。イベントがある度に、自分には人権がないのだと思うようになっていた。

誰かと競わないといけないので、競争心がある人は楽しいゲームだと思う。けれど、私は1年ほどして「疲れた」と感じる事がとても増えた。

課金は勿論、自分の意思でしていたけれどそれも辛くなっていた。この時もまた「あれ、私なんでこのゲームしているんだっけ?」と考えた。

課金したからこそ早く進めて強くはなるけれど、人と密接に関わるものは、時には疲弊してしまうのだなと思った。血の気の多い人も多く、それをチャット機能として見る行為もどんどん疲れるものになっていた。

楽しむためのゲームで疲れ、不安になるなんておかしいと思うことが出来た。

比例して、人と人とが関わるゲームは長く続きやすいのは間違いない。ランキングがあったり、競わせる事でお金を払ってもらえれば運営は助かるのだから。

でも、お金も心も余裕を作っておかないと、楽しむことすら難しい。

AFK アリーナは、日本のゲームじゃない。アメリカだ。
だからこそ、新しいと思えた。デザインも不思議なテイストも多く引き込まれた。

考察や攻略を読みながらアイテムをゲットするのも楽しかった。

でも、目的がないとも言えた。
章をクリアしてダイヤがもらえて強くなれても、終わりがない。どんどん追加される。追いつくことも出来ない。

今のゲームはほぼ8~9割、目的のないものだと思う。
デレステならアイドルが歌うので、曲とアイドルさえいれば運営が可能だ。どうぶつの森なら、人が森や無人島で暮らして、クリエイターとして活動するものなので「課金する人がいる」を抜けば「終わり」はある意味ない。

昔のゲームは、「始まり」があると、こういう事があったから、こうして欲しいという「目的」を与え、「終わり」に向かって進められるようにできていた。

その過程のストーリーが強いものほど、終わった時に感動して泣いたものだ。今のゲームは、そういう感動を与えられるものが本当に少ないと思う。

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