わたしの梅雨明け

今週から、日本列島は続々と梅雨明けしていますね。

このnoteの更新は、前回から2ヶ月が経ってしまいました(この文言はこの回で終わりにしたい)が、
私が100歳まで生きたとして、
「100歳になってもこの2ヶ月のことは振り返るなぁ〜」というぐらい、重くて濃かったです。
例えるなら、絵の具を混ぜ過ぎて名前の無い色の日々(題名のない音楽会みたいな)でした。


人生の梅雨時


主治医が見つからない病院通いが続き、色々あってやっと転院できたと思った日に10年以上飼っていた犬が亡くなり、
どこを切り取っても真っ黒い雲に覆われていた。
「人生の梅雨」って感じの毎日。
いや、もはや、一生梅雨明けしないんじゃないかと不安でいっぱいでした。

そして私はこの2ヶ月間で、不思議な体験をしました。


自分の感情が分からない日々

不思議な体験とは、今まで好きだったモノが全く好きじゃなくなって、全部が嘘に思えてしまったこと。
好きなラジオ、ドラマ、テレビ番組、映画、本、コラムなどゞ、世の中に溢れている言葉全てが嘘に感じられて「この人、本当にそう思って言ってるのかな?書いてるのかな?誰かに遠慮してるのかな?これを書いた人は、自分の体裁を気にしてるのかな?これを喋っている人は自分を演じているのかな?」と、嘘しか感じられなかった。
ギリギリで仕事は出来たけど、何に対しても心が動かなかった。

どんなにツラくても「悲しい」「寂しい」などの気持ちを見つけてられているなら、まだ自分の感情が分かっている状態なので対処の方法が分かるけど、
そういう感情が全く無くなってしまった。
何に対しても、特に何も感じない。
自分の感情が分からないから、言葉も何も浮かばない。
私は色んな創作をしたくて色々書いていたのに、「あれって、何だったんだろう…?」とも考えていた。
この期間に応募締め切りの脚本のコンクールがあったけど、プロットで止まってしまった。「こんなの嘘を書いてるだけじゃん」と思えて仕方なかった。自分の心に何も響かないのに、それが他人に響く訳がない。


梅雨明けの気配


でも、その中でも「これは書かなきゃ絶対に後悔するし、これを書き上げなかったら立ち直るのにさらに時間がかかるぞ」と思い、
締切の数時間前に布団から起きて、ずっと頭の中にあった言葉の断片を紡いで書いてギリギリで応募したエッセーの原稿が、後日連絡があり、入賞したのは嬉しかった。
「諦めなくてよかったな」と思ったし、誰に何を言われたとしても、世の中に理解者が1人も居なくても、
「自分で自分の可能性を無くすことが1番ダメだな」と、強く感じた。

人生の梅雨明け

そして私は今、また創作を始めました。
それは「作家は嘘を書く仕事」だと思えたから。
創作の中で「嘘」と「本当」のどっちかしかなくて、そのまま終わるモノはない。
嘘の中に、少しの本当がある。
そこの塩梅が上手いのが作家なんだと思う。

それに、人は生きていると、誰かの嘘の世界に浸りたい時がある。おもいっきり誰かの嘘に乗っかって、自分が自分を生きていることから離れたい時がある。

私もその嘘に乗っかりたい一人であるし、私の”嘘の塩梅“に誰かを乗っけたい。
それに、やっぱり好きなモノは好きだから。

嘘の塩梅に気付いて、その中に夏の日差しのような暑くて熱い太陽が顔を出したから、
これにて、わたしの梅雨明け宣言とします。

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