利き手じゃない手でひたすらご飯を食べている。
「Booさんってさ、あれでしょ。利き手じゃない手でご飯食べているような感覚で仕事しているでしょ」
2年前、文系の私がマーケティングの部にいた時、当時の部長に面談で言われた言葉だ。
小さい頃から絵を描いたり、物語を考えたり、自分の想いをカタチにすることが大好きだった。
小学生の頃は家に帰るとひたすら漫画を描いていた。
小学校の頃は夏休みに出した県の絵本コンクールで佳作をとった。
大学のときは、自分が興味を持ったテーマを突き詰め、フリーペーパーを作った。
自分が感じたこと、面白いと思ったことをまとめて、人に伝えることが好きだった。
「自分が素敵だなと思ったことを多くの人に伝え共感してもらいたい」
自分がいいと思った商品のいいところを生活者に伝えることができればと想い、メディア系の会社に就職した。
しかし、初期配属はデータをもとにロジックを組み立てるマーケティング部。
自分が直感的にいいなと思ったことを発言するとひたすら理詰めされる。
性に合わない。
気がついたら、自分の良いところである「楽しい」「面白い」と思う直感が鈍り、なくなってしまった。
合わない作業をひたすらするので、もちろん仕事は上手くいかず、先輩たちには見放される。
そんな中、面談で部長と話をし、自分の今までやってきたことを語った。
漫画を描いてたこと、アートを観るのがすごく好きなこと、ドラマや映画が好きなこと、楽しいことを妄想するのが好きなこと。
そこで、部長が冒頭に書いた言葉を言ったのだ。
その言葉を聞いた瞬間、その言葉は私の腹の奥底まで落ちた。「腹落ちする」ってもしかしてこういうコト?
私のずっと抱えていたモヤモヤを見事に部長が言語化してくれた。
そうか、今まで私は利き手じゃない方の手でご飯を食べていたのか。そりゃ上手くいかないはず。
自分がバカすぎてダメなやつだと思っていたけれど、それは仕方ないことだよなと思って前向きな気持ちになった。とっても救われた。自分がちょっと好きになった。
その言葉を受けた直後、私は営業に異動になる。
マーケティングとは全然違く、最初は楽しかった。芸能人に会えるし。自分が関わった案件が世に出ていくところで
しかし、最近は辛い。
ここはここで、常に相手のことを考えなければいけない。
「相手が喜ぶためには?」「相手のためになるには?」
そこには、「私」の意志はない。
私がやりたいことをやるのではなく、相手がやりたいことをやるのだ。
気持ち悪く思うかもしれないが、私はどうしても自分中心に考えてしまう。
どうしても客観的に物事を見ることができない。
自分が好きなものには、なかなか夢中になれない。すんごくすんごく覚めた感情で人にも仕事にも接してしまう。
「あんたはこれやりたいんでしょ?やりますよ、ハイハイ。でも結果悪くてもあんたの責任だからね」
そう思うのはすごくダメだと分かってはいるのだけれど、体が動かない、心が動かない。
半年前に渋谷の占い師に言われた。
「あなたは職人気質だから企画だけ考えることに特化している。」
その言葉が頭の中をぐるぐるしている。
私はやりたい、向いているのはこれじゃない。
何がぎこちわるい。上手く体が動かない毎日だ。
その度に部長の言葉を思い出す。
「利き手じゃない手でご飯を食べている感覚でしょ」
私はあと何年、利き手じゃない手でご飯を食べ続けなければいけないんだろう。
日曜日、自分が担当している商品が出てくる物語を考えようと思って、久しぶりに紙とペンをとった。
出てくる登場人物をラフに描きながら頭の中で物語を膨らませてみた。その時、心の中から何かが湧き上がった。ゾクゾクする。
走り始めて3キロくらいになって、頭の中が真っ白になって、どこまでもいけそうになるあの感じ。
これがやりたいことなのかな。
利き手でご飯が食べられる場所らどこなのか。
これからも探し続けたい。