友だちのかっこいい姿を見たいから
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友だちが9人フルマラソンに挑戦した。
友だちはいい言葉だ。
どんな関係性も前向きに包みこむ。
わたしは運動が得意ではない。
でも当事者でいたいから、それならば彼らに最高の舞台を作ろうと思いマネージメントに徹した。
あるときは合同練習、それに休息の場所。発信し、応援を募り、仲間を集めた。
11月に出場を決め、そこから3月までの数ヶ月間。なんの組織でもないわたしたちがひとつの目標を目指すことは特別ななにかを感じさせたし高揚した。
迎えた当日。
円陣を組み喝を入れるなんてことは、しなかった。
じゃあ行ってくるね、いってきますといつも通りに手を振り、
スタートに遅れそうな友だちには、ほらほら遅れるよ、荷物預かるからいってらっしゃい、と送り出した。
スタートを見送り、そのあとは応援する仲間が車を出してくれたのでGPSを見ながら15km地点で、通過する友だちを見守った。
いま何kmと、LINEしてくる余裕を見せる姿もあり、自由に楽しんでいて面白かった。応援は力だ。こちらに気づくと、苦しそうな顔がぱっと輝き、加速する。
その後は再びスタート地点に戻り、ゴールに向かう友だちを待った。
そのころには気づけば応援する仲間が10人以上にもなっていた。
マラソン経験がある人もない人も、みな42.195kmを完走した。
最後の力を振り絞って歯を食いしばりながら走る姿も、足を痛めて引き摺りながらもゴールに向かう姿も、声援に手を振り満面の笑顔で駆け抜ける姿も、どれもみな美しく、尊かった。
そう、全力で楽しむ姿はかっこいい。
楽しむ、とは決して楽という意味ではなく苦しさを内包するからこそ輝く、ということを、わたしたちは暮らしを重ねるなかで経験し、共有している。
だからこそ出場を決めただろうし、応援する仲間も数えきれないくらい集まった。
大会後は、銭湯で身体を温めたり、わたしの自宅で休んだり、一度帰宅したり。
夜にはわたしの店で選手と応援隊の総勢21名が大きな食卓を囲む大宴会となった。
絶えない笑い声と、食卓を行き交う手と手。
そうそう、この光景を見たかった。
同じ感動を分かち合い、労い、褒め称える。
同じ釜の飯を食べる。
愛おしく、慈しい。
一般的に友だちに向ける感情ではないかもしれない。しかし確実に育まれるものがある。
わたしは管理栄養士だ。
手が届く、暮らしをともにするみんなにはこの先も健やかでいて欲しい。
でも健康になろう、あれをしようこれを食べよう、なんて言いたくないから。
だから一緒に遊ぼう、ごはんを食べよう。
その結果、気づいたら丈夫な身体を手に入れていた、がいちばん良い。
よく言うのは、人生においてわたしたちはいまたまたま暮らしが重なっているだけ。
今後、それぞれの道をいくでしょう。でもせっかく縁が合ったなら、残るものがあって欲しい。
だから、わたしからできることは、みんなの健康を考えること。
歳を重ねても、楽しかったなと強烈に、鮮烈に思い出せる記憶を、作っていきたい。
生きていると実感できるから。
みなみな、よく動き、よく食べて、よく休もうね。健やかでいてね。
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