居心地の悪い"平和感"では動いた方が良し
子供の頃、宿題は必須でしたが、その単純明快さが今は恋しいです。
"勉強"という"やるべきこと"がシンプルかつ明瞭だった時代は、面倒に感じていたとしても、思い返せばとても心地よかった。
時間の大切さは人生を賭けて同じ。
にもかかわらず、今、大人になった私は時折、ただ"時間を消費しているだけ"という焦燥感にかられます。
やるべきことが出来ていないという自覚はあるのに、「では、やるべきことって何だろうか」と向き合うことから逃げながら毎日を過ごし、
モヤモヤとした気持ちを抱えながら暮らしていたからだと思います。
居心地の悪い"平和感"とでも言いましょうか…
実を言うと、最近まで私はそんな"居心地の悪い平和感"の中に浸っていました。
今は平和感どこか恐怖感に支配されているのですが…
というのも、仕事で「重要だけどそんなに緊急性がないから大丈夫」と1日、1日と先延ばしにしてきたことがありました。そんな時、そのスキをついた強力なビジネスライバルが突如、登場してしまったのです。
そうなるともう大変。
ライバルが自分が築き上げたもの全てを壊しかねないという恐怖や不安でいっぱいになりました。
実際にはまだ何も変わっていないのに。
そして今まで時間があったのに行動しなかったことを悔い、怒りをライバルにすらぶつけたくなるという、これまたやるべきことから目を背けるという悪循環に陥っていました。
そして数日かけてようやく正気に。
思考回路はこんな感じです
[1]
このライバル出現がなければ、私は今日も動き出さず、ぼんやりとノロノロとルーティーンワークに甘んじていたことでしょう。
[2]
一方で今回登場したライバルはきっと私の数倍もの努力してきて現在の位置に立っているのでしょう。
[3]
にも関わらず、彼らの成功を認めず、嫉妬や恐怖の感情に支配される私は、なんて馬鹿者で小さな人間なんだろうと(ようやく反省)
世の中には「あなたらしくいいんだよ」「完璧なタイミングで宇宙からお知らせはやって来る」「スムーズな流れはうまくいく証」と言うような優しい教えが溢れています。
そう、"優しい教え"のいいとこ取りだけをしていた私は基本的に「待ち」の姿勢で過ごしていました。
今回の学びは、もし自分が居心地悪く感じるなら、自分の心を信じて行動をした方が良いということ。言語化できないモヤモヤした自分の感情にはちゃんと向き合うべきだということです。
モヤモヤは"不思議な知らせ"をキャッチしていた証なんだと思います。
結局、動かないといけないようなネガティブな状況を引き寄せるくらいなら、積極的に動く方が精神衛生上とても良いですし。
ただ、何も問題が起こっていないのに、新しいことや面倒そうなことに向かうことに億劫さを感じるのも人間ですね。
モヤっと感じたら未然に防ぐよう積極的に動いてみる
or
心のモヤモヤを放置し、問題が起こってから解決するか、
はその人のお好みということかもしれません。
これをお読みいただいた"あなた"はどちら派でしょう。
いずれにせよ、読者の皆さまのお役に立てばと心より願っております。
お読みいただき、ありがとうございました。
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