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祖父と交わした生き方の約束

「ヒロちゃん、ええか。最後は人に使われない人になりなさい」

2年前に他界した母方の祖父は生前、私に金言をたびたび投げかけてくれた。私は時折、その言葉たちを反芻しながら人生とキャリアの中長期計画を描いては修正し、描いては修正しながら東京の片隅で生きている。


祖父は生粋の大阪あきんどだった

祖父は戦後、大阪船場にある生地の卸売屋からキャリアを始めた。その後、ヌーベルやルシアンといったアパレル企業を経たのちに独立、起業する。独立してからは東大阪のアパレル商社として手編みのニット製品を主に扱い、一時は渋谷の桜丘にも拠点を構えていたという。

仕事に没頭する昭和の経営者の姿は幼かった私の目にも確かに映っていた。

サラリーマン時代の祖父

「まいど」
「おおきに」
「あんじょうやっといてや」

祖父は生粋の大阪あきんどだった。
仕事一筋で世界を飛び回ってほとんど家にはいない。私の母を含む三姉妹は父親のいない生活に慣れっこだったという。

そんな女性ばかりの家系に現れた初めての男孫である私のことを、祖父はいたく可愛がってくれた。その関係性は世間一般における祖父と孫であると同時に、私が社会人になってからはビジネスにおけるメンターとメンティーの関係性でもあった。祖父はことあるごとにビジネスの話を嬉しそうに語ってくれた。

祖父から言われた言葉の数々

当時、社会人なりたての私にとって、祖父の言葉はわかったようなわかっていないようなものであったかもしれない。けれど、今になってその言葉の意味や重みをことある毎に実感することが多くなった。

新卒入社した会社が未曾有の赤字を計上し、5年で4人社長が代わるという事態が起きたとき。

「ヒロちゃん、よお見ときや。こういう時こそ人間の全てが見える。この人は信頼できるな、この人は自分のことばかりであかんな、というのが全て見える。それが有事の時や」

私が家電メーカーからコピーライターを志していたとき。
「ヒロちゃん、ええやんか。なんでもやってみなはれ、やで。ここは大阪。コピーライターになるんなら開高さん(※)を読みなはれ。壽屋(現サントリー)の精神を学びなさい。やってみなはれ」
(※)壽屋コピーライターであり小説家の開高健のこと

祖父がくれた開高健にまつわる書籍

私が大阪の子会社から東京の本社宣伝部へ異動になったとき。

「ヒロちゃん、おめでとう。腐らないで動き回っていたらウン万人という規模の会社であっても見てくださっていた人がおったんやな。その人に感謝やな。愚直にやっていたら誰かが見てくれてるんや。自分だけの力ではないで。ほんで、東京に行ったら宣伝部やろ。ほんなら電通や博報堂をはじめとしたいろいろな広告代理店の人らと仕事をすることになるやろう。彼ら彼女らは優秀やで。非常に優秀や。せやからたくさん学び取りなさい。やれ東大や!やれ京大や!というだけが優秀なわけやない。おべんきょだけやない優秀さがそこにはあるで」

私が新卒で入った会社を辞め、ITスタートアップへ転職したとき。

「ヒロちゃん、僕はITについてはようわからへんけどオモロいところへ行きはりましたな。これまでメーカーでやってきたこと、コピーライターとしてやってきたことが活かせそうやないか。ITでもなんでも事業の本質は変わらへんで。手形やのうて、現金で回収しいや。在庫は抱えなや。在庫は悪やから時代の空気を先に読むんや。そのために現場に足を運びなさい。鉄100キロと綿100キロ仕入れた後はどちらがコストがかかるか。綿やで。綿は場所を取るから保管するにも採算が合わへん。要はその先を読みなさいっちゅーことや。そして、まずはやってみなはれ」

自分で自分の人生の手綱を持ちや

そんな祖父が繰り返し私に投げかけていた言葉がある。

「ヒロちゃん、ええか。最後は人に使われない人になりなさい」

これは祖父がサラリーマンだった頃に上司の方から常に言われ続けた言葉だという。いつまでも人に使われる勤め人ではなく、最後は独立して自分の看板を掲げよという意味である。その言葉の通り、祖父は最終的に独立をしていった。

この言葉を最初に受け取った時、私は「うんうん」と相槌を打ちつつも全く我ごとではなかったように思う。しかし数年前、私が身体を壊して半年ほど休職した際に改めてこの言葉を投げかけられた時、この言葉はまた違った色を帯びていることに気づいたのである。

もちろん言葉通りに「雇われる側ではなく雇う側になりなさい」という意味もあろう。人にこきを使われるような生き方をするなということを経営者だった祖父が言うのもわかる。しかし、それは言いたいことの半分であったと今の私は解釈している。

休職をするほどに働き続けた私に対して祖父が再び投げかけ、そして今なお、現在進行形で天国の祖父から投げかけられる言葉の意味。

それは「経営者であろうとサラリーマンであろうと、自分で自分の人生の手綱を持ちや」ということであった。

手綱を掴み損ねながら、また掴みにいく

私は本来、自分の手綱を右手で持とうが、左手で持とうが、あるいは両手で持とうが自由なはずだった。けれどいつからだろうか。

マジョリティの価値観だけが世界の全てだと感じてしまう。
他人の目を気にして合わせていく。
既存の価値観や制度の中で競争していく。
本当は勝ちも負けも存在しないのに勝敗に一喜一憂する。
自分に自信が持てず、次第に内なる自分を殺していく。

私は、時としてそんな生き物だ。

すると、もともと握っていたはずの自分の手綱はいつしかするりと自分の手からこぼれ落ちていく。掴もうにも目隠しをされているかのように前は見えず、掴めない。自分の馬は他人の馬になり、暴走し、明後日の方向に自分を連れ去ろうとしていく。

そんな時、私は遠くから聞こえる声に耳を傾ける。どこかで聞いたことがある、けれど、いつも新しさがあるその言葉に耳を傾ける。

そして手綱を手繰り寄せ、握り直すのだ。

「ヒロちゃん、ええか。最後は人に使われない人になりなさい」


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