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旅行ではない。旅にでよ。

誰かが言っていた。

「本を読み、旅をし、誰かに会うことで人は成長する」

そうか、旅か。旅行ではなく、旅だ。

当時22歳の私は素直にその言葉を受け取った。そして当時の彼女と行くはずだった「ロサンゼルスディズニーランド・パーク旅行」の資金で、一人マレーシアへ向かったのだった。傷心旅は北じゃない。南に行ってやるんだ。

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人生初の一人旅はマレーシア縦断

大学卒業を目前に控えた私は新宿駅東南口にいた。アウトドアショップでZERO POINTのバックパックを買い、すでに心は沢木耕太郎である。バックパッカーへの憧れは大学時代ずっと抱いていた。けれど体育会ラグビー部に所属していたため、まとまった時間と資金がなく、憧れで終わっていたのだった。卒業と就職の狭間の自由すぎるこのタイミング。これを逃すまいと気づけば震える指で航空券を買っていた。

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行き先は広州経由、クアラルンプール。だが、首都クアラルンプールに用はない。東京とそう大差ないからだ。私はクアラルンプールから南のマラッカへ行き、そこから一気に北上してペナン島まで行く。ペナンからはあえてマレー鉄道で途中下車しながら南下して再びクアラルンプールへ戻る、という約2週間の旅を計画した。

ちなみに旅先の条件は「英語が通じる」「ある程度治安が良い」「世界遺産がある」「食べ物がうまい」「発展していない田舎がある」ということでマレーシアを選んだ。

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旅の醍醐味は出会いのはずだった

成田を飛び立ち、すでに心細かった。トランジットまで約8時間。広州白雲国際空港では白タクの詐欺師や病気を装った少女たちの物乞いをあしらう一夜が始まる。ここは中国。誰も慰めてやくれない。こんな出会いを求めていたのではなかったはずだ。

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しかし為す術はない。もう、浸れるところまで浸ってやろうとCharaの『上海ベイベ』をエンドレスリピートしながら空港の椅子で膝を抱えた。いつの間にか「我爱你(ウォーアイニー)」だけ喋れるようになった。

旅の醍醐味はやはり出会いだった

クアラルンプールへ到着し、マラッカへ無事着くと足で宿を探す。今であればスマホアプリで事前に宿を押さえるが、当時海外SIMを持たない私は『地球の歩き方』だけを頼りに宿を探した。バックパッカーといえばホテルなんかに泊まるものかと、一泊1000円程度のゲストハウスを探し回り、ようやく見つけた一軒にバックパックを下ろす。

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初めての一人旅で第一に学んだこと。それは出会いを求めるならば旅人たちが集まるゲストハウスに必ず泊まることだった。モロッコ人、フランス人、マレーシア人、台湾人…世界中からのバックパッカー達と会話をできる機会に恵まれた。ホテルの個室泊りをしていたら絶対に交流することはできない。

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第二に学んだこと。それは世界は下ネタで繋がっているということだった。人種・国籍・宗教を問わず男は本当にくだらない生物である。たった一言で破顔一笑。同じ釜の飯食べたも同然だった。ちなみに私は英語を流暢に話せない。中学英語レベルだ。代わりにXVIDEOSで蓄えた単語だけを携えて日本を飛び立ったわけだが、キリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒も私の一言で手を取り合った。日本語訳のメモを取っている人もいた。世界は平和だった。

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これからバックパッカーを始める男子諸君には冗談抜きでXVIDEOSのカテゴリを武器として覚えて行って欲しい。(もちろん、話の流れをきちんと作ってから発話しないと単なる狂人と思われるので注意したい)

Shineとの出会い

バカ話を繰り広げているマラッカでの日々だったが、もちろんそんなことだけをしていたわけではない。一番仲良くなったのは韓国人のShineという女性だった。彼女はシングルマザーでおそらく年齢は30代半ば。6歳の娘Elenと2人で世界を放浪しているという。

彼女はアメリカに留学していたこともあり英語がとても流暢だった。おぼつかない英語で話す私をいつも助けてくれたのはShineだった。聞き取れない英語を聞きやすいアメリカ英語でいつも繰り返してくれた。

そんな彼女達と時間が合えばお茶をしたり、食事をしていた。同じアジア人同士ということもあってか心がすぐに通っていった。

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ある朝には、バスに乗る2時間前に宿を出ようとする私に対して「あなたは本当にナーバスね!!(笑)早すぎよ!大丈夫だから」と指摘してくれた。私は世界基準で見ても心配性なんだなと気付かされた。

ある昼には、「英語があまり話せないんだよね〜」と自虐的にいう私に「あなたはまだ若い。22歳でしょ?可能性しかないじゃない。英語なんて1年あればへっちゃらよ」と叱咤激励してくれた。

ある晩には、何故マレーシアに来たのかこれまでの身の上話をする私に「ラブアフェア…辛かったわね…あなたは素敵よ。韓国ではモテる顔だわ。韓国に来るときは、連絡してね」と慰めてくれた。

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僕は最後の夜、Shineにメモを書いて渡した。「shine=光(hikari)」
彼女は嬉しそうに笑みをこぼし「ヒ カ リ」と口ずさんだ。

ペナンに行く僕と、どこかに行く彼女達。僕らはバス停で手を振り、別れた。僕は彼女達が乗るバスが見えなくなるまでそこに立ちすくんだ。

旅行ではない。旅にでよ。

あれから10年。僕は社会人になった。就職、転職、結婚もした。マレーシア縦断旅を経験してから、僕は何ヵ国もバックパッカーを重ねてきた。ただ、振り返ってみると、この時の原体験がなければ旅を重ねなかったかもしれない。異国の地で一人に向き合い、孤独に怯えることもなかった。人種や国籍、宗教を越えた友情を感じることもなかっただろう。

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それは、全てプランが決まりきって綺麗なホテルに泊まる「旅行」ではなく、ゲストハウスで出会った人々とノープランな日々を送る「旅」だったからだ。そしてあの時、22歳の若造に「あなたは素敵よ、あなたは大丈夫」と肯定をしてくれた一人の女性と出会えたから旅を続けたのだ思う。

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Shine、あれから10年も経つけど僕は英語が全く上達していないよ。もう一度あんな旅ができるとしたら、僕のカタコトバックパッカー英語を聞いてくれないだろうか。

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