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改めて私は『ノンセクシャル』だった。

私はノンセクシャルだ。

ノンセクシュアル(非性愛者)とは、他者に対しての恋愛感情は有り得たとしても、恒常的に性的欲求を持たない人、または性的接触を求める欲求がない人のことをさす。

引用:はてなブログタグ

「同性にも異性にもプラトニックな恋愛感情しか持てない人」と、私は自分自身を定義している。

だけれど、正直大人になってからというもの、そのプラトニックな状態でも人を好きになれないでいた。

人を好きになったその先にあることを無意識に拒絶していたからだと思う。

「あーもしこの人と付き合ったら、いつかはそういうことをしなきゃいけないんだよな……」

それなら、友達のままが絶対いい。
考えるだけでも、面倒くさかった。だから考えることすら極力避けてきた。自分でも気付かないくらい無意識に。

もう何年もそんな状態だったのに。

なのにも関わらず、
いきなり「もしこの人が望むなら自分は合わせることもできるんじゃないか……?」

そんな人が私の前に現れたのだった。

年上の異性で仕事関係で知り合った人。2ヶ月に1回会うくらいの距離感だったけれど、一緒に話しているだけで自分らしくいれて、心地がよかった。

それに、仕事に対しての姿勢も尊敬できて、価値観が近かった。私の目標も会うたびに応援してくれていたし、私も彼のことを心から応援していた。

『ノンセクシャル』と自認してから、あれこれ悩むことはなくなっていたけれど、その人と出会ってから

「私この人ならもしかして……」

この時点で、もう”好き”だったのかもしれない。
世間でいう”好き”の始まりには十分だったと思う。

でもそれよりも、
「この人を好きになれたら、もしかして私"普通"になれるんじゃ……?」
なんて、よこしまな考えが頭をよぎっていた。

”普通”の恋愛ができるだけじゃない。異性なら、日本で結婚するには何ら問題ないし、子どもだってそうだ。
もしかして私が諦めていた人生を送れるのかもしれない。

少し前まで、世間的なイメージとされる女性が望む幸せは何もいらないし、やりたくもないとすら思っていたのに。たった一人との出会いでこんなに考えって変わってしまうものなのか。ちょっとだけ自分の変化が怖くなった。

もしその人に性的欲求を抱けるようになったら、いや、抱けるとまではいかなくても受け入れることができたら、私は『ノンセクシャル』というアイデンティティを失うことになる。

今まで色んなことに悩んで悩んで悩んで、やっと出会えた『ノンセクシャル』。この概念に何度も救われたから、少し不安だったけれどそれはそれで悪くないと思う自分がいた。

ここまでに感じてしまったのは人生で初めて。その人が私を”普通”の人生に連れて行ってくれるかもしれない、とても特別な存在になってしまった。

会える日が毎回毎回楽しみで、全てがいい方向に行っているように思えた。淡い恋心があると言い聞かせて、その日のために全てを頑張った。

だがこの出会いが、まさにこの記事のタイトル通り、私が改めて自分を『ノンセクシャル』だと自認させられるきっかけとなる。


その人は既婚者だった。


ふとした瞬間、会話から察してしまった。

私が思わず「結婚してるの?」と聞いたら、彼は「うん」と言った。

彼は28歳だし、年齢的に何もおかしくない。まさに28歳として”普通”な人生の歩み方。

確かに2ヶ月に1回のペースで会うくらいの距離感だったけれど、出会って2年は経っていたのに、初めてそういう話を聞いた。
SNSも全く更新しない人だったので、本当に何も知らなかった。これだけ言うと、まんまと既婚者に騙されてたんじゃないかと思う人もいるだろう。

聞いた直後は、まさに頭を鈍器で殴られたような感覚だった。その人に会う日のために自分はいろんなことを頑張れていたのに……。これから何を糧に頑張ったらいいのだろう。もうなんかいろいろ恥ずかしくなってきて、死にそうだった。

食事しながら、目の前にいるのに彼の言葉が全然耳に入ってこない。喉に詰まった何かを飲み物でただただ流す。

彼と別れてからも、放心状態。ボーッと吊り革を掴み、用もないのにスーパーに寄って、ようやく家に着いた。

しかし、家に帰って少し落ち着いてから出てきた感情は、失恋のショックの類ではなかった。

「やっぱり"普通”の人生なんて自分には無理だったんだ」

少し時間が経つと、その人のことなんて全く頭に浮かんでいなかったのだ。

"普通"の人生が羨ましくて羨ましくて、心の底から欲しくて手を伸ばして、でも私は”普通”の人生に振られたんだ。

手に入るかもと期待していた妙な安心感が呆気なく崩れていき、無気力状態。何も考えたくなかった。

結局、どうせ私は……。



それからしばらく経って、1つのことに気づいた。

彼の私への接し方だ。

そもそも、今思えば私は決して騙されていたわけではなかった。私たちは一切恋愛の話もしなかったし、相手も私も、恋愛関係にもつれそうな雰囲気も隙も思わせぶりな態度もなかった。

価値観が似ていて話しやすくて居心地がよかった。表現するとそんな関係。

そして決定的に、私のことを性的な目で見ていなかった。真意は本人ではないのでもちろん分からないけれど、性的な目線は一度も感じなかった。

だから、だ。私がこの人を好きになれるかもって思えたのは。

価値観が合って、居心地がよくて、尊敬できて、それでいて相手も私も性的にお互い見ていない。

今までは、一緒にいて楽な人もこのまま友達でいいと思っていた。なのに、この人となら友達ではなくてパートナーになりたいって思ってたんだろうな。人生で初めて。



これに気づいて、やっぱり私は『ノンセクシャル』だったと再実感させられた。

私は他者に性的欲求を持てないし、
他者から性的欲求持たれるのも自分が応えられないから苦手。

でもやっぱり私は将来パートナーが欲しい。
パートナーと呼べる人と人生を分かち合いたい。

そう心の底から思っていたことに気づいた。

今までも同じことを漠然に思っていたはずだけれど、理想のパートナーはどんな人がいいのか、具体的には何も考えていなかった。
これまでの苦い経験が蓄積していて、現実的に考えられなかったんだろう。

けれど、一緒に過ごしてみたいと思える人が現実にいた。それってすごい発見じゃないか。

今まで『ノンセクシャル』という言葉で自分のアイデンティティを確認し、勝手に甘えて、勝手に安心して、自分の可能性を狭めていたのかもしれない。

今回みたいに、もしかしたら今後『ノンセクシャル』じゃなくなることもあるかもしれない。

だけど、恐れなくても多分大丈夫。一度その不安を経験して少し強くなった。どっちだって私は私で何も変わらない。


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