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40代専業主婦、父母と3人だけで沖縄へ②私が愛情を受け取っていなかった

先日、離れて暮らす両親(両親:東京、私:宮崎)と3人で沖縄旅行に行ってきました。夫や子ども達も、弟もおらず「両親と私だけ」。

それだけにいろいろな感情がわいてきた、不思議な感覚のする2泊3日でした。

那覇の国際通りで両親と合流

1日目。

昼前に那覇空港についた私。

昨日まで子どもや家のことでバタバタしていた私が、

「ひとりで?!」
「沖縄にいる?!」
「信じられないー!!!」
「なになに、この開放感ーーー!!!」

と嬉しさとドキドキを交錯させながら、ゆいレールに乗りました。

おもろまち駅にあるDFS(荷物を預かってくれるサービスがありがたかった)に行ったり、国際通りをぶらぶらしたり、沖縄そばを食べたり、市場をのぞいたり、

徐々に自分の意思だけで動けることにも慣れ(最高)、1人時間を堪能。

それでも、夜の待ち合わせまで2時間あったので、漫画喫茶へ(快活CLUBは私の味方です)。

夜になり(といっても空は明るい!)、両親と合流してステーキのお店へ。
多国籍の従業員さんに、パフォーマンスありの開放的な雰囲気に私たちのテンションもあがります。

牛肉はね。宮崎牛が日本一、いや世界一だと思ってはいるのです。
でも、沖縄に来たら、やっぱりアメリカンなお店のステーキを食べたくなっちゃう♡

美味しく楽しくステーキをいただきながら、旅行前から、父にうっすら言われていたことを改めて言われました。

「今回はあなた(娘)ファーストの旅だから」。

甘えられなかった結婚するまでの私

私が17歳の時、サラリーマンだった父が独立。

父の描いた計画とは逆に、我が家の雰囲気も経済状況もゴロゴロ転落。

だけど、母はそれまでの生活スタイルを崩したくなく、維持費のかかる外車も別荘も手放さない。

それなのに変なところを切り詰める生活に、

子どもながらに「そのプライド捨ててください…」と何度思ったことか。

どんどん落ちていく家庭状況と雰囲気がいやでいやで、

私が少しでも明るくしよう、私にできることがあればしようと思ってきました。

金銭的にもできるだけ負担をかけたくないと思っていました。

愛情を受け取る決心

そんな親との関係だったので、甘え下手をこじらせている私は

今回の「3人だけで旅行をしよう」の誘いも、「娘ファースト」も「1円もお金は出さないで」とまで言ってきたことも、

「お気持ちだけいただきま~す♡」
「航空券をとってもらっただけで、もう嬉しすぎます♡」

くらいに思っていたのですが。

「今回はあなたファーストの旅だから」と、改めて面と向かって言われて決心したのです。

”両親の気持ちを素直に受け取ろう!”

ほんとはね、そんな決心はいらないとわかっているのです。
「わー、嬉しい。ありがと!」だけでいいと思うのです。

でも長年のクセで、存分に甘えたいくせに甘えないことをよしとする自分が顔を出してくる。

だから、「しっかりしているお姉ちゃんの私」を封印して、

今回は2人(特に父)の愛情をしっかり受け取る決心をしたのです。

甘え街道を走る

2日目は、ずっと家族ぐるみでお世話になっていたご夫婦を探す旅から始まりました。

数年前から連絡がとれなくなっているご夫婦の家を、ダメもとで、住所と朧げな記憶を頼りにお家まで行ってみたら、わわわ!会えた‼

連絡がとれなくなっていたのは、おじちゃんの耳が遠くなり、おばちゃんが認知症になってしまったらしいことが原因のようでした。

息子さんと2世帯で住むことになったけれど、電話もスマホもなくしてしまったらしく、おじちゃんとおばちゃんに直で連絡する手段がなくなっていたようです。

そんな事実が少しせつなかったけれど、

5分ごとに、小さい頃の私を思い出してくれるおばちゃんと、その隣でニコニコしているおじちゃんの底抜けの明るさは健在で、

両親も本当に嬉しそうで、幸せな気持ちになりました。

その後、読谷に行き、陶器を眺めては離れられなくなった私と母。

そんな私たちを父はひたすら辛抱強く待ってくれたり、

カフェに入るという選択肢を持っていなさそうな父が「休憩でもしようか」とぜんざいのあるカフェに誘ってくれたり。

私が楽しんでいる様子を楽しいと思ってくれているのが、手にとるようにわかりました。

この日のホテルでは、夕食にレストランを予約していてくれたのだけど、

美味しいディナーをいただきながら、”近くにある万座毛で眺める日没は素晴らしいらしい”と知った私は、

1時間後にあるその日没を「観に行きたいなー」と勇気を出して言ってみました。これね、以前ならできなかったことです。

本当は「行けたらラッキー」くらいの気持ちだったのだけど、

「観れるものは観ておきたい」の気持ちと、「わがままくらいのことを言ってみる練習」を兼ねて言ってみたのですが、

すると、私たちがデザートを堪能している間に車をフロントにまわして待機していてくれ、いざ万座毛へ。

車から降りて、急いで入場料を払い、

日没予定時刻の5分前に、万座毛から観た日没は一生忘れることができません。

日没の美しさに加えて、父への感謝や、横にいる母への感謝、わがままを言えた自分によくやったと思う気持ちで、うっすら涙さえ出てきました。びっくり。

3日目は、島の西側の岬に行ってみたり、地元の方に教えてもらった素敵な砂浜に行ってみたり(パイナップルがなっているし、ビーチには海ぶどうがたくさん。最高でした!)、

空港で2人と別れるまで、それはそれは幸せな気持ちでいっぱいでした。

もともと早口気味な私なのですが、

沖縄での時間の経過とともに、ゆっくりのんびりになっていることにも気づいて、びっくり。

本当の私はのんびり屋なのかもとずっと思っていたし、

「私はここにいていいんだ」という、心理的安全が確保されたのを体感しまくれた結果なのかもしれません。

「甘える」、「甘えられる」って本当に大切ですね。

「甘えられる」「甘えさせられる」ようになりたいな

10数年前の私たち夫婦の結婚式で、私はどうしても両親への感謝が書けませんでした。

悩んだ末に「今までお世話になったすべての人たちへ」と読んだのは、自分をなんとかぎりぎり大切にしてきたからこその考えでのことでした。

それは、もしかしたら親を傷つけたかもしれません。
周りにも薄情に思われたかもしれません。

でも。

もし今、私がその立場だったら
「お父さんもお母さんも、本当に厳しくて、子ども達を管理しまくりで、本当にいやだったし、愛情表現も上手じゃないけれど、ちゃんと伝わってるよ。ここまで育ててくれてありがとうね」と言えそうです。

今回の沖縄旅行で、ブラックな私が浄化できた気がします。(笑)

近くにはいないし、70代の両親。

これから先どれだけ会えるのかはわからないけれど、今までを取り戻すように甘えたりしてもいいのかもな、

逆に両親に困ったことがあった時には、純粋に力になれそうだ!

と思えた、副産物の多すぎる沖縄旅行でした。

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