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ぼっちのすすめ。

突然できる1人時間。

末娘の習い事のコンテストがあり、
お隣の市で1日を過ごしてきました。

早朝から夕方までの長丁場な1日。

子どもの送迎さえできれば、
ずっと場内にいても、
会場を離れても大丈夫とのことで
急遽できた1人時間。

さすがにずっといてもなー
マクドナルドがあったから読書でもするかー

なんて、思っていたけれど(いやなんか違う気分)と、
車を30分ほど走らせ、開けた場所に行ってみることに。

濃厚な2時間。

遠回りをしちゃったけれど(ナビは時々違うところへ連れていってくれる)
気になっていたポップアップストアで、さくっとショッピング。

田舎では目にしないようなお店をちょこちょこのぞいては元気をもらい、
品揃え豊富なスーパーでは、
いつも「なんのために買い物に行ったの…」と買い忘れ続けていた
お弁当用の塩昆布をさくっと買ったあとは場所をうつしてランチ。
そして読書。

自分を見失ってたいたママ苦悩の時期も。


そんなことができなかったのかと
つっこまれちゃうようなこんなこと。

手探りで”母親”という立場を模索していたときは、
できなかったんです。

できないというより、
「しない」選択を自然としていたのだと今は思います。

「子どもの近くで待機して、周りのお母さんとお昼を一緒にしたり、
おしゃべりしたりする"べき”よね」、

なんて、
母親たるもの、子どものために周りのママと同じようにしていなくちゃ
と思っていたんですよね(誰にも望まれていないのに)。

さらには、
"自分は今何をしたいのか”と主体的に考えることが皆無だったんです。
当時の私なりに、がんばっていたからなのでしょうけれど。

がんばっていたのはそうだけど、
自分を主語にしないことで、
行動に責任を負わないようにしていたんだなーと今なら思えます。
他責にするって楽ですから。

ぼっち行動で自分の「好き」「嫌い」が見えてくる。

一人で買い物をしたり、
ごはんを食べたり、
本を読んだり、
新しい場所に行ってみたり、

周りとの調和を考えない、
自分だけの選択をするから
結果、自分がクリアに見えてくるのですよね。
ぜーんぶ自分の考えで、ぜーんぶ自分の判断。

いろんなことを削ぎ落して1人の時間を過ごすことで、
好きなことがどんどん見つかっていくんだろうなと思うのです。

あの頃の私に言ってあげたい。
「ひとりになってみようよ!大丈夫!」

#ひとり #ぼっち行動 #母親 #備忘録  




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