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「できるだけ離れていていい」と思っていた親との関係。

実家の親とあまり会えていない現実

実家は飛行機で1時間、
door to doorで3時間のところにあります。

子どもたち(高校、中学、小学生)が大きくなると、それぞれ忙しくなり、

帰省も年々しにくくなってきます。

なので、私が実親と会えるのは
年にあわせて10日くらいでしょうか。
コロナ禍では2年も会っていなかったしね。

両親は77歳と75歳。
ありがたいことに元気でいてくれるし
(100歳の祖母も他県にて健在)、

友達が多くなさそうな2人は
お互い歩み寄っては
楽しみをみつけて過ごしている感じで、
今のところは、安心できています。

でもでも。
今後は「できること」が
確実に減っていくと思います。

ということは、
"今が最大限に会うのができる時期なのでは?”

と、「親に会っていない」ということが
気になるようになってきました。

小さい頃から親があまり好きではなかった

物理的には不自由することもなく暮らせていたけれど
仕事でほとんど家にいない、
それなのに
何かあると全力で叱ってくる父。

そして、小さい頃から大学生になっても
何事にも干渉してくる母。

ある程度の年齢になって
一緒に買い物に行くとき、

私が試着をしていると、
「うちの子はこんなのが似合う」とか
「このサイズよりこちらの方がいいわ」とか
私のことはそっちのけで、
店員さんと自分事のように話す母。

試着した私をみた、
母が満足しきっている姿や
店員さんが母に気をつかっている様子をみて
「なんだかな」と
思うことがよくありました。

そんな2人を
私は「大好き」ではありませんでした。

私の大学入学直前には、
父が急遽仕事を辞めて独立(タイミングよ)。
その後の仕事がうまくいかず、
家の状況は急降下。

家庭内の雰囲気も悪くなるし、
でも2人ともプライドもあるから
生活レベルはさげようとはしない。

バブル期に買った別荘も売らなければ、
外車に乗り続ける。
マンションの駐車場だけで数万円、でもです。

私が就職して、
少しは家をヘルプできるかなと思っても、

家を出て(なんなら大学も勝手に辞めて)
どこかにいってしまった弟宛てにくる
消費者金融からの督促状をみては
両親がこっそり払おうとしているのをみて
悲しくなったものです。

本当にいろいろなことがありました。

私立の一貫校育ち。
実家暮らし。
生活圏がいわゆる"いいところ”。
家と学校のある高級住宅街でアルバイトをしていたこと。

なんてこともあって、

ほんと「お嬢様だ」と言われることも
少なくはなかったけれど
実際は全然違ったんですよね。
結局、大学も奨学金を借りましたし。

周りからのギャップと、
帰宅後に味わう
くつろぎきれない実家の雰囲気で、

いつもモヤモヤしていたし、
お金がうみだす心の余裕って大切、
なんてことも
早くから思っていたような気がします。

だから、
結婚して東京を離れることは嫌だったけれど、
実家と物理的に離れることには、
ホッとしたことを覚えています。

結婚式でも親へのわだかまりを持ち続けていたので、
いわゆる「親への感謝」の手紙を書くことができずに、
「私を育ててくれた皆さま」への手紙を書くことにしました。
ほろ苦い思い出です。

やっぱり死ぬときに後悔したくないよね

でも、今ならわかるのですよね。
親なりに一生懸命にやってきてくれていただけだって。
親なりの正解を考えて行動してきていただけだって。

だから、両親がこの世から離れたときに、
それから私がこの世を終えるときに、

お互い穏やかな気持ちでいられるためにも、
会って、
もっと話しておきたいなと
思うようになりました。
順調に私も年を重ねているようですね~。

過去は過去。
前を向くだけです。

というわけで、早速来月会ってきます

来月、神戸に行きます。

母が生まれ育った神戸。
私が生まれて小学生まで住んでいた神戸。

航空券とか、予約手続きとか、
高校生、中学生、小学生の子どもたちの
学校やら行事やらの習い事の調整…
もういろいろ考えていたら、
面倒くさくなるのだけど、
思い立ったが吉日。チケットをとり、
母に連絡してみました。
「子ども達と行くのだけど、一緒にどう?」。

また、ひとつ思い出を増やせそうです!





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