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明日死んでもいいから、今日自分の人生を生きる。

「明日一日でも長く生きれるように、今日何もするなと言われ続けた20年だった。俺は明日死んでもいいから、今日自分の人生を生きたい。」
28歳で亡くなった寝たきりだった番田さんの言葉、と

友人がFBにあげていた投稿を見た。

悔しくてたまらなくなった。

これは毎週会う、生活保護の高齢者たちが悲しげに言う言葉と重なったからだ。

時間は短くてもいい、でも自分らしく生きれる社会を作りたい。

それは歯学部に最終的に入ることになった、私の最初の夢とつながるものがある。

私は高校時代、人工心臓の研究者になりたかった。それは父が本棚に置いていた、とある本を読んだ時に大きな感銘を受けたことがきっかけだった。

車のエンジンを作っていた人が、人工心臓を作り始めたこと。そのおかげで、今までは心臓の薬の研究に犬を100頭殺してやっていた実験が、10頭+90頭分人工心臓でシュミレーションで出来るようになったと書いてあった。90頭の命を救っているのである。

私はこれが子どもに作れたら、素敵なんじゃないかと思うようになった。

ずっと病院にいて一生涯を終える子どもたちが、人工心臓を入れられたら。期間は3ヶ月だけど、生き生きと外で走って遊んで死ぬことが出来る。医者にはできない、とてもかっこいい仕事だ。そう思った。

結局人工心臓を作っている大学には受からず、2浪はできないので、医療+機械に携われる歯学部に変えた。(その後人工心臓関係を作っている会社など見学を申し込んだが、企業秘密なのでと断られたのもいい思い出。笑)

今も形は違うのだが、

「医療、子ども、自分らしく生きる、死」に興味を持っている。


生きてる意味がないから死にたい。

今、関わっている高齢者の殆どはそう言う。全員生活保護で、施設に住んでいる人たちだ。私は正直、うまく言葉が返せなくなって、「そんなことないですよ〜!」と明るく日常会話に戻したり、愚痴を聞いてうなずいて帰る。

「あんた、話してるだけだねぇ。」そう言われることもある。(義歯調整だけで、経過観察だけで終わったときや、口の中を積極的に触らなかったときがそういうときだ。)

一方で社会的養護で、元里子ちゃんにも同じような言葉を言われたこともある。死んだほうがマシだ、という彼女を止められないように感じてしまう。

私は生まれてきた命に、無駄な命はないと思っている。生まれてこなかった命も、亡くなってしまった命も、全て意味・価値がある。

長く生きろとは言わない。言うつもりも微塵もない。

それでも、あなたの人生を、生きてほしい。生きれる社会にしたい。

施設で転倒しないように、〜〜しないように、と

どんどん拘束が強くなっていくのではなく、

ちょっとぐらい怪我しても大丈夫、だから一緒に歩いてみよう、と言える社会をつくる。

そして子どもに、生まれてこなければよかった、なんて思わせたくない。

頑張ろう。


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