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No more rules

お疲れさまです♡アヤ@noteです。

色とりどりの野菜って目からも元気を与えてくれる。エネチャージ。それぞれの野菜の効果効能だとか栄養素だとかを勉強して、ビタミンチャージ!とかミネラルオッケー!とか作用を考えながら食事をいただくのも、カラダにはもちろん、何だか自分を大切にできてる感じがしてココロにもやさしい。

コスメを選ぶのも食事を選ぶのも、あれはダメこれはダメだとつまらないし、ときめかない。制限や制約って苦しくなるよね。だから、何でも、○○はNG!!じゃなくて、○○がいい!!っていう選び方をするようにしています。NGとされていることでも、それがよいなら時には許してあげて、選んだからには罪悪感なんか感じずに、はー♡しあわせ♡っていう、そっちのほうがわたしは精神衛生にもずっとよいと思っている。もちろん、ストイックに自分のルールを守れていることにしあわせを感じることもあるので、そのときはそちらを優先。どちらにしても、私のことに関しては、どちらがよいか、何がよいかなんて、じぶんのなかにしか正解はないと感じるようになった。答えはいつも自分のなかにある。しあわせは、自分のこころが決めるのだ。あちらを選べばこちらだという人もいる。ああすれば、こうだという人もいる。これがいいという説があれば、それはダメだという説もある。ひとに左右されていてはキリがない。他人軸ではどうしたって自分がわからなくなるし、疲れちゃうと思う。

私は何かや誰かに縛られたり、枠や型にハメられたり、誰かの物差しで測られたり、価値観や世界観を押し付けられたり、、そういうのが本当に窮屈で好きじゃなくて苦手。いろんな世界を見たいし、柔軟でありたいし、吸収もしたいと思うし、ひとから学ばせてもらったリ、素敵だなぁって思ったり、勉強もしたいのだけど、それは自分で選びたいし、何を採用するか、何を選択するかってホントは自由なんだと思う。

だけど、その自分でさえも、刷り込みや思い込みで、○○しなきゃ!!○○すべき!!○○せねば!!って、知らないうちにとらわれてきた呪縛で自分のことをマジメに縛って、枠にはめて、型に押し込んで、よくわからない誰かのルールで苦しくなって窒息しそうになってた時期があった。

もう何歳だからあれはダメこれはダメ、男だから女だからああすべきこうすべき、妻だから母だからああせねばこうせねば、常識だからああしなきゃこうしなきゃ、、普通は、みんなは、、って!!優等生だったり、良妻賢母だったり、バリキャリだったり、、いつも笑顔で泣きたくてもガマンしたり、苦手も努力して克服したり、ムカついても顔に出さずポーカーフェイスで、プライベートだったら絶対に仲良くならないだろうなって人とも話を合わせて皆とうまくやって、全方位ソツなくバランスよくマルチにこなせる、、おとなってそういうもんなんでしょって、そうしなくちゃって、それぞれのフェーズでいつも勝手に頑張ってたんだけど、まぁ違和感の嵐だったε-(´∀`; )

年上の先輩がいえば、まだその年齢でない経験してないからわからない自分は、そうなのかぁって思う。だけど、その先輩の当時の年齢になったとき、自分は全然そのひととは違った笑。何歳になったらこうなるよ、とか、何歳になったらこういうもんよ、とか。でも、私はそれは望まないし、ひとそれぞれだと思っていたから、そこはスルーしたけど笑。そういうものなのかと信じ込んで、自分の人生に採用しなくてよかったと心底思う。

でも、長年植えつけられて思い込んできた暗黙の呪縛、暗示に自らまんまとかかってたってこと、自分で信じ込んできた縛りに生きづらさを感じて息苦しくなってることって、多少はあるんじゃないかと思う。

私はあるとき、その暗黙のルールと思ってきたものさえも、自分で、そうでなければと勝手に信じてきた誰かのルールだったと目が覚めた思いがして、ひとつひとつ鎖を切って、鎧を脱ぎ捨ててみることにしたら…すーーーーごくラクで軽くなって涙がでそうなくらいしあわせな気持ちになって。

暗黙の了解とか右にならえとかマウンティングとか、、いらないから。誰かのいう何かのいう常識とか世間体とか、普通って何?皆って誰?それって、海外でも宇宙でも通用するルールなのかな~

だから、ひととちがってぜんぜんいい。愛すべき自分の人生や自分の時間を、誰かのものさしや他人の価値観でモヤモヤしながら生きるのはいやだ。

もちろん、交通ルールのような決まりは守る。思いやりも愛も感謝も大切にしたい。だけど、意味のわからない○○ねば、や、○○べき、に消耗する疲弊することはどんどん手放して、できるだけ○○したい♡を自分で意識して選んでいくような毎日にしたい。

いまのわたしは、数年まえよりもずーーっと自由。自分純度があがってる。苦しいイヤだと思いながら○○しなきゃ!!を消化し続けなくても大丈夫だった。もちろん自己責任なんだけど、自分に正直なことが、シンプルな答えだと思う。それが正解なんだと思う。他人にどう思われるかより、自分がどうありたいか。変人でも変態でも何でもいい笑。自然体で等身大でいい。無理しなくても我慢しなくてもいい。完璧じゃなくて、ゴメーンって甘えちゃってもいい。大人だってわがまま言ってもいい。イヤなものはイヤだっていい。ムリなものはムリだっていい。泣きたいときは泣いていい。頑張れるときは頑張ればいいし、休みたければ休んでいい。逃げたければ逃げていい。やめたければやめていい。どうでもいいことはどうでもいいし、どうでもいいひとはどうでもいい。アンバランスでいいし、波があっていい。命にかかわるほど大事な絶対!!な決まりなんて、そうないかなって思う。自分の世界になにを採用するかは自分で選択していいんじゃないかなー。

やさしすぎてがんばりすぎて疲れちゃったひとも、もうひとりのじぶんがじぶんの願いを叶えてあげるような感覚で、じぶんのちいさな○○したい♡を聞いてあげて、すこしホッとしてほしいな。No more rules、これってKateのCMだったかな。これを聞くとなんかアガってたな( *´艸`)

ありのままとか自然体とか自分らしくと言ってしまうとなんだか青臭いようなありきたりのような表現になってしまうのだけど、心が自由になるって、それが投影される自分の現実も明るくなったりする。心のままに生きたい。…これもまた、私の場合は、なんだけど♡

Love from aya



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