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大好きなアイドルが性犯罪者になった:映画『成功したオタク』

あらすじ

あるK-POPスターの熱狂的ファンだったオ・セヨンは、「推し」に認知されテレビ共演もした「成功したオタク」だった。ある日、推しが性加害で逮捕されるまでは。
突然「犯罪者のファン」になってしまった彼女はひどく混乱した。受け入れ難いその現実に苦悩し、様々な感情が入り乱れ葛藤した。そして、同じような経験をした友人たちのことを思った。

「推し活」が人生の全てだったオ・セヨン監督が過去を振り返り傷を直視すると同時に、様々な立場にあるファンの声を直接聞き、その社会的意味を記録する。「成功したオタク」とは果たして何なのか?その意味を新たに定義する、連帯と癒しのドキュメンタリー

「成功したオタク」ホームページより
MMAの会場に並べられたアイドルグッズの数々

2019年3月11日、韓国の人気アイドルであるチョン・ジュニョンが女性との性行為を盗撮しチャットルームに公開した容疑が発覚、3月21日には女性への集団暴行の疑いで逮捕された。本作の監督であるオ・セヨンは彼の熱狂的なファン「成功したオタク」として知られていて、実際にチョン・ジュニョン本人やファンの間でも認知されている有名人である。推しの逮捕をきっかけに「失敗したオタク」となった彼女は、同じ経験をした人々にインタビューをし、ファンとは「成功したオタク」とは何なのかを問う。

映画が撮影されたのは逮捕されてから間もない2019年7月から2021年8月。インタビューに協力したのはチョン・ジュニョンのファンだけではなく、同じく不祥事で大きなインパクトを残した(元SUPER JUNIOR)カンインや、(元BIGBANG)V.Iのファンだった女性たちも含まれている。

インタビューに繰り出すオセヨンと友人

バレたら全て終わるとわかっているはずなのに

たくさんの初めてに彼がいた。
でも、初めての裁判所はいらなかった。

誰かのファンになるというのは幸せなことだ。推しのことを思うだけで身体中にエネルギーが満ち溢れ、どんなことでもできるような気がする。地元の街から電車に乗ってソウルに初めて行ったのも、全て推しのためだから出来たことだった。
でも初めての裁判所に来ることは望んでいなかった。

チョン・ジュニョンの第一審、聴講に向かったものの、抽選に外れ法廷に入ることができなかったオ・セヨン。のちの報道された法廷に立つ彼の姿は、質問にも答えることなく俯き続けていて全く別人のようだった。この瞬間、オ・セヨンは自分が愛したチョンジュニョンはアイドルとしての姿でしかないことに気がつき、彼のファンであった自分との別れをはっきりと認識することになる。

チョン・ジュニョンは第一審で懲役7年と判決を受ける(劇中では7年と言っているが、正しくは6年80時間)。芸能活動が7年、懲役が7年。必死に努力して手に入れたはずの人気アイドルという地位は取り戻せないものになってしまった。
性犯罪が多いと破れる韓国だが、実際に実行犯となる人はあくまでもごく一部である。(n番部屋事件など間接的に関わっている人の数はもっと多いだろうが)バレたら終わりの犯罪であることは流石に理解していたはずだ。それなのに、何が彼をここまで堕としてしまったのだろうか。

ファンは加害者か被害者か

ファンはアイドルの造られたイメージに惹かれ、純粋潔白なはずだと信じ込む。たとえ犯罪の疑惑が出たとしても信じることなく黙認してしまう。
「アイドルが起こす事件があっても他人事だと思っていた。」
事件発覚後にそう語るファンたちの言葉から、他アイドルが起こした不祥事がどこか非現実的な出来事に思えていたことが伺える。「まさか推しアイドルがそんなことするはずがない。」「報道が出ていても、そんなに大きな罪は起こしていないはずだ。」私生活が隠されていて自分から遠く離れた存在だからこそ、性被害にあった女性たちがいることを想像して認めることができなくなる。

ファンである前に、女性として考えてください

K-POPファンの持つ熱量はかなり独特だ。グループ間の競争が激しく、常に他アイドルと比較され順位づけされる。ファンの貢献度が数値として見えるシステムは盲目的な信仰を生み出す。その信仰が破られたときのファンの反発は他の界隈では類を見ないほど大きい。
劇中でオ・セヨンが言っていた言葉。「韓国のファンはアイドルが悪いことをした時にしっかりと怒ることができる。ただ、海外のファンがどうかわからない。」この言葉には強く共感することができる。K-POPアイドルが問題を起こした時、現地では抗議活動が行われ、SNSは韓国語の怒りのコメントで溢れる。ボイコットにまで繋がるケースも珍しくはない。しかし、海外のファンが同じように怒るのかと言ったら、そうとは言えないだろう。アイドル本人に対して怒るのか、事務所に対して怒るのか、他のアイドルと比較して擁護するのか。劇中でこの違いについて語られることはなかったが、アイドルのファンダムを見ていると国ごとの反応の違いに気がつくことがある。韓国でK-POPアイドルのファンでいることにはある種の責任が求められるのかもしれない。

彼は私にとって本物の大人だった。

学生だったオ・セヨンの書いた日記には理想の大人でもあったチョン・ジュニョンへの憧れを感じさせる言葉が書かれている。「歳をとっただけでは大人とは言わない。オッパ(親近感を込めて年上男性を呼ぶ言葉)は私にとって大人です。」
彼の大人っぽイメージは事務所か完璧に作り上げた理想的なアイドル像である。頭の中ではわかっているけれども、全てがよく見えてしまうのがファンというものだ。チョン・ジュニョンは19歳で歌手を目指して韓国に移り住んだという独特な経歴があり、それも相まって彼のキャラクターが魅力的に写っていたのであろう。

ー荒っぽいけどツンデレでいい面もある。

だが、アイドルも1人の人間である。事務所の作り上げたアイドルイメージを常に持ち続ける「プロアイドル」は数人しか存在していないということに実は皆気がついているはずだ。

ーでも、やりかねないとも思っていた。

熱狂的なファンであったオ・セヨンでさえこのように語っている。普段の言動やSNSの発言から何となく感じ取っていたが、気がつかないふりをしていた。ファンは頭の中で、事務所が作ったイメージの上に完璧なアイドル像を作り上げる。
KPOPアイドルのコミュニティの中で起きていることを、外にいるファンが把握することは不可能だ。だから容易に幻想を作り上げることができる。しかし、韓国のエンターテイメント業界を支えているアイドル事務所、そしてアイドル本人たちの過失は韓国国民にとっては国のイメージを左右する大きな問題ともなるはずだ。アイドル事務所はあまりにも大きな影響力を持ってしまったアイドルたちを扱いきれなくなっているのかもしれない。

チョン・ジュニョンを描くオ・セヨン。周囲に描かれたのはチョン・ジュニョンのイメージ。お金持ちで音楽が好き、友達がたくさんいる

KPOPアイドルは日本の成長見守り型のアイドルと違い、完成されたアイドルであるとされている。だが、いくらパフォーマンスが完成されていたとしても幼い頃から練習室にこもっていた子どもたちが人として成長する速度は、学校にいる一般人の子どもと変わらない。むしろ特殊な環境で育つことで遅れていたとしても何も不思議はない。一般人の子どもよりも早い段階で社会に出て注目を集めるのだから、その点の教育はもっと力を入れるべきではないか。だからと言って、その役割をファンが担う必要はない。事務所が彼らに対してどのような教育を行なっているのかは明らかではないが、彼らを教育する責任は事務所にある。問題が起きた時にファンが指摘するような状況になってしまっている現状に課題を感じていないのか。

ファンでいることも罪なのかもしれない。性犯罪を黙認してしまっているのだから。そう感じて罪悪感を抱く人はどれだけいるのだろうか。

盲目的なファンの存在

最初にチョン・ジュニョン記事を出した記者は、彼のファンから大きなバッシングを受けた。もちろんオ・セヨンもその1人、日記を読みかえした彼女は記者に当時の誹謗中傷を謝罪をするためにメールを送った。批判をしていた当時のことを振り返り謝罪をする。それに対して「事実だと認められて安心したが、捕まって欲しくないとも思っていた」と伝える記者。恨んだ存在でもあったが、自分を目覚めさせてくれた存在でもある。そんな記者へのインタビューはファン批評からさらに一歩踏み込んだ印象的なものだった。

ー性犯罪を犯したアイドルの罪を認めず、罪をなすりつけられたと信じ込むファンをどう思いますか?
ー元大統領パク・クネの支持者と同じでしょう。

韓国のパク・クネ氏の支持者の現状を全く知らなかったのだが、現在でも熱狂的な支持者が多く存在していて定期的に支持者集会が行われているらしい。若者からの支持率が少なかった印象があるが、劇中に映る支持者集会も中高年層が多い。1週間に2、300通のハガキ(ファンレター)が送られていると言うから驚きだ。アイドルの罪を認めないファンの心理調査のために集会に向かったオ・セヨンは、若者の支持者だと勘違いされて周囲の支持者に囲まれる。熱烈な歓迎を受けて記念撮影までするところが面白い。他の界隈では類を見ないほどの信仰心と言ったが、確かにこれは政治家に対する忠誠心と同じなのかと納得する。

ファンだったセヨンがチョン・ジュニョンを思って書いた日記と、渡すことのできなかった手紙たち

アイドルが持つ責任

ーファンであることは私の青春だった。思い出が詰まった曲を歌うことすらできなくなって、私の青春が汚されてしまった。
大好きなアイドルが歌う大好きな曲、オタク友達だった友人の結婚式で歌うと決めていたのに、不祥事が起きたせいで歌言うことができなくなってしまった。

元アイドルファンの女性が語ったのは、ファンが受ける二次被害の大きさだ。若いアイドルファンにとって勉強のモチベーションも、友人関係も、アルバイトの経験も、全てが推し活から始まっていることは珍しくない。性犯罪によって人生を奪われるのは被害者だけではない。ファンの人生そのものを奪ってしまう可能性もある。

映画終盤にオ・セヨンの母が、セクハラ議論で自殺をしたチョ・ミンギのファンであったことが判明する。彼は韓国の#MeToo運動で議論の的となった人物。取り調べの3日前に自ら命を絶ったことで、真偽は闇に中に葬られてしまった。そんな母から語られたのは意外にも、チョン・ジュニョンに対する感謝の言葉だった。「飽き性の娘が一途だった人だから、感謝している。」アイドルの不祥事で心に傷がつく人がいる一方で、アイドルによって救われる人が多くいることも事実だ。

だからこそ、ファンとアイドルが共に健康的な活動ができる関係性を築く必要がある。インタビュー時にはもう二度とアイドルのファンにはならないと語っていた人々も、最後には新たなアイドルのファンになることを決断する。誰かのファンでいることは幸せなことで誰か1人のせいでその経験が奪われるべきではない。こうしてアイドルのファンでいることで、幸せを手に入れることができる人は皆「成功したオタク」と言えるのだから。

あんな体験をしたけど、もっと愛情深い人間になりたいと思う

アイドルだからと言って、非の打ちどころのない完璧な人間でいることは難しい。
ファンが求めるアイドル像と、事務所が作り上げたアイドル像の板挟みになるアイドルたちの精神的疲労は度々問題になっている。彼らがアイドルとしての「仕事」をしやすい働き方改革が必要なのかもしれない。

2020年5月、チョン・ジュニョンは第二審で懲役5年の判決を受けた。
今年3月19日には5年の懲役を終え出所をしている。

可愛すぎるポスターもたまらない


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