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フランスから、食関連ニュース 2020.09.16

今週のひとこと

もと3つ星シェフ、オリヴィエ・ロランジェさんとの会話から思うこと。

昨秋に、ブルターニュのレストラン・オーベルジュ「メゾン・ド・ブリクール」を訪れました。オーナーで、レストランは息子に任せている料理人のオリヴィエ・ロランジェさんと、海を眺めながら話をする機会を得ましたが、その時にロランジェさんが出版したばかりの本「美味な革命のために」をいただきました。本の中では、地球と人々の健康のために料理人がしていくべきことを22章にわたって綴っていますが、コロナ禍を経て読み直すと、その思いが、より差し迫って伝わってきます。

ロランジェさんは、フランスで発足した非営利組織「ルレ・エ・シャトー」のスポークスマンを務めています。「ルレ・エ・シャトー」は、創設当初より、心のこもったおもてなしや、質の高い料理、特色や個性のあるスタイルなど、厳格な審査をクリアしたホテル、レストランのみに加盟を許されますが、現在は世界中に500軒以上の加盟店が存在します。世界約 160 か国以上で展開するネットワーク「スローフード」とグローバル・パートナーをくみ、そのプロジェクト「Food for Change」に参画し、今年でそのイベントは3回目に。世界の食・伝統・ホスピタリティの多様性、豊かさを守り、継承していくことに情熱を傾ける「ルレ・エ・シャトー」のメンバーたちが、10月1日から4日にかけ、その場所に根ざした特別メニューを用意するなど、お客とともに地球の未来を考える、素晴らしい機会になりそうです。

昨年の7月、ロランジェさんと電話で話をしたときに、他ブログに綴ったことを、もう一度、ここに掲載したいと思いました。ロランジェさんにとって、「スパイス」は、人生のテーマであり、ブログの内容は、それについての考察。現在の世界の流れから考えると、東洋思想の可能性を感じざるを得ません。

今週のトピックスは、今週のひとことのあとに、掲載しています。【A】ハワイ料理のポキボール、パリジャンを虜に。【B】剣菱酒造代表の白樫政孝氏、フランスに向けた、第3回目の酒コンファレンス、9月27日に開催。【C】#AskChefsAnything、有名シェフとのプライベート対談競売のアイディアで、コロナ禍のボランディアの後は、ベイルート爆発事故支援に。【D】パリの名レストラン「タイユヴァン」のダブルMOF、辞職し、プロヴァンス地方へ。

ブルターニュ地方の名士で、海沿いの町カンカルそばでレストラン経営をされている料理人オリヴィエ・ロランジェさんと電話でお話する機会を得ました。ロランジェさんは1955年生まれ。化学のエンジニアを目指していた21歳のとき、暴漢たちに襲われ、四肢を失ってしまうかもしれないほどの瀕死の重傷を負って、数年の間、車いすの生活を強いられた。その中で、料理の道に惹かれていった。そして自分が住んでいた家「メゾン・ド・ブリクール」を、女手一人で守ってきた母のため、自分もずっと守り続けることを誓って、レストランにしたという数奇な人生の持ち主。2006年には3ツ星にまで導いています。ルレ・シャトーグループの副会長を務められ、海のサステナビティを守るためのコンクールを立ち上げたり、スローフードにも参加するなど、人道的な活動にも力を惜しみません。2008年に体の不調から、3ツ星だった自身の店を閉めましたが、オーベルジュとしての経営を続けながら、情熱を傾けたのはスパイスの世界。世界中の生産国を巡り、生産者と直談判をしてくる。今や取り扱うスパイスの数は1200種にものぼるそうで、そのスパイスと地元でとれる海藻などとブレンドをしながら、独自のスパイスを生み出している。スパイス専門店も立ち上げています。

今回の彼との話の話題はそのスパイスでした。世界を巡り研究熱心でらっしゃるからこその碩学で、いくつか面白い話をきかせていただきました。「ローリエはフランス人にとってaromate(芳香性のもの)で、スパイスとは呼ばない。シナモンはローリエと同じクスノキ科の内樹皮からとって乾燥させたものだが、これは我々にとっては明らかにスパイスだ。ところが、シナモンの生産国スリランカの人々の話を聞くと、反対のことを言ってくる。シナモンは芳香性のものであり、ローリエはスパイスだと。つまり、人は、海の向こうから、あるいは見知らぬ土地からやってくるものこそを「スパイス」と名付ける。スパイスは、夢想を抱かせてくれる、不思議な魔術を持つ存在なのだ」と。Orienter(方向を定める)という言葉は、orient(東洋、つまりスパイスの産地という)から発していると言うように、ヨーロッパの歴史は特に、遠い国を夢想させるスパイスの魅惑に虜になり、発展し、翻弄されてきたといっても過言ではないほどです。ロランジェさんがスパイスに情熱を傾けるのには、ルイ14世の治世最大の交易港となったサン・マロが、隣町でもあり、海を眼前にした立地で、つねに思いを世界へと馳せていた、そんな血が流れているからに違いないと思います。

そのロランジェさんが、日本に行ってある発見をされて驚かれていました。世界を制覇した胡椒に、日本人は翻弄されていないということ。塩胡椒を必ずテーブルに乗せる食文化は日本にはないという発見でした。ところで、日本の文献に中国から伝えられた胡椒が登場するのは、聖武天皇遺の品として献納された目録の中。ポルトガルが唐辛子をもたらすまでは、胡椒は山椒や生姜などとともに、香辛料として愛されてきたそうですが、そのあと唐辛子に制覇されたようで、唐辛子ははじめ胡椒の亜流として広がったそうです。確かに「柚子胡椒」とは言いますが、胡椒は入っておらず、唐辛子と柚子をベースにした調味料なのでした。しかしよくよく考えてみますと、日本における香辛料は漢方薬であり、調味のためのものではなかった。肉食ではなかったということもあるでしょうが、香辛料と比較できる薬味という概念は、近くにある自然の中からいただくもの。例えば山椒や大根、生姜、紫蘇、山葵、あるいは発酵調味料といった具合に。

「見知らぬ国からやってきたものを「スパイス」として珍重し、追い求めて、開拓をしてきた」西の国々とは異なる思想、身近の自然に神が宿り、料理は食材を生かすものといった発想が、日本には昔から流れているのだなと、改めて考える機会になりました。


今週のトピックス

【A】ハワイ料理のポキボール、パリジャンを虜に。

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