見出し画像

本の背骨が最後に残る/斜線堂有紀

■ 感想

「本の背骨が最後に残る」斜線堂有紀(光文社)P276

その国で所謂「本」とは紙に文字が刻まれたものではなく、本の名を請け負った人間が「本」となり、口伝により物語を紡ぐ。1冊の本がその身に刻める物語は原則一つまで。

しかし盲目の美しき装幀を纏った「十(とお)」は、その身に10の物語を孕んでいた。表題作である美しくも恐ろしい『本の背骨が最後に残る』で一気に斜線堂有紀の幻想の繭へと包み込まれ、本に執着する偏執者(へんしゅうしゃ)のように、そこにある耽美な物語に絡めとられてしまう。

素晴らしい表題作から更に幻想怪奇の深度を深める『死して屍知る者無し』。そのコミューンでは人間は誰しも死を迎えると動物へと転化し、永遠にこの土地で暮らしその役割を果たす。宗教的観念が装置として上手く取り込まれ、本質はいとも簡単に変容していることを気付かせる事無く巡ってゆく恐怖に浸される。

人の善悪問題の難しい根幹をバーチャルな世界と融合させ、斬り・啓く『ドッペルイェーガー』。婚約者に隠していた彼女の内側に幼少期から消えることなく根付く嗜虐性。現実世界では誰かに危害を加えるどころか、親切に優しく生きてきた。しかしその内側の嗜虐性は彼女を手放すことを赦さず、VRの世界だけでその嗜虐欲を満たしている。意識・嗜好・思考の問題と、理性を持ちそれに従う本人の現実生活はくっきりと区別されていてもそれは罪になるのか。

それぞれの嗜好はどんなものであれ、誰かに迷惑をかけることなく内側で楽しんでいる分には罪もなく、気持ち悪いと一刀両断されていいものでは決してない。人間の感情と愛情の複雑さ、その奥にある真実が滑稽でもある。誰しも同じ価値観を持ち得ないということの恐ろしい側面を見事に啓くその巧みさに惚れ惚れした。

病などで発生する人の痛みをその身に受けることで贅沢な暮らしを約束される「痛妃(つうひ)」の絢爛で悲痛な人生を描く『痛妃婚姻譚』。百の夜を華麗に舞、舞踏会の主役であった証の紅椿を支配人から受け取り続けること100回にして、壮絶な痛みを肩代わりする役から抜けることが赦される。その身の地獄を昇華させるように舞う石榴の凛とした哀しみの覚悟が美しい。

儚い夢のような『金魚姫の物語』。雨に憑かれた人の頭上にだけ死を迎えるまで雨が降り続ける「降涙(こうるい)」という不思議な現象。その人のところにしか降らない雨は涙に等しく、突然現れその人を永遠の雨に閉じ込めてしまう。泡のように立ち昇り消えゆくこの世の果てで金魚が見る夢は、哀しくも惚けるように美しい。

最後を締めくくるのは表題作の前日譚。一冊の本がその身に刻める物語は一つまでという不文律を破った十がその目を焼き潰された経緯が語られる。禁忌を破ってその身に十の物語を宿し、目を抉られた疵物の異形にしてこれ以上のない壮絶な美しさを誇る十が語る「姫人魚」。

王子に恋した人魚に足を与え声を奪った魔女は誰なのか。なぜ声は奪われたのか。人魚は王子を殺したのか。2冊の本が誤植持つのはどちらかを競う形でゆっくりと読み手を蟲毒に浸し、一気に物語を反転させる鮮やかさ。悍ましくも美しい物語たちに時に嫌悪しながらも、与えられた蟲毒は甘やかに酩酊へと誘う。

誤植持ちの本は焚書が運命づけられ、鉄の籠の中で焔にその身を焼かれる。残るのはクリーム色をした美しい背骨のみ。自らの中にただ一つ宿すとすればどの物語を紡ぐ本の背骨となろうか。本への偏執が彼岸へと身を焦がし、歪な詭弁の愉楽に揺蕩う稀有な体験ができる泡沫の物語。これは禁書(至宝)です。

■ 寄り道読書

<<<漂流読書>>>

■世界でもっとも美しい装飾写本
■世界の美しい本

斜線堂さんの生み出した本の世界があまりに美しく、大好きな本そのものを扱った美しい本たちを再読・積読ともに読みたくなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?