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幸せの顔

幸せは、不幸のフリをしてやって来る。

その幸せを、幸せとしてキャッチするのか、不幸と勘違いしたまま拒絶するのか。

その、感受性が今とても大切になっている。

今までには起き得なかったような事が、これからもどんどん起きてくる。

これからは、マイナスもプラスも存在せず、ただ自分がどう解釈するのかだけで、現実が展開する。


幸せに意味を渡すのは、ただひたすらに、自分自身なのだ。


その時に、大切な事がある。

それは、自分自身の解釈に腹が座っているかどうか。

徹底的に、自分自身の解釈に信頼を渡してやれるのかどうか。


自分自身を腹から信頼する覚悟を決めたものの作る現実は、透明で美しい。

どんな現実が目の前に形作られても、それは自分自身を決して裏切る事がない。


※丁度ここまで書いたところで私の現実にも、たった今ぷちガッカリな出来事が起きた(;´Д`)

動揺(笑)


信頼には信頼が帰って来る。

それは、当たり前過ぎる自然の摂理。


今起きたこのガッカリが、私にどんな意味を渡すのかも、その経過を楽しみながら観察してみる。


そんな世界を、腹を決めて楽しもう。




さて、自分自身を信頼することが[ない]とは、どのような状態を示すのだろう。

簡潔に言えば、自分で決めない選ばない事がそれに当たる。


自分の人生を、どう生きるのかを他人に委ね、人智を超えた存在に頼り自分を委ねる。


もしも、

親や周囲の人に[必ず]相談する癖がある。

周りの人の反応や顔色を[常に]見ている。

自分の事について占いの結果を指針にしている。

霊能者に依存している。

神の声が聴こえるのでその通りにしている。

等が日常の当たり前になっているとしたら、

それは[自分自身を信頼していない証]ではないかと、一度自分の気持ちを確かめて欲しい。


周りの人全員の本心や気持ちなんて分かるわけが無く、配慮しようと努力する事は潔く諦めて欲しい。


これは本当に驚く事なのだが、自分自身を信頼して、他人を慮る事を完全にやめた時にこそ

他の人の気持ちや想いが、じんわりと心に伝わって来るようになり、それに対して自分に温かな思いが湧き上がってくるようになるものなのだ。


だから、自分自身を後回しにしてでも思いやりのある人間になろうとする事をこそ、潔く諦めて欲しい。

自分自身を信頼し、自分自身を大切にしている人には、どう頑張っても、他の人を蔑ろにする発想すら、全く思い浮かばないものなのだから。



そこに、

本当に幸せをほのぼのと感じられる、世界がある。