見出し画像

親のいない世界で生きること。

2023/2/7(火)9:15 お父さんが亡くなった。

病にてリハビリ中の兄に代わり、私は喪主を務めた。

6年前に母が亡くなり、これで両親とも失い、違う世界で生きていくことになる。

父の死因は心不全。透析をしていたこともあり、病院の先生からは次はないですよ。と言われていたので朝方病院から電話がかかってきた時は、本当に死ぬんだなぁ…と不思議と冷静で。

ただ、なにを思ったか飛行機が早いのに新幹線で東京から佐賀へ向かった。

きっと動揺し、冷静ではいられなかったんだと思う。

父との連絡は前日もとっていたし、亡くなる1週間前にも会っている。

最後なんて話したかなぁと考えながら佐賀へ向かう新幹線の中で止まらない涙を拭いながら、新聞社への対応、葬儀の段取りを行っていた。

お通夜、葬儀と生前父がお世話になった方々、私の友人達、仕事仲間が来てくれて嬉しかったのを記憶している。

母の葬儀の時も私が決め事をしたので、比較的葬儀には慣れてきたようだ。(慣れたくはないが…)

父の死に対しては、持病もあり覚悟していたところはある。ただ思いの外、急で早かったために心がついていけていない。

母が亡くなってからそのままになっていた実家の2階や父が生前、散らかし放題で生活していた1階部分を全て片付けた。

きっと母が亡くなった時に、早く片付けとくべきだったんだと思う。

母の嫁入箪笥や、小さい頃からの私の作品、賞状やずっととっていた古い家電。

父も母も、モノが捨てられない人だったので広い一軒家にはたくさんの思い出が詰まっていた。

今回、業者にお願いをして全て片付けてもらい、思ったことが私は母が亡くなって6年間ずっと逃避をしていたんだなぁと感じた。

母を失ってからの父との関係は、決して良いものではなかった。

ケンカもするし、どうしても同じ空間にいるのが嫌だった。

父が亡くなったことで、私は両親に強く背中を押された気がする。もっと自分の人生を生きなさいと。

小さい頃、私はお父さんっ子だった。

いつも外で一緒に遊んだり、家でもずっと抱っこされていた気がする。

小学生から始めた陸上競技では、いつも応援にきてくれて中学生の時には父はPTA会長、私は体育委員長で一緒に中学を卒業したものだ。認めたくはないが、性格は良く似ていたと思う。

心の整理は正直なところ全然ついていない。
亡くなって1週間が経ち、東京にも戻ったが心身のダメージが思いの外凄まじい。。。

ゆっくり休んで…とも言われるが休み方がわからず。ずっと頭では考え事をしている。

たぶん、当面は呑んだら泣くだろうw 

自分の1番の味方だった両親がいなくなった…

どんだけ、私をたくましくしたいんだよー泣 なんて思ったりもしますが。

変わらず、たくましく生きていこうと思う。

両親の分も長生きして、楽しい人生を歩んでいきたいと思う。

今回ばかりは少し回復に時間がかかりそうですが、気長にお待ちください〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?