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凪 いつかの私の言葉たち

凪ぎっこな時もあれば

トンチンカンな時もあり

両刃な気分の時もあるの

守るものは人を弱くもするし

強くもする。

弱みにするのか強みにするのか。

なんかまとまらないし、

語尾が変なのは、
私がわたしと切り離して

書こうとしてるからだと思う。


渦巻いてる感情から離れて

書いてるから
すごく他人事みたいに

見えるんだけれどね。

うれしかったのかもしれないし、
いまさらなのかもしれないし、
やっとなのかもしれないし。
うまく繋がらないこの感じは

とっても懐かしい感じ。

でも今のそれは怖さや悲しさ、

所在なさではなくて

とてもあたたかなもの。

感じたくて
触れたいものなのかもしれないのに
うまく触れることができない感じで
とてももどかしい。
慣れないものは感じることもできないらしい。 


だから私はこれから
この慣れないものを
たくさん受けとるだろうと思う。

めくるめくように何度も繰り返しながら。

それはすぐにわかること
であるかもしれないし
とても後から知ることかもしれない。

そして私がそれを
認識するかしないかに
限らずあるのだろうと思う。

なんだか相当まとまらない加減が
笑えるけれど
わたしはきれい事だけを
ここに羅列していきたいわけじゃない。

最低な時間も
最低な経験も
ないに越したことはないけれど

それを知ることも経験することもなく
満ち足りていれば、
たぶん誰かのその深みに共鳴することも
心揺れることも感じることは
できなかったと思う。

だからそこからはじめることは
わたしは自分で
選んできたのだなと初めて思った。


闇ならばその深みも

光ならばその瞬きも


ありがとうという言葉も
愛という言葉も
とても狭義に囚われるけれど
古典とか詳しくないから
すごく想像だけれど

この奥ゆかしい微妙な日本語には

きっともっともっとこういったことを
やわらかく表現できる言葉が
あるんではなかろうかと思う。


ただ
言葉に心がちゃんと乗っかってる感じ。

ありがとう。

心が伴わないコトバは
ただの記号でしかない

心からの言葉でこそはじめて
意味をなし広がる

とっても軽やかに出てくる言葉

心からありがとう

ここにたどり着けた私に
振り返れる今に

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