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ショートショート022『ラッキー・ライラック』

「ライラック味のアメ!?」
そう和貴(かずたか)に声を荒げられて、私は「あぁ」と思った。
この人は覚えていないのか。

このライラックアメのパッケージは、私が学生時代にデザインしたものだ。
締め切りギリギリでなんとか手書きで描きあげ、学生最後のコンペに出品し、入賞た作品だった。
副賞に作品の商品化が付いていたが、北海道の小さな会社での地域限定販売のため、そもそも応募数が少なかったらしい。
商品化が決まってから、担当者との雑談の中で聞いた。
やるせない気持ちにはなったが、少数でもその中から選ばれたのだ、と思えば実績と誇りにはなった。
商品が完成したとき、和貴も喜んでくれた。お祝いにホテルのレストランで食事したのに……。

和貴と付き合ってそろそろ3年になる。
その間にお互い就職し、社会人になった。
和貴は希望の上場企業の営業職に、私は中小企業の事務職に。
美術の世界からは離れる結果になった。
大学で嫌というほど他人の才能を見せつけられて、何度も心が折れた。だから仕方なかった。
そのあたりから和貴の雰囲気が変わったように思う。
社会に揉まれ始めたのだから当然だけれど、チョイスするものや良いと思うものが合わなくなった。
私は嫌われたくない気持ちが働いて、どうしても和貴に合わせるようになっていった。

そんなときの、札幌・小樽旅行だった。
運命の出会いというのは、本当にある。
私は、小樽のガラス工房で強くガラスに魅了された。
固く鋭く触るだけで怪我をするガラスが、溶けて熱くなり、遠心力で形作られ、色が入り、模様が入り、そして冷えれば美しく輝き、さらにそれを使うことができる。
職人の一連の動作が、全身でものづくりを表現しているように強く感じた。
ーーお前は美大まで出てなにをしてきたんだ。
そう叱られているような気がした。

そんな私に和貴は気づかない。
難しいうつわ作りを選んでいたが、手に負えない部分はすべて職人へ渡していた。
ガラスの色選びから職人任せだった。
私はこの人といたら、ダメになる。
直感というのは、絶対に当たると思う。

私はグラスを作る前にあのアメを口に入れ、噛み砕いた。
真剣に吹きガラスに向かいながら、自分の決意を吹き竿に込めた。
きっとこのグラスを私は手にしない。勝手な妄想をしながら、溶けて赤白くなったガラスを回す。
彼がいつかこれらを取り出して、何かの拍子に割って、ライラックの香りが突然したら、びっくりするだろうと。
そう考えると少しスッとした。

旅行最終日。
再び札幌の大通りを歩いていると、鉢植えのライラックをイベントで配っていた。
手渡されそうになったが、機内に持ち込めないので断った。
だけど、私はその鉢植えライラックの花びらが5枚あることに気づいた。
「ラッキー・ライラック……?」
鉢植えを持った女性がぱっと明るい顔になった。
「わぁ、道外の方なのにご存知なんですね。ライラックって通常花びらが4枚なんですけど、この子は5枚ある花が付いてて。とてもめずらしいので、それを見つけるとしあわせになれるって言われてるんですよ」
最後の方は、花に詳しくない和貴に向かって説明してくれた。
「へー。女性はそういうの好きですよね〜」
じゃぁなんとかして持って帰ろうとかは、冗談でも言わないんだな、と思った。
こんな会話、きっと10分後には完全に忘れているんだろう。

私は写真だけ撮らせてもらって、帰路へついた。
このタイミングで見つけたラッキー・ライラック。
自分の決意は間違っていないと確信した。

帰ってからすぐに留学準備を始めた。
美大の受験よりも勉強したと思う。そのさなかに、和貴から電話が入った。
「この前作ったガラスが届いたら、紗和のうちでご飯食べたいんだけど。どのくらいで届くんだっけ?」
ほとんど職人が作ったガラスのうつわ。そんな芸術品に私の料理なんて似合わない。
「あー、うん。いつだったかな。調べてまた電話するね」
それが彼との最後の会話だったように思う。

運よくベネチアへ留学できるようになった。
なにかこのスムーズな流れに、神がかったものを感じしてしまう。
もちろん、留学コーディネーターにゴリ押ししていたというのもあるけれど、このコーディネーターのカオルさんがとても敏腕だった。
それから3ヶ月も経たないうちに、私はイタリアのガラス工房でミルフィオリを売るバイトをしていた。
もちろん、バイトが終われば現地の職人に混じってガラスを学ぶ。
いつも怒られるけど、まだイタリア語が聞き分けられないから、怖くはなかった。

イタリアでもライラックは咲くらしい。
私がここへ来るきっかけを職人と身振り手振りで話ているときに、あっと気づいた。
「私、彼氏にイタリア留学すること言って来なかったわ」
職人たちは猛烈に驚いて、私にスマホを持たせて、工房の外へ追い出した。
早く連絡しろということらしい。さすがイタリア。
私はスマホを取り出して、LINEを開いた。
伝えることは決まっているけど、せめて写真くらい送ろう。
スマホの写真アプリから1枚選ぶ。
イタリア行きの機内から見えた夕焼け。
それは、ライラックのように濃い紫色だった。

だけど、私はライラックにはいろんな色があることを知っている。
きっかけをくれたその花とガラスのように、自分の中にいろんな色があることを何よりもまず一番に知りたいのだ。

<了>

\ 前日のお話と対になっています /


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