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渡瀬裕哉著『社会的嘘の終わりと新しい自由』すばる舎刊 7回読み達成!減税アクティビスト&斎藤一人愛弟子としての読書感想

はじめに


 自由に生きるために。著者はそのことを願い、読者にむけて自分のこれまでの激動の半生から、今の日本社会で”自由に生きる”ための必須項目を抽出し、この本にいままでの全てを込めた。一方、私の減税活動は、それが政治的社会的に「自由」を求める運動だと知り、21世紀にピッタリのテーマだったことは、活動のモチベに大きく影響している。
 リバタリアン、という言葉も著者を通じて初めて知った。著者自身は「ややリバ(タリアン)」だそうだが笑、自由主義者であることは疑いが無い。
  私は、もともと斎藤一人さんの愛弟子「玉龍(ぎょくりゅう)」454番としての生活を基本としている。斎藤一人さんの教えはまさに、愛とは自由、なのだ。そんな私が、なぜか愛してやまない渡瀬裕哉氏が語る権威主義と自由について書いた本。7回読みする!と決めた。そして2か月を経て7回読み達成! 

1.7回読み、とは


 斎藤一人さんの本以外では初めての挑戦だった。7回読むと血肉になるよ。という教えによる。なぜ7回なのですか?と問うと、一人さんの回答は「6回ではダメだからです」……笑
 1回目は実本、2~6回はkindleで。7回目はkindleと実本の両方で。
kindleにはたくさんハイライト(マーキング)とメモを残した。

著者サイン


 メモには、質問、チェック(誤植など)、意見、ユウヤ皮肉、ユウヤポエム、などと見出しをつけた。詩的な表現がたまにある。ご本人が、いずれ小説を書いてみたい、とどこかで話していたのを思い出した。 そういえば、同書にも未来の自由度が高まった日本に生きる寓話が5編ほど書かれていた。アニメが大好きなユウヤ様が描くシニカルで社会心理学的な恋愛小説、な~んて読んでみたいものだ。
 1回目はざーっと読む。毎回、あまり根を詰めないように読む。それでも7回読んでいく中で、毎回新しい発見があった。また、用語を深掘りして調べてみたり、自分の考えと比較してみたり、著者との対話をしている実感が湧いてきて、読書する楽しさが増したような気がした。数冊並行して読んでいたが、それらも読書意欲が湧く相乗効果があった。

では、本書の感想について記そう。

2.権威主義について 

権威主義2.5の指し示す意味

 本書では、日本を権威主義2.5と表現している。私は最初、2.0から3.0に向かう過渡期、という意味に捉えていて、少しモヤモヤしていた。何度か読むうちに、数値は進度ではなく、濃度、色彩、だと気づいた。2.0の政治がポリコレの価値観(+0.5)で行われている、という理解でよいだろうか、著者に尋ねてみた。著者も、そうですね、との返事だった。
 日本が権威主義2.0+0.5(ポリコレ色) であることを示す例として、本書では「児童福祉法」が挙げられている。その成立時の状況から、改正を繰り返しつつ、今日まで”正しい”価値観がポリコレ色に染まってきたことがよく分かる事例である。

日本国憲法そのものが社会的嘘なのでは


 「児童福祉法」のみならず、法律は日本国憲法が根拠となる。たまたま同時並行で読んでいた、倉山満著『誰が殺した日本国憲法』を読むと、日本国憲法こそが「社会的嘘」の集大成、なのではないかと思った。憲法9条をめぐる喧噪、自衛隊派遣での右往左往、解決しない拉致事件には、政治にそこまで関心がなかった当時でさえ、今思えば日本社会に「閉塞感」を感じていたのだ、と気づいた。
 その日本国憲法を改正するために結党されたのが自由民主党であったはずだ。しかし、田中角栄によって社会主義的福祉政策に邁進し、党は世襲議員によって支配されていることが、日本政治に権威主義2.0(民主主義の衣を被った権威主義)の称号を与えていることがよく分かった。
 

人が最初に出会う権威は親

 著者は政治が社会に及ぼす権威主義の状況と、それが国民に与える影響について述べている。大人も子供も、その立場なりに影響を受けているはずだ。とりわけ子供の生活を想像してみた。この世に生を受け、最初に出会うのは、ほとんどは両親であり、物心つけば家族の中にある自分に気づく。経済的に、または体力的に親に負けているうちは、たとえ理不尽な親であっても、逆らうことはできない。心の優しい子供は、親の期待に応えようと頑張り、正直な不満を無意識に押し込め、反抗期を経ずしてオトナになるケースも多い。しかし、反抗期は通過儀礼であり、これをスルーしたまま社会に出ると、何か自分の人生を生きていない閉塞感にぶち当たる。これが劣等感、である。この劣等感があると幸せになれない。このような心理学的な意味合いからも、まず、最初に出会う権威が親、であり、その親が正解として子供に押し付けるのは権威主義的な行為である。
 その親自身も、生まれた時から同じ道を歩んでいる。大人になり、権威主義2.5の国に適応した社会人として生きている。しかし、それは仮の姿であり、家庭に帰ればその親は、もしかしたら、権威主義1.0に後退するかもしれない。家庭では親は絶対的な権威(王様、ルールブック)にもなり得るからだ。反抗期はまさに、親の権威をいったん否定し、自分で価値観を作っていくことである。これがしっかりとできたなら、社会にまん延する権威主義を上手くやり過ごしながら、抜け目なく自分探しができる柔軟なオトナになれる素地はあると思う。

3.自由に生きるために


人は権威から逃れられない

 本書の3章までは、権威主義の変遷と、これからの社会の可能性に言及されている。DAOによる仮想自治体や、仮想通貨による越境政党など、おそらくそれは近い将来実現することだろう。それは、現在よりも「自由度」は格段に上がることは間違いが無い。しかし、人は一人では生きられない。自律分散が進む過程にあっても、必ず共同体(グループ)が大なり小なり形成されるのではないだろうか。そのとき必ずその共同体には「リーダー」が存在すると思う。「権威」を「ブランド」と言い換えてもよいかもしれない。
仮想通貨においても、それが認知され、利用されるには「信用」というブランドが必要だ。
 これは夢物語だが、人類の目標は、その共同体が極限まで小さくなり、「孤独」ではない個人となり、個人は自分の中に自分だけの「権威」を見出し、それに従って行動するようになることではないだろうか。その「権威」を「魂の命じるところ」または「使命」と言い換えたい。それは、クロスワードパズルが全て正解した状態、言い換えれば、地球上の人類が絶対的に調和した状態。究極の適材適所である。そういう意味で、人は権威からは「逃れられない」と考える。

自由のための方法論

 4章では、具体的にその方法が書かれている。私の根底には斎藤一人さんの教えが刻まれているので(宗教ではないが、信仰といってもよいだろう)、その観点で読み進めた。それは、著者としては不本意かもしれないが、あまりにもその「信仰」と合致する点が多かったのである。
 いくつか、その合致した点を示したいと思う。

著書からの引用⇒ 斎藤一人さんの教え、言葉)
 
中央集権 的 では なく、 他者 から 価値観 を 強制 さ れ ず、 自ら の 意志 で 人生設計 を 描く こと が できる 社会 が「 自由 な 社会」 だ p171

⇒ 唯一必要な平等は、「職業選択の自由が平等にあること」だけで、神は公平、平等、を嫌うんだよ。

中心性⇒魂、真我

人間 が 他者 に 自ら と 同化 する よう に 強いる p185
⇒他人を変えようとすると地獄だよ。他人は変えられないよ。

究極 的 には「 その 人 自身 の 存在価値」 が 問わ れる p.248
⇒ これからの時代はね「あなたから買いたい」と言われるようなプロにならないと成功しないよ。魅力が大事なんだよ。

「認知 的 柔軟性」 とは、 状況 の 変化 に対して 過去 に とらわれ ず 柔軟 に 判断 を し て いく 能力 で ある。 p258
⇒今が最高、今が最低。過去は変えられる。

第三 に「 決断力( デタミネーション)」 も 重要 な 能力 で あり、 決断 の 速度・精度 を 上げる こと を 意味 する。p260
⇒迷っちゃだめ。頭で考えない、なんとなく、を大事にする。そのために機嫌を良くする。遅いだけで失格。スピード命。成功者はせっかちで臆病。日頃から訓練する。レストランでメニュー見て、迷わないで決める訓練推奨。

こんな感じで、4章は特に、マーキングだらけになり笑
私の勝手な読み替え、だが、4章に書かれていることはほぼほぼ、斎藤一人さんの教えに合致していのだった!

4.減税活動は自由の試行だった件

 この3年間を振り返ると、私の減税活動はまさに第4章「自由な社会」の人生の生き方をなぞるような出来事だったような気がした。

 令和2年4月に突如始まった減税活動。twtitterでの指示をすぐに実行した(自己連続性、敏捷性)。それはワタセユウヤアカウント中の人に、「あやさん」という小さな浮世絵アカウントを覚えてほしい!という下心?笑が大きな原動力だったし(心理選択)、日々情勢が変わる政治の世界にコミットしているリアル感が、なぜだかワクワクして、全てがトントン拍子で。もしかして、これは私が神様と約束してきた使命なのか?と思う(自己連続性)ほどで。魂から突き上げるような何かに動かされているような感じだった。
 その間に参政党に入党と離党、SNS上でのグループができてきて、仕事、それまで続けている趣味も継続し、倉山塾、救国シンクタンク、一国民の会、と所属するグループも増えた(会員制)
 私の変化に、家族はとまどい、不安がる子供たちや夫に、本当のことを言ったところで理解してもらえないと考えた(他者理解力)。なぜなら、私はこんなに楽しくてワクワクして幸せ(心理選択)なのに、それを理解しない家族のほうがオカシイから(自己分析力、他者理解力)。その不安は、私への愛ではなくて、保身に過ぎないことを見抜いたから(他者理解力)。そして、これが私の使命ならきっと家族もわかってくれる日がくると確信していた(認知的柔軟性、強靭性、自己連続性)。だから、説得や弁明を一切せず、ただただ突き進んだ。。。
 このような心理選択の支えになったのは、言うまでも無く斎藤一人さんの教え(読書)だった。。。。

5.おわりに

 ここまで書いて、ふと副題に目が止まった
「2030年代の日本をどう生きるか」
 今は2023年7月である。これから17年くらいまでを見通した論考、ということなのだ。さらにその先、2040年代、日本はどうなっているのだろうか。
 変化のスピードがものすごく加速している。 これからは陰と陽が統合し、上昇する時代。地球村が完成する、と斎藤一人塾で伝えられている。対立ではなく、統合によって上手くいく時代。闘いではなく、協調によって上昇する時代なのだ。政治的にどのように実現するのかは私一個人では計り知れないが、まずは自分が、本書の4章にあるような自由な生き方を選択できる人間でありたいと思う。

 「スピリチュアル」「魂」という言葉は、なにか怪しいもの、偽物の商売品というイメージをもたれている方も多い。この本の著者も普段は「スピリチュアル」を好意的には使っていないように思われる。
 しかし、あとがきの3行は、私に言わせれば笑 まさに「スピリチュアル」なのだ。スピリチュアル、とは本来、私はこの地球で何をするために生まれたのかを知る、ということだからだ。それは、まさにこの本で伝えたいことではないだろうか。そのためには「自由であること」が必要なのだ。
 あとがきの3行の「自由」を「神様」と言い換えてみた。

神様は、あなたのすぐそばにいる。あなたが気がついていないだけ。神様はあなたが気がつくのを待っている。

 …… きっと著者は許してくれると信じている。

減税あやさん

追記
カバーの黒からグレー、黄色、と変化するのは、
闇のような権威主義1.0の世界から、だんだんと曖昧な権威になり、
最終的には、太陽の光に照らされた明るい未来があるよ、という暗喩かもしれない、と思いました。




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