見出し画像

9.まっすぐ立たせてくれる場所 ~古事記~

古事記との出会いは、赤坂のビジネスホテルの部屋でした。友達の結婚式のために前乗りして泊まった所で、ベッドサイドの引き出しに入っていたのです。今思うと、皇居が近かったからですね。

冒頭に、「たくさんの神様が出てきますが、名前は覚えなくていいです」と書かれていたことで読む気になり、後日すぐ本屋さんへ古事記の本を探しに行きました。

まず読んだのは、これ。

『イラスト版読み出したら止まらない古事記』
島崎晋

衝撃でした。
神様たちがみんな個性があって面白い。それからもっともっと知りたくて、古事記→日本書紀→神道→世界の三代宗教→仏教→憲法の本へと流れて落ち着きました。

それまで、恥ずかしながら、神社は駆け込み寺のように使っていました。何か良くない事があると神社へ参る、おみくじに一喜一憂するみたいな。
でも、神社に行くと良い空気を吸えて背筋がピンとするというのは、それはそれで大事なことだったように思います。

神様は天皇様という存在の背景として人間が創り出したもの。それがはっきり分かったことで、神社との関わり方は変わりました。

それからは、行った先々で祀られている神様を見ては、あの神様かぁと、親近感を持って見たり、知らない神様がいたらどれどれと調べたりして楽しんでます。
結婚式も、地元にゆかりのある神様の所を選んで、神前式をしました。

古事記を知ることで、日本には神道があり、他の国ではまた違う宗教があるという、自分の国を知るきっかけとなります。
宗教を知ると、自分の宗派がどんなものか気になり、お寺さんとの関わり方が見えてきます。そして、それは死を意識することにもなり、死後の世界のことやどんなふうにお葬式が行われるかを知ることにもなります。
他の国との違いが見えてくると、日本は憲法というものでどんな国を目指しているのかが見えてきます。

古事記の内容を知ることで、自分自身を知ることと同じように、自分の国を知ることもまた、自分の生活や価値観を一新することが分かったのでした。
そして何よりも、日本という国が好きになりました。

自分の居る場所のことを知るって、意外とできていないものです。

神社を良い意味で崇めなくなった今は、闇雲に神社に駆け込むことはなくなりましたが、神頼みが掃除道という手段に変わっただけです。

誰かに何とかしてもらおうとしても、自分がすっきりまっすぐ立っていないと良いリズムにならないことに変わりはありません。
神社は私をまっすぐ立たせてくれる場所だったんですね。

究極、空気の良い所で思いっきり深呼吸をする。これができれば良いのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?