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「音楽をやる」とはどういうことか

日本人の、ブラジル音楽グループの演奏動画をたまたま見かけました。
とても悲しい気持ちになりました。
勢いのまま想いを綴ります。

それは「ブラジル音楽」ではない

ご自分たちで作曲なさっているようでした。
メロディラインが、日本語でした

ヴォーカルの方のポルトガル語は、
発音はもちろん「何も学んでいない」という感じでした。
しかし、それよりも気になったのは、
「ポルトガル語」で歌っているのではなく、「カタカナを読んでいる」と感じたところです。
ご自身は意味を理解して歌っていると思いますが、それを伝えようという気持ちは感じられませんでした。
「ポルトガル語を話していない」のですから。

もし「これで歌詞の意味を伝えている!」と思っていらっしゃるのでしたら、
根本的に考え直していただきたいと感じました。

歌い方、つまり発声も日本語発声で、
「メロディーに言葉を当てにいく」という感じでした。
私が常にお伝えしている理念と、全く逆です。

ポルトガル語のグルーヴどころか、
アクセントやイントネーションすら意識していませんでした。
「その歌い方を会話文に直したらとんでもなく訛っているのに、気付けていないんだな」
と感じていました。

ご本人の歌(声)の領域などがあることは承知していますが、
「その発声法ではポルトガル語は喋れないだろう」という印象でした。
つまり、やっぱり
「日本語でブラジル音楽を歌っている」「日本語でポル語を歌っている」
ということなのです。

私もそうですが、
日本語で歌う時とポルトガル語で歌う時、
歌い方が全く異なります。
呼吸も声の出し方も口の開け方も、調音点の調整も、何もかもが違います。
そして生徒さんも、「歌い方を変えないと歌えない」という状況にならざるを得ません。

「ポルトガル語で」出せない領域なのであれば、メロディーラインを変えるべきです。
それは単に、ご自身の「声の領域外」です。
日本語では領域内でも、ポルトガル語では領域外です。
そういうことが普通に起こりえます。
発声法がまったく異なるのですから。

ポルトガル語を殺してまで自分の好きなように音を並べて、どうするというのでしょう。
しかし、きっと、そのことすら気付いてないと思います。
だから、発音の勉強を、少しでもいいからしてほしいのです。

「綺麗なまま」で歌おうとしていては、ブラジル音楽の魂は表現できないと思ってください。

ブラジル音楽に携わるための最低限の知識とスキル

そもそも、ご自分たちで作曲なさっている場合、
メロディーをポルトガル語に当てはめた時に「なんか変だな」と気付けないといけません。
日本語話者ですから、どうしても「日本語」感覚で、
「日本語」に当てはまるようにメロディーラインを作ってしまいます。
しかし最終的には、ポルトガル語に当てはめられるように
音符の長さを変えたりラインの移動先を変えたり、ご自身のポルトガル語の発音スキルに合わせて調整しなくてはいけません。
「ポルトガル語のグルーヴ」を理解していないと、それすらできません。

私は以前、アニソンをポルトガル語に翻訳して歌っていましたが、
どうしてもポルトガル語が言いにくいという箇所は、
メロディーラインを勝手に変更していました。
また、セーラームーンやドラゴンボールなどの有名なアニメの楽曲は、
既にブラジルで「ブラジル用オリジナル歌詞」が公式的に作成されています。
その楽曲たちを聴いてみても、
「確かにこのメロディーラインでその単語は言いにくいよな」という箇所は、
日本語のオリジナルメロディとは変更されて歌われています。

ディズニーの楽曲も、歌いにくい箇所は英語のメロディーから変更されています。
(様々な言語でディズニー映画を観て理解しましたが、ポルトガル語に限らず、メロディーラインの変更はどの言語にも起こっている現象です。というか、そうしないと歌えないのです。)

このように、
「日本語とポルトガル語は、メロディーの当て方が違う」
ということも、ブラジル音楽を始める前に認識していただきたいことだと考えています。

音楽をやる理由をもう一度考えてほしい

ポルトガル語やブラジル音楽を知らない方が聴けば
「珍しい!」「英語じゃない!」「かっこいい!」
という感想を得れるかもしれません。
しかし私のような、少しでもブラジル音楽を知っている人からすると
「無料で聴けたとしても、聴きたいとは到底思えない」
という感想を抱いてしまいます。

少し厳しい発言になりましたが、本心です。

それぞれの活動理念がありますので、もちろんそちらを尊重するべきだと思います。
ただ私は、ポルトガル語の本質を知らない状態で演奏して、ブラジル音楽に対して失礼だという気持ちはないのか?
と感じてしまいます。

「音楽をやる」とは

「音楽を演奏する」とは、なんでしょう。
私は、「楽曲に自分の魂を捧げること」だと思っています。

少し大袈裟ですが、要は「その楽曲に込められた作曲者の想いを、自分の方法で表現させていただく」ということです。
あくまで「作曲者への敬意」が中心です。
どれだけすごいテクニックをお持ちでも、人気があっても、自分を「捧げる」というスタンスがないのであれば、ただの独りよがりになってしまいます。

それは表現者、みんなそうだと思います。
私も俳優業をやっていますが、やはり「自分を通して、作品に台詞を捧げる」という感覚が常にあります。
台詞の言い方も、「自分がこう言いたい」のではなく、「この作品はこのキャラクターにどんな役目を与えて何を言わせたいのか」を念頭に置いてから構成していきます。
作品に向かって全員が走っていくから、素晴らしいステージが完成するのです。

ブラジルはキリスト教の国

物理的な発声や発音、グルーヴの捉え方もそうですが、精神的な面でも「日本」から脱出するべきだと私は考えています。

音楽と哲学と宗教はいつも密接に関わっていると聞いたことがあります。

ブラジル音楽は特に、そういうスピリット的な感覚を持って取り組んだ方がいいと思います。

ブラジルはキリスト教の国です。

「危ない国」という印象が強いため、意外かもしれませんが、日本では信じられないような「愛の心」が街中に溢れています。

無宗教が悪いとは言いませんが、
「信仰心がある人たちが作った音楽」「そういう国で発展した音楽」
であることは念頭においておく必要があります。

そもそもサンバは、黒人奴隷たちが生み出したものですが、
アフリカの宗教音楽が発展したものです。
サンバカーニバルも、キリスト教の「謝肉祭」の期間に行われます。
ここまで宗教の影響があるのです。
「その精神から生まれた音楽だ」という歴史も考慮して音楽を感じなければいけません。

おそらく彼らも、「神様に音楽を捧げる」という信念で楽曲を作っていると思います。
それも、無意識レベルで。
生まれた時から「神様」の存在を身近に感じるような環境で生きているのですから、
私たちからすると考えられないほどの「神様への信頼と愛」が根底にあると思っていいと思います。

自分の存在意義を問いました

偶然は必然だと思っています。
SNSでたまたま流れてきた動画にこれだけ熱くなったということは、
「私は多くの人にポルトガル語を届けないといけない」という想いを増幅させるチャンスを与えられたと感じました。

ブラジル音楽に携わっている全ての日本人の方に、ポルトガル語の大切さを伝えて、
日本におけるブラジル音楽のジャンルがもっともっと発展していってほしいと本気で願っています。

私も自分の「ことばの理論」を、皆さんに「捧げたい」と思います。

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꧁愛マリアンジェラ꧂
著書
『日常ポルトガル語会話ネイティブ表現』(出版: 語研)
※共著

HP
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所属事務所 (声優/ナレーター)
株式会社FIREWORKS

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