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大晦日

寒さに身を縮こませ
駆け足で家路を辿る
吐く息は白く揺らめいて
すれ違う人もまた
白い息吐いて背中丸めてる
普段ならただの冷え切った寂しい夜も
今日は何だかその光景すら愛おしい

年の瀬が訪れると
なんだか不思議な匂いを感じる
落ち着くような懐かしいような
すべてを肯定してくれるような匂い
ふんわりとしたベールが
そっと夜を包み込んで
誰にも縛られなくていいよと
束の間の自由を与えてくれる

この1年に対する諸々の後悔と
次の1年に対する多大な期待を
街を切り取る視界に反映させて
今日は特別な日だから
君の弱さを隠さなくていいよ
「お疲れさま」って声かけて
過去を大事に抱きしめてやろう
そして優しく解放してあげよう

365日という区切りを終えて
次に訪れる1日を
完全なる新たな1日目とは
言えないかもしれない
それでもこんな風に
何でもないはずの1日を
意味のあるものに変えられるのは
とても美しい奇跡だと思う

それぞれの過ごし方で
新鮮な風を肌に感じて
始まりを静かに祝おうか
1年の暮れの賛美歌
どうか素敵な年になるように




 子供の頃、年越しの過ごし方といえば、母親と兄と共に、近所のお寺で除夜の鐘を鳴らすのが慣習だった。
 家からお寺までの、深く静まり返った夜道を、白い息弾ませて歩いたことや、お寺のつるつる滑りそうな階段を厳かに歩いたことなど、今でも鮮明に思い出せる。
 鐘木からぶら下がった、ざらりとした感触の太い縄を手に取り、せーのと言って打ちつけた鐘は、この街中に響き渡り、僕の全身がびりびり振動するような感覚がした。鐘を一つ鳴らすごとに煩悩が一つずつ消えていくという言い伝えは、本当なのかもしれないと、鐘の音に呼応する身体で感じていた。
 鐘を鳴らした後は、境内でお参りをし、おみくじの結果に一喜一憂し、甘酒で身体を温めながら、年越しの瞬間をそわそわと待っていた。
 他の家族連れやカップル、半纏を着たおじいちゃんたちもその瞬間を待ち望んでいるように見えて、子供も大人も老人も、みんなが新年を迎えるのを心待ちにしていることが、なんだか奇跡のように思えた。
 この瞬間がずっと続けば、世界は永久に平和なんだろうなとか、子供ながらに想像を膨らませていたし、なんなら、今でも本気でそう思っている。
 そうして、無事に年が明けたことを確認したら、家に帰って年越しそばを食べる、それが我が家の年越しの慣習だった。

 今ではもうあの頃と住んでる場所が違うし、家の近くにお寺はないから、除夜の鐘を突いたり、音を聞いたりすることもないけれど、それでもこの時期、目を閉じればあの時の光景や振動がたしかに感じられるのは、やはり自分の中で特別な何かとして残っているのだろう。僕だけじゃなくてきっと人それぞれで、大晦日に対する特別な何かを抱えていると思う。
 過去を全て清算できるわけではないのに、明日から始まる新年に胸弾むこの感触を、僕はこの先も大切にしていきたい。

 新年からは、やりたいこと、なりたいものに向かって、着実に、丁寧に1日を終えていきたい。
どうせ出来ないよ、とか言わないで。思わなければ何も始まらないから。
僕も、君も、素敵な1年を送れますように。

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