込められている意味

文化や伝統や慣習には、これって必要なのか、というようなものが沢山在るかもしれません。なぜそう思うのか、それは、その文化や伝統や慣習に込められている意味を解っていないからだと思います。なぜそれが作られたのか、それを考えてみれば、殆どの文化や伝統や慣習には腑に落ちる意味が込められていると感じる事が出来る様になるのではないでしょうか。

私が思うに、真面目な人ほど伝統や文化や慣習に関して疑問を持つ人が多いように感じます。もちろん真面目じゃない人も何かしらの違和感を感じていると思いますが、それほど気にしていない、といった印象を受けます。

例えば上座下座という様なものは、昔は本当の意味で偉い人が中心(上)の役職につくのが多かったのではないでしょうか。しかし現在では余り尊敬出来ない様な人が上の役職に付くようになり、下の人はそれに対して納得出来ないようになってきたのだと思います。要は上座下座という文化を残したいのならば本当の意味で偉くなればよいだけで、それができれば強要などしなくても自然と下の人たちは上の人達を尊敬するようになるのです。

いただきます、もそうではないでしょうか。私はいただきますにはどういう意味が在るのか誰からも教わらずにきたので、ほとんどいただきますは言いませんでした。ですが、いただきます、をなぜ言うのかを自分で考えたとき、理由が解ってきました。

恐らくですが、いただきます、には、私が生き長らえる為に食材となるものの命を頂くという行為に対して、申し訳ない、という気持ちと、食材を育んだ自然に対する感謝の気持ちなどを、確認する為に言うのだと思います。

日本には食事そのものを楽しむというのは良く思われてこなかったのではないでしょうか。食材となったものに対して失礼としていたからではないでしょうか。家族団らんで食事の時間を楽しむのは良いと思います。ですが、食事という行為そのものは、楽しむものではないと思います。

こういった事が解った上で、かつ、思いやりの心があれば、いただきます、と言う事に抵抗はないと思います。

何にでも言えることですが、腑に落ちる説明もなしに、何かを強要すれば、些細な事であっても反発が生まれるのは当然です。そして、子供の頃に、こういった強要を許容してしまったら、大人になるにつれ、自分を出せない、人の言いなりになる様な人になってしまうのではないでしょうか。今の世の中、こういった事を教えてくれる人がなかなか居ないから、道に迷ったり踏み外したりする人が出てくるのだと思います。

私は、一人でも多くの方が、こういった事に気付き、自分自身を自分で救えるようになり、また別の誰かを救える様な人になって頂ければと願うばかりです。

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