⑨大好きな母、永井先生との出会い


母が入院して直ぐ、叔母に、


自分の部屋からある物を持って来てくれ!

と言っていた。

叔母が、コインの様な物を持って行くと、

大事そうに握り締めていた。

「それは、何?」

と聞くと、東京の横内先生が作った電磁波ブロッカーで、


有害電磁波を遮断する物らしい。

人体は有害電磁波を浴びると、(気)が停滞する。
(気)の停滞により、色々な病気が出て来る。

文明が進歩すればする程、電磁波被爆は増加する。

電子レンジ、ホットカーペット等の家電製品の他、携帯電話や、パソコンを持つ人が多くなり、5Gも、出てきた。


この先白血病、脳腫瘍、癌は増え続けるだろう。

この電磁波ブロッカーを、


船井幸雄先生が持っていて、

「東京の横内医院に行けば、末期癌でも怖くないですよ!」

と言ったそうで、知り合いが

(癌)になったら、教えてあげようと思い、

電話番号をメモして帰り、


早速に電話して、本とブロッカーを注文して買ったらしい。

私は手術の時に主治医から、「(癌)と思ってくれ!」と言われた事が、

頭にあったので、

母に横内医院の本がある場所を聞き出し、


直ぐ横内医院にFAXした。

問診表がFAXで届いたので、

先にお金を送り、


必要な書類、(CTのコピー、スナップ写真、


家で飲んでいる水をペットボトルに入れて、

お金と同じ日に届く様に、
ジェット便で出した。


横内医院とは、漢方薬と気孔を使い、

環境ホルモンや、発癌性物質を排除した生活を、
患者に指導し、


(癌)を再発、転移させないとする医院で、


(癌)が喜ぶものを生活から排除させ、食事、
生活の在り方を
患者に守らせるので、
末期癌生存の医院として知られているのだろう。

私は3冊の本をむさぶる様にして読んだ。


横内先生は、医者の家系で育ち、自らメスを握ってオペをしていて、
西洋医学での20年の経験も有り、決して、


西洋医学を否定してはいない。


検査は、(オーリングテスト)で全ての結果を出す。


日本でも(オーリングテスト)をしてくれる医師は、


何人も居るが、医療行為としての保険が効かない為、

サービスという形でしている医師が多い。


(オーリングテストの事は横内先生の本参照)

9月2日(日曜日)
ジェット便で横内医院からの荷物が届いた。


CTとスナップ写真では、(癌)の活動はあるとの事。

不適食品は、乳製品と、牛肉、玄米。

その日の内に、漢方薬を煎じておき、

9月3日(月曜日)
朝6時に持って行き、
直ぐ飲ませる。

(癌)の活動を止める、ツボに貼るテープを、


診断書を見ながら体に貼ってやる。


そして、そのツボをよく揉んだ。

9月4日(火曜日)
私は、この時告知の事で悩んでいた。

横内医院は、
インフォームドコンセント
(告知)が前提で治療を進めていく。

私は横内先生にお会い出来たら、

の告知は治療を進めていく上で必要だろうから、


賛成なのだが、


身も心も弱り切っている時の告知は、絶対に嫌だった。


生き抜く希望や、


病気と戦う気力を無くす様な

告知は、するつもりが無かった。


しかし、横内医院の煎じ薬は、告知無しではとても飲めない。


生き抜く為には、頑張って飲もう!

と強く思わなければ、


とても飲める物では無い。

9月5日(水曜日)
告知を決意した。

でも余命や、


普通の(癌)よりも悪性度が高い事は言わずに、

母の肉腫は再発しやすい事、


治療は摘出手術しか無く、


又直ぐにお腹を切って、


痛い思いをするのは嫌なら、

頑張って、煎じ薬を飲む様に言った。

(本当は再発した場合、再手術はしない。延命治療もしない。と言われていた。)

9月6日(木曜日)
一日約800ÇCのノルマがこなせない。

横内医院に電話してみる。
一日分を2日に分けて飲む様に言われる。


9月7日(金曜日)
毎日、愛情を込めて

、煎じ薬を作って行き、


横で目を光らせて飲ませる。

母は、見舞い客に


「これを飲まないと娘が怒るから」


と物凄い顔をして飲んでいたらしい。

9月15日(土曜日)
二度目の資料を送りたい為、CTのコピーをお願いしたが、断られる。


主治医は私を呼び出し、


「患者の意思なら平行治療も許すつもりで、紹介状を差上げたのに、


返事も書いて来ない失礼な医者は、ヤブ医者に違い無い!


どうしても横内医院の治療をしたいなら、


今直ぐ退院して欲しい!」と怒った。


私はただ、「申し訳ありません」


と誤って、スナップ写真と他の資料を横内医院に送った。


そして直ぐに、外科医を怒らせたお詫びの手紙を書いて出しておいた。

9月20日(木曜日)
信じる。と云うことは難しい。

私はこの時、横内医院の事を、

絶対に信じよう!という気持ちは、

正直言うと無く、


ただ、他に母を治す道が無いのだから、


とにかく初診に漕ぎ着ける迄は、


信じて飲ませようと思っていた。


その後の事は、


母が横内先生にお会い出来てから、


決めれば良い事なのだから。


横内先生の本には、東洋医学には


栄養を取る方法が無いので、


それは西洋医学に頼るしか無い!

と書いてあった。

私は横内医院の治療を応援してくれて、

栄養状態が悪くなった時に、


さっさと入院して、高カロリー点滴をしてくれる、


近くの病院を探そう!と決めた。


9月27日(木曜日)
家の近所で、


毎日傷の付替えをしてくれる病院があれば、


退院していいと言われ、


主治医は、近くの総合病院を勧めて来たが、
私は1ヶ月以上も


毎日通う医院に、今後の事をお願いしないという様な、


勿体無い事をするつもりは無かったので、


自分でとにかく見て回った。


決め手は、母の吉方位。


10月2日が大安だったので、

母と勝手に、その日に退院する事を決めていた。

そして、永井外科の医院長と出会えたのだ!


永井外科は、医院長が、外科と胃腸科、


息子さんの副医院長が整形とリューマチを担当している医院である。


玄関前に作られた庭が縁起が良く、

ゆったりとした待合室、
受付の方や、ナースも感じが良い!

小さいけど、入院施設もあり、家から歩いても5分位!

9月28日(金曜日)
早速、外科主治医に、

永井外科に通う事、


退院を10月2日にしたい事を告げた。

外科主治医は、直ぐ永井先生に電話でお願いしてくれて、

紹介状も書いてくれた。

又、今後の事を大至急、内科のドクターと相談していた。


10月2日(火曜日)
無事退院。

叔母が応援に来てくれた。

母と叔母を、家に連れて帰り、

そのまま永井外科に紹介状を持って挨拶に伺う。


10月3日(水曜日)
初めての永井外科。


先生もナースもとても優しかったと母が嬉しそうに話す。


傷が治る迄、毎日永井外科で付替え、


週に一度医療センターに通う。


10月16日(火曜日)
医療センターの診察の日。

母は、外科主治医に、

23日に東京の横内医院に行って良いか?と聞いていた。


「体調が万全じゃ無いのに、駄目だ!」


と言われ、自信を無くし、23日は行かない!と言い出した。


これには流石の私も困り果て、先に手を回しておかなかった事を後悔するが、もう遅い。

直ぐに横内医院に電話をかけて、キャンセルした。

次、開いてるのは12月28日。
私は不安だった。

無事に横内先生にお会い出来るのか?


それまで母は、大丈夫なのか?

とにかく煎じ薬だけは、


口うるさく言って飲ませ続けた。


10月23日(火曜日)
私は、永井先生にお願いしよう!と決めていた。


朝「先生の開いた時間にお話がしたい。」

と電話しておき、
3時頃、永井外科に行った。

永井先生は、母の肉腫は西洋医学では治療法が無い事や、


再発した場合、再手術出来無い事を、


解った上で、キチンと私と向き合って、話を聞いてくれた。

「世界で癌に効く抗癌剤は無い。

医者は皆解っている。


それでも使うのは、家族に対する想いからだ。」と言うので、

「じゃあ、その想いを、母に対しては、横内医院の治療を応援してくれると云う形でください!」


と深く頭をさげて、お願いした。


横内医院の治療内容の事はあえて言わず、


「今出来る事は何でもしたいので、それを応援してください!」


と必死の形相で、お願いした。


永井先生は、東京の横内医院に行く前に、

何日間か、高カロリー点滴をする為に、

入院して、帰って来て、体力が落ちていたら、


又入院したら良いからね!

頑張って、横内医院に行くように!と母の背中を押してくれると約束してくれた。


横内医院に電話をした。


「初診の日迄に、煎じ薬が足りなくなるので、送ってください!」
と言うと、


何と!「11月13日に、キャンセルが出たので、どうですか?」と言う!

母に聞きもせずに、

「お願いします!」と予約を取り、絶対に11月13日に、横内医院に行こう!と決心した。


先ず、叔母に電話した。

「永井先生に相談したら、点滴入院してでも、行った方が良い!と言われたから、


11月13日に、必ず連れて行くから、叔母ちゃんからも母に言って!」


と、まるで、永井先生が熱心に勧めた様な言い方をした。


「先生がそう言うなら!」と、


もし母が不安がる様なら、

叔母ちゃんも付いていくから!


と母に電話してみると言ってくれた。

「お願いよ!絶対に行く気にさせてね!」と、母の説得は、


叔母に任せる事にした。


母は、叔母が「付いていく!」と言うと、簡単に行く気になった様だ。

やはり、姉妹愛と云うのは強いのだろう。

それか、私と二人だけで、

東京に行く事が不安だったのかもしれない。


永井先生に、「11月13日に、初診が決まったので

母の背中を押してください!」と、お願いの手紙を書いて、


持って行った。

10月25日(木曜日)
母が、永井外科に行くと、


永井先生は11月13日に横内医院の初診が決まった事を、

とても喜んでくれて、


「1週間前から毎日高カロリー点滴をして、体力を付けて、


東京から帰って来て、

又体力が付くまで点滴に通っても良いし、


入院しても良いからね!」と


、横内医院行きを、強く進めてくれたらしい。


母は、完全に行く気になった様子。

11月6日(火曜日)
医療センター診察。
傷が綺麗になったので、

外科は終わり!


13日(火曜日)は医療センター診察はトンズラさせるつもりだったので、


「良かったねー!」と喜ぶ。

この日から、毎日永井外科に点滴に通う。

横内医院の初診が決まった事を、


永井外科の婦長さんも、


大変喜んでくれて、

「これ、東京に行くときに使ってね!」とプレゼントをくれた。


開けてみると、薄いピンク色の可愛らしいレースが沢山付いたポーチだった。


この医院に出会えた事に感謝した。






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