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断りの罪悪

11月から一足先に師走を迎えた私だが、
12月に入り、未曾有のダブルブッキングラッシュが続いている。

ワイは時間があるか、調整さえつけば基本誘いを断らない。
それは仕事であってもプライベートであっても、同じことである。
何もなさそうなところから何かを見つけるのは私の得意分野であり、
そう言った意味では意味のない誘いなど無いと思っている。
まずは参加して、自分の目で確かめることが大切だと考える。

しかしこの12月と言ったら、調整ができない予定だらけなのである。
今日も会議を2つ、打ち合わせを1つ、忘年会を1つぶった切ってしまった。

こうお断りが続いてしまうと、
なんだか申し訳ない気持ちになってしまい、
罪悪感を感じてしまう。
基本OKのスタンスを貫くミスターセンクスは、
おそらく断るということにあまり慣れていないのである。

人を誘うということはそもそも勇気のあることである。
なぜかと言えば、断られるとちょっと心が傷つくからだ。
同時に自分が求められているということである。
合コンの数合わせでない限り、来て欲しいから誘うのだ。

この罪悪感はズバリ、期待を裏切ることが罪悪だと感じている
ミスターセンクスの心理そのものなのである。

ここまでの話に欠如していることは、「己の意志」である。
断る断らないのその前に、己は本当に参加すべきかが抜け落ちている。
「べき」の基準は多角的である。
・相手のためになるのか
・自分のためになるのか
・自分にしかできないことで、変わりがいないか
・そこに美女がいるか

この中で一番強い「べき」の基準は、そこに美女がいるかであることは、
疑いのない事実である。

つまり視点を変えれば、これは棚卸しなのである。
時に忙しさはワイに残酷な決断を迫ってくるが、
徹底的に「べき」を整理することで、
本当に大切なことだけをワイの中に残してくれる。

コミュニケーション手段がここまで便利になった世の中だが、
大切なことはやはり対面だと思う。
希薄な繋がりだからこそ、
これから対面の価値はますます上がるというのが私の持論だ。

大切な人との対面を守るために、
罪悪を抱えながら決断することは必要悪だと考えたワイなのであった。

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