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テクノロジーザスに座して死を待つわけにはいかない

超絶美しいこの写真は
ミスターセンクスが長野で撮影したものだ
昔から写真はYATTEいたが趣味のレベルで
UDEが急に上がったわけでもない
それなのに綺麗に撮れてしまうのは
ひとえにカメラのおかげなのである

カメラを構えてシャッターを切る
撮影できた写真をプレビューすると
いつも通り撮っているのに
超絶綺麗な写真が表示されている
ただそれだけのことである

これは解像度がどうだとか
センサーがどうだとか理屈はあれど
センクスの意思とは無関係に
強制的に美しい写真が撮れてしまう
それはとっても不思議な感覚

写真を撮っているというよりも
写真を撮られている感覚
自分のもののようで自分のものではない
その代償ともいうべきなのか
クリエイトしている
そういう感覚は薄くなっている
誰でもシャッターを押せば綺麗に撮れる
それがテクノロジーザスなのだから

それでは創造というものはなんなのか
テクノロジーザスの前に
我々は座して死を待つだけなのだろうか

否々イナゴライダー!
被写体を綺麗に撮れるカメラでも
被写体を選び画角を決めることはできぬ

ミスターセンクスはパンティイストとして
見えるか見えないかのその境界を追い求め
パンティー境界協会を設立し
キワ・パンティー教会の牧師として
この一生を終えることを望んでいるのだ

感謝激写陳謝!

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