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アルファロメロマニアの話からマーケティングを考える

行きつけの飲み屋で、アルファロメロマニアの方に久しぶりに会った。
この方、イタリアのアルファロメロという、車を複数台保有しており、車いじりが好きな方。

自宅で、ミッションを変えると言っていたので、車好きの方であればそれがどれだけ大変なことかわかるだろう。
ほとんど、自動車工場状態だと思います。
※ちなみに、整備士の方ではないです。

アルファロメロって、イタリアの購入路線の個性派スポーツカーのイメージ。だからこそ、世界中にマニアが居て今でも旧車を直しながら乗っていると。そもそも生産台数が少ないので、旧車だと部品が無いのでは無いかと聞いたら、やはり部品が無く、世界中からネットで購入すると。
ただし、需供給のバランスが崩れているのでやはり部品が高いと。

昔の車の話をしていたんですが、そこから少しズレてマーケティングの話になる。日本国内大手の自動車メーカーや、海外の大手の車の話に。

最近の車はつまらない。

ざっくり、そんな内容。
まあ、確かにマーケティングってやり過ぎると、楽しい、ワクワク、
ドキドキしたりする製品、サービスは出て来ないと思う。
市場調査して、想定利用者の声拾って、企画に落とし込んで、何ならもう一回、デプスとかやっちゃったり。
そんなこんなしてるうちに、だんだんとコンセプトや、作り手の想いなどが揺らぎ始める。
結果、調査やデータのエビデンスを元に汎用的なものが生まれる。
※だから、コマツのダントツ主義は好きだった。
まあ、価格帯や日用品かどうかなど含めて、良い面、悪い面があると思う。

なので、最大公約数の車が量産される。
で、量産→売上アップ→利益アップ→周りも真似→より似たような製品が市場に→価格競争→疲弊
これに、ならないように新しい何かを求めて日夜色々と考えるのだと思う。

マニアの方は、修理するプロセスで設計者の想いを感じると言っていた。
設計者が「これが良いから、これに乗れ!」と言っている気持ちが伝わるとのこと。
それを感じながら修理をしている時間がとっても楽しい時間なんだとか。
聞いていて、

「ファン魂」

って本当にすごいなと改めて感じた。
修理の時間、部品調達の時間、設計確認の時間、すべてを楽しんでいるんだと思う。手がかかるのでよほど楽しくない限りできないと思う。

マーケティングでも、ファンを作ろうとか言いますが、真のファンって本当に作るの難しいと思う。簡単に離れないファン、ブランド力をつけるには時間もかかるし、小手先のマーケティングではできない

「信念」

が無いと。

そんなことを感じながら話していたら、ふと日本を代表するようなマーケティングの友人が言っていた話も思い出した。

馬車をマーケティングすると


マーケティングって、やり過ぎると…イノベーションが…的な話。
分かりやすく、馬車の話で例えていた。
馬車が走り始めた時代に、マーケティングするとどうなるか?
産業革命で車が出てきたのか?みたいな感じ。
確かにわかりやすい例。

馬車乗っている人にヒアリング
→早くて、乗り心地良くって、安心で、安全で、多くの人が乗れて、雨に濡れなくって。多分そんな感じ。

ヒアリング前

でもって、それを元に製品考えると。
→乗り心地が良い、雨に濡れない、安全な馬車が出来上がる。
こんな感じの新製品?

ヒアリング後


でも、それも結局は馬車。

人は、馬車に乗りたいのではなく、「早く移動したい」だから
そこを考えないといけないと。

目的と手段の違いはよく聞く。
しかし、本当に深く考えながら行動できるのか自分でも考えさせられる。

これ、言うは易し行うは難しだと。

組織にいると、組織目標、業績、自分の評価、給与。
トップ層は、業績、株価、株主還元、雇用の維持、ステークホルダーとの関係etc…

マーケティングも大切。でもバランスがもっと大切。
エビデンスとか、データとか、理屈とか説得するための貴重な材料。
プラスして、

最終的に人間は「感情」の生き物。


人って結局「感情とか心」とかそう言うもので
最終的には動くと思うんです。

なんとなく受け付けない。気分が乗らない。なんか好き。なんとなくカッコいいと思う。いい心地。嫌な予感。いい予感。
これら、全部データ化されたり、理屈、エビデンスがっつり見せられたら
ちょっと気持ち悪いですよね。

データの裏側にある人の感情を大切にしたマーケティングをしないとですね。

オチ考えていなかったので、最後にアルファロメロが馬車をデザインしたらどうなるか。やってみた。

ロゴでごまかしやがった
馬までアルファ化しちゃったり。ロゴや車でごまかされる

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