見出し画像

赤穂市立美術工芸館 田淵記念館「赤穂ゆかりの日本画展」(-2024.3.4)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

2024年の晩冬の過日、並びに、初春の過日の2回にわたって、兵庫県赤穂市の赤穂御崎に所在する、赤穂市立美術工芸館 田淵記念館において2023年12月6日から2024年3月4日まで絶賛開催中の「赤穂ゆかりの日本画展~上郡町西光寺収蔵品を中心に~」を拝覧いたしました。

本展、本投稿の時点で残り1週間程度のぎりぎりですが未だ開催中の展覧会/企画展です。赤穂市立美術工芸館 田淵記念館のウェブサイトに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

本展では、赤穂地域に所在する西光寺というお寺に収蔵される日本絵画作品を中心とした展覧会ということなのですが、これだけをお伺いすると、西光寺が所蔵される歴史的文化財の展覧会のように弊方思ったのですが、違いました。

西光寺は赤穂市内ではなく、赤穂市の北に位置する赤穂郡上郡町に所在する、浄土真宗本願寺派の寺院ということです。インターネットを安直に検索した限りでは、特にウェブサイト等は開設されていない模様でした。

この西光寺の先代の住職でいらした、故多田満之師が古美術を好まれて、さまざまな古美術作品を蒐集されたそうで、これまでも田淵記念館にて開催された展覧会に協力されてきたとのことでした。

本展は、多田師のコレクションのうち特に絵画作品に焦点を絞った展覧会のようでした。同展図録の「ごあいさつ」から下記の通り引用させて頂きます。

 本年は、上郡町釜島の西光寺前住職であった故・多田満之氏の三回忌にあたります。氏は、歴史・文化に造詣が深く、強度にゆかりのある書画・陶芸品など多岐にわたる美術品の収集とその公開に尽力されました。

「赤穂ゆかりの日本画展~上郡町西光寺収蔵品を中心に~」図録「ごあいさつ」第2-3行

さて、弊方、こちらの赤穂市立美術工芸館 田淵記念館には何度もお伺いしております。

同館は、赤穂御崎という瀬戸内海に近いところに所在しており、すぐ近くには漁港もあります。

赤穂と言えば、赤穂浪士かお塩という感じだと弊方一方的に考えておりますが、同館設立の理由となった田淵家は、江戸時代、赤穂藩において塩田、塩問屋、塩廻船業を経営した事業家であったそうです。
1994年に田淵家から赤穂市に美術品や古文書類が寄贈され、これら文化財を展示保存するべく1997年に同館が開館されたそうです。

同館には、JR赤穂線のターミナル駅、播州赤穂駅からバスでお伺いすることができます。播州赤穂駅を下車して南出口に向かって右側の階段・エスカレータを下りたところの待合コーナーすぐ前の2番乗り場から、ウイング神姫バスの「亀の井ホテル赤穂」行に乗車して「川口町東」バス停で下車すれば、すぐそこに田淵記念館があります。だいたい乗車時間15分くらいだったでしょうか?

僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した、田淵記念館の入口写真を掲載させて頂きます。

とはいうものの、弊方、田淵記念館にお伺いするときにバスを利用したことは往路1回のみでした。

それではどうやって同館にお伺いするのかといいますと、徒歩です。

播州赤穂駅から徒歩でだいたい片道50分くらいでしょうか。アホですね。

ウイング神姫バスの「亀の井ホテル赤穂」行は、播州赤穂駅からの乗換えも考慮して10~15分くらい時間差のある、余裕のある発車時間になっているようなのですが、なぜか弊方、10~15分を待たずに歩き出して、赤穂市民病院前くらいでバスに追い抜かされるというアホなことをしております。

いやぁ、赤穂市は道が整備されていた歩道も広く景色もよいので、歩きたくなるんですわ。歩道が整備されていないのは、田淵記念館の最寄りバス停である前記の「川口町東」の手前の「正福寺前」から「川口町東」あたりくらいだと思います。

弊方的には、田淵記念館に到達するまでの徒歩経路は、いやん、どんな作品が見られるんやろ、もぉめちゃめちゃ盛り上がるやんかいさ! どやさどやさ!! 御堂筋堺筋なにわ筋!!!(by 今いくよくるよ師匠)的な感じで萌え萌えしながら歩くことができますので、長いと感じることがございません。

別の理由として挙げられるのが、これまで田淵記念館にお伺いしたときには、他のミュージアムとハシゴすることが全くなく、同館の展覧会/企画展のみを目的としていたためです。1回だけ往路でバスを利用させて頂いたときは、姫路市立書写の里・美術工芸館で開催されておりました「生誕100年・最後の抒情画家 藤井千秋展」とのハシゴでした。

ちなみに本展より前に田淵記念館にお伺いしたのが、2023年6月7日から8月7日まで開催されていた「長安義信vs.長安雅山~祖父と孫との対決~」展でした。

僭越ながら、周得義信先生と雅山先生との対決展について、田淵記念館の駐車場前に展示されていたポスターを、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを掲載させて頂きます。

ちなみに本展「赤穂ゆかりの日本画展~上郡町西光寺収蔵品を中心に~」についても駐車場前にポスターが展示されておりましたので、僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した写真を掲載させて頂きます。

まぁそれはともかく、本展で弊方がたいそう期待しておりましたのは、偉大なる赤穂の法橋・長安周得義信先生の作品が拝見できる! ということでした。

実際、長安周得先生の大作屏風作品「群仙図」を拝見することができました。おっさん激萌へ! ただし、前期展では右隻のみ(作品番号〇〇四)、後期展では左隻(作品番号〇〇五)のみの展示でした。両方まとめて拝見したかったぁぁぁ。

長安周得先生の作品は他にも展示されておりましたが、弊方的に激萌えだったのが、一般的なサイズと思われる掛軸作品「富士登龍図」(作品番号〇〇一)でした。

この作品、金泥で描かれた龍が富岳を昇っていくという感じの作品なのですが、富岳の麓あたりに相当する画面右下辺りに、下から上に突き上げるような大きな白波が描かれており、この白波の先で勢いよく龍が昇っていくという感じに見えました。

残念ながら金泥で描かれた龍が経年的な事情でくすんでいるので、一見すると大きな白波だけが立ち上っているようにも見えるのですが、昇龍と合わせて見れば、富士山前の駿河湾の海から龍が勢いよく飛び出したようにも見えますので、たいへんな迫力を感じました。

ところが、よくよく画面を確認すると、この白波は、「波」として描かれていないのでした。

いや、語弊がありますね。「波」として描かれていると思うのですが、この「白波」は、本紙画絹の下地のみで表現されておりました。「白波」の外形は、水墨表現によって巧妙に描き出されるという、超絶技巧といってよいかと思います。技術的には「外隈」と呼ばれる手法に該当するのでしょうか。

改めて図録写真で拝見すると、ぼかした薄墨を背景に白い絵具で白波が描かれているように見えてしまいます。

・・・あぁ、また長くなる。それでなくてもここ最近の投稿がえらく長くなっており、今はなき親愛なる知人のキツいご助言「もうちょっと読み手のこと考えて短くまとめんかい!」を無意味に噛み締めておる次第です。

これ以上ヲタトークを続けると、またまた長くなるので、今回こそはコンパクトにまとめたいと思います。

本展において弊方的にもっとも激萌えした作品が、もうお一人の赤穂の法橋、北條暉水文信先生の大作屏風作品「金時山金太郎図」(作品番号〇一一)でした。本展図録の本作品の解説を下記の通り引用させて頂きます。なお、図録の解説と展示解説とは、弊方が確認した限りでは一致しておりました。

本作は、元襖絵であったものを二曲一双の屏風に仕立て直したものであり、源頼光〈みなもとのよりみつ〉と、金太郎とが出会う場面を題材としている。

「赤穂ゆかりの日本画展~上郡町西光寺収蔵品を中心に~」図録第12ページ第6-9行

僭越ながら、本 note にて弊方が最初に投稿させて頂いた主題が、奇しくも曾我蕭白師匠の「頼光金時図屏風」でした。またまた僭越ながら、下記にリンクを張らさせて頂きます。

蕭白師匠の「頼光金時図屏風」については、弊方は、画題は理解できるし描かれる人物のいずれも理解できるにも関わらず、見たこともない絵だと思われたのではないか、という妄想をさせて頂きました。その意図については、僭越ながらぜひ上記のリンク先の記事をご確認頂ければと思います。

偉大なる法橋、北條暉水文信先生の「金時山金太郎図」は、蕭白師匠の「頼光金時図屏風」に比べれば、比較的「定番」といえる作品かもしれません。

いや、しかしながら、本作「金時山金太郎図」は、蕭白師匠の「頼光金時図屏風」とは別の意味で、定番から外れた絵のように弊方所感を覚えました。

どうしようか悩んだのですが、いちおう引用の範疇に入るという弊方の判断の基に、たいへん申し訳ありませんが、本展「赤穂ゆかりの日本画展~上郡町西光寺収蔵品を中心に~」図録における該当ページを弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影したものを掲載させて頂きます。

「赤穂ゆかりの日本画展~上郡町西光寺収蔵品を中心に~」図録第12-13ページ

そもそも弊方のガラケー的ガラホの撮影写真の画質が悪いのでわかりにくいかと思いますが、本作「金時山金太郎図」は、右隻第二扇から左隻第一扇にかけて背景に雄大な富士山が描かれ、左隻の第二扇には、山姥さまと金太郎さんが仲睦まじく並んで描かれております。

この山姥さまと金太郎さんの描写は定番の描写だと弊方考えております。ちなみに、このお二方の描写は、本展のチラシ(フライヤー)やポスターにも採用されております。

これに対して、弊方が「異質」というか激萌えしたのが、源頼光さまの描写でした。

前記の写真ではほとんどわからないと思いますが、右隻第二扇の下に、源頼光さまが、金時山の道なき道、というかほとんど崖に近いようなところを一心不乱に進むご様子が、躍動感あふれるありさまで描写されておりました。

この右隻の頼光さまの生き生きとした活力ある描写が、左隻の山姥さまと金太郎さんのおだやかな描写と絶妙な対比となって、全体的に強烈な印象を弊方覚えました。

ちなみにこの作品は、田淵記念館の展示室の最も奥で、本展の掉尾を飾るがごとくの様子で展示されておりました。

先ほどの通り、本作は二曲一雙の屏風に改装されておりますが、元は襖絵であったということで、こんな強烈にして激萌えな襖絵を弊方拝見したら、延々と見入ってしまうと思いました。

なお、本展では、他にも、日本絵画一愛好家として激萌え作品が多数展示されておりましたが、敢えて割愛させて頂きます。

といいつつ一部言及させて頂きますと、幕末から明治初期にかけて京都画壇を席捲した鈴木派を興した、かの偉大なる鈴木百年先生と、その御子息にして、「今蕭白」の異名でその名を轟かせた鈴木松年先生の作品が展示されておりました。

ちなみに鈴木百年先生と鈴木派に関しては、本 note にて弊方がかつて投稿させて頂いた、国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か」展においても少し触れさせて頂いておりますので、僭越ながら下記にリンクを張らせて頂きます。

他にも、かの偉大にして著名な橋本関雪先生や福田眉仙先生の作品も展示されておりました。これら偉大なる近代日本画の巨匠お二人は、赤穂とご縁があったのですね。関雪先生は明石に縁がおありで、眉仙先生は相生に縁がおありなので、赤穂とのご縁があっても不思議でないのとはいうものの、弊方的には萌え萌えでした。

また、北條暉水文信先生の門人でいらした突々友石(とつとつゆうせき)先生の作品もたいへん強烈な印象を受け、おっさん激萌えでした。

ということで、最近のえらい長い投稿に比べれば、強引に簡潔に収まったでしょうか、そうでもないですね。5,000字近くなっておりますね。たいへん申し訳ございません。

なお、偉大なる赤穂の法橋、長安周得義信先生と北條暉水先生については、展覧会拝覧とは無関係にヲタトークをさせて頂こうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?