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栗東歴史民俗博物館「文化財をつなぐ -修復文化財の世界-」展(-2024.2.25)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

晩冬の先日、滋賀県栗東市の栗東歴史民俗博物館で開催されております「収蔵品展 文化財をつなぐ -修復文化財の世界-」展を拝覧してまいりました。

本展、本投稿の時点で未だ前期展の開催中です。会期は昨年2023年12月9日から本年2024年2月25日までです。大阪中之島美術館の「決定版! 女性画家たちの大阪」展と最終日が同じですね。

弊方のマイブームといってもいいのかもしれませんが、ここ数年くらいでしょうか、文化財の修復に関する展覧会/企画展を拝覧する機会が何度かあり、それ以降、強く興味を持たせて頂くことになりました。

昨年2023年でしたら、大阪中之島の中之島香雪美術館において2023年4月8日から5月21日まで開催されていた「修理のあとに エトセトラ」展は、たいへん素晴らしい企画展だったと記憶しております。

弊方がこれまで拝見してきた文化財修理に関する展覧会/企画展は、文化財修理の技術技能的、さらには科学的な面が強調され、修復中の発見や修復前後の対比、あるいは文化財修復に関する基礎的な知識や知見を紹介するという方向性であったかと思います。

実際、弊方もこういった技術技能的な面や科学的な面に興味がありますので、そういう方向性の展示を期待しておりました。

しかしながら、本展「文化財をつなぐ -修復文化財の世界-」展は、弊方の期待が裏切られる内容でした。

どのように裏切られたかといいますと、たいへん良い意味で期待を裏切られたという、おっさん激萌えの素晴らしい展覧会でした。

本展では、技術技能的あるいは科学的な面の展示はほとんどありませんでした。代わりに、栗東歴史民俗博物館による文化財の地道な調査と保存修復活動を、これまでの企画展示と連携させることにより、非常にわかりやすい同館の「実績報告」といった印象を持ちました。

残念ながら、本展については図録の作成がなく、資料リストの配布のみでしたので、弊方、鉛筆舐め舐めしながら(例えです。実際には舐めておりません。)、展示の要旨をメモメモさせて頂きました。

まずは、20世紀末期の古き良き「ホームページ」を彷彿とさせる、栗東歴史民俗博物館のウェブサイトのリンクを張らせて頂きます。

同館は、入口に入ると広いホールがあり、真正面には「狛坂磨崖仏」の複製品が展示されております。入口から見てホールの右側に常設展示が行われる第一展示室があり、ホールの左側には、大きな釣鐘がたくさん展示されている展示ロビーがあり、この展示ロビーに隣接するかたちで、企画展示が行われる第二展示室があります。

本展の展示資料のほとんどは、第二展示室で展示されておりましたが、一部が展示ロビーに、一部が第一展示室に展示されておりました。以下、大まかに説明させて頂きます。

まず、入口に直面する展示ケースでは、「よみがえる神威」というテーマで栗東市内の五百位神社の神像と狛犬が展示されておりました。

次に、入口から見て右側の壁面展示ケースの手前側では、「廃寺となった古刹の文化財」というテーマで、栗東市内の金勝寺所蔵の仏像が展示されておりました。

次に、右側の壁面展示ケースの奥側では、「バラバラになった狛犬」というテーマで、栗東市内の大宝神社所蔵の狛犬と「修復時撤去材」が展示されておりました。

次に、右側の壁面展示ケースに対向する、島状の展示ケースの右側展示面では、「よみがえる明治の村~地券取調総絵図~」というテーマで、その名の通り3つの「地券取調総絵図」という館蔵品の「絵地図」が展示されておりました。

次に、入口から見て奥側の展示ケースの右側半分では、「よみがえる平安のかがやき」というテーマで、草津市の熊野神社所蔵の仏像6躯が展示されておりました。

次に、奥側の展示ケースの左半分のうち中央寄りには、「小野寺から萬年寺へ」というテーマで、栗東市内の萬年寺所蔵の観音様の仏像が展示されておりました。

次に、奥側の展示ケースの左半分のうち左端には、「嫁威しの面~真宗寺院・興教寺~」というテーマで、滋賀県蒲生郡日野町所蔵の「木造悪尉面(肉付きの面)」が展示されておりました。

次に、入口から見て左側の壁面展示ケースの奥側では、「村の学問~善勝寺の算額~」というテーマで、栗東市内の阿弥陀寺の算額とその複製品がそれぞれ2面ずつ、合計4面展示されておりました。

次に、左側の壁面展示ケースに対向する、島状の展示ケースの左側展示面では、「郷土の画人・岡笠山」というテーマで、岡笠山先生の掛軸4幅が展示されておりました。

次に、左側の壁面展示ケースの手前側では、「郷土の画家~国松桂渓と西田恵泉~」というテーマで、国松桂渓先生の洋画(油彩画)2点と、西田恵泉先生の日本画1点が展示されておりました。

そして、第二展示室の入口から見て反対側の展示ロビーでは、スポット展示として、「琵琶湖近傍大絵図~郷土資料としての伊能図~」というテーマで、伊能図「琵琶湖近傍大絵図」の模写作品が展示されておりました。

常設展示である第一展示室では、本展の一部として「保存処理をした木製品~狐塚3号墳の出土遺物~」というテーマで、3つの出土品が、常設展示の9点とともに展示されておりました。

これらテーマを全てヲタトークできるわけがありませんので、弊方が特に興味をそそられたテーマを挙げさせて頂きたいと思います。

「廃寺となった古刹の文化財」では、栗東市内の金勝寺というお寺の周辺に所在した寺院で、平成初期に廃寺となった旧山口寺(さんこうじ)というお寺があったそうです。この旧山口寺の廃寺にともなって、栗東市歴史博物館が調査を実施されたところ、須弥壇(ご本尊をお祀りするところ)の下から、木像の部材が多数見つかったそうです。

そこで、これら部材を組み合わせてみたところ、何と四天王のうちの2神と思われる仏像を2躯復元できたそうです。これら2躯の天部形の仏像は、平安時代の作で、過去に存在が知られていたものの行方不明状態だった模様で、これだけでもたいへんな発見だったと思うのですが、さらにその存在が知られていない、もう一つの天部形の仏像1躯が、完全ではないものの組み上げることができたそうです。

これら3つの仏像は、同館で1995年に開催された金勝寺展に出陳(展示)され、しかも1998年には、滋賀県により県の指定有形文化財に指定されたそうです。

栗東歴史民俗博物館のみなさまにより、地道な調査で発見された木像の断片が地道に復元、修復されることによって、最終的には、県指定の文化財になるというのが、もうスゴいですね。日本絵画ではありませんが、おっさん激萌えでした。

これら旧山口寺の復活仏様の写真は、同展チラシ(フライヤー)に掲載されております。栗東歴史民俗博物館のウェブサイトには同展チラシ(フライヤー)のリンクもありますので、写真が少なくてさみしいところを、僭越ながら下記のリンクで代えさせて頂きます。ぜひご参照頂ければと思います。

https://www.city.ritto.lg.jp/hakubutsukan/bunkazai_wo_tsunagu.pdf

「よみがえる平安のかがやき」では、草津市平井の熊野神社には、同社の末社に祀られていた熊野十二所権現様を合祀したと伝えられる本地堂が境内に現存するそうで、この本地堂には、平安時代12世紀の本地仏9躯が伝えられるとのことで、このうち6躯が栗東歴史民俗博物館に寄託されているそうです。

この本地仏の仏像は、江戸時代に漆箔が施されたそうですが、平成の修復時にこの漆箔が除去されて、平安時代当初の姿となった6躯の仏様が展示されておりました。

さらに熊野神社には、炭化して原形を留めない焼損仏が残されているそうです。地元の方々の伝わるお話によると、明治維新直後の廃仏毀釈の際に、本地堂の仏様をなるべく多く救うために、敢えて1躯の仏様だけを焼いたとのことだそうです。この言い伝え通りであれば、1躯の仏様の「犠牲」により9躯の仏様が現存しているということなのでしょう。それだけではなく、焼かれて「犠牲」となった仏様も大事に残されているというのが、たいへん地元の方々の強い思いが感じられました。なお、焼損した仏様の展示はありませんでした。

「よみがえる明治の村~地券取調総絵図~」では、明治維新により、徴税の対象を「年貢」から「地価課税」に転換することを目的として、土地の証書である「地券」を発行するために作製された「地券取調総絵図」が展示されておりました。

文化財としては、近代のものであって、折りたたんで保存される実用的資料であるため、折り目の部分を中心に劣化が進行しやすいものということでした。

かつての修理では、総絵図に裏打ちを施して、折り畳まないで「仮巻」という状態で保管することが一般的だったそうなのですが、折り目の劣化を抑制できる反面、収蔵スペースや取扱い性の問題があり、近年では、原典に立ち返って、修理後も折り畳んで保管するようになっているとのことでした。

こういう文化財が存在することすら弊方存じ上げませんでしたが、それだけではなく、その修理や保存に関して、さまざまな検討がなされているということを存じ上げて、おっさん激萌えでした。

さて、日本絵画一愛好家として注目させて頂きたいのは、まずは、偉大なる岡笠山先生です!!!

「岡笠山」は「おか りつざん」とお読みするそうです。笠山先生は栗東市のご出身だそうで、与謝蕪村先生に師事したとされるそうですが、実際には私淑であった可能性が高い模様です。

1991年に同館の企画展として「岡笠山と横井金谷 栗太の文人画家」が開催され、図録が作成されておりました。このときは、偉大なる「トマホーク・アタック・パクリコン」と弊方が一方的な私設名誉称号を奉らせて頂いている、偉大なる横井金谷先生に興味があったので、弊方、以前に同館にお伺いしたときに同展図録をゲット(購入)させて頂いておりました。

写真が少ないので、弊方の微妙なガラケー的なガラホで雑に撮影させて頂いた写真を僭越ながら掲載させて頂きます。何か妙に縦に長いですね。弊方の撮影の問題だと思いますのでご容赦お願いいたします。

「郷土の画人・岡笠山」では、栗東歴史民俗博物館のこれまでの調査によって、これまで30点あまりの作品が知られていたそうなのですが、さらなる調査によって、近年新たに10点ほどの作品が発見されたとのことでした。

新たに発見された作品の中には、表装されておらず本紙のみの状態、いわゆる「マクリ」の状態で伝来したものも含まれていたそうで、「マクリ」の状態では、見栄えの問題だけでなく保存の上でもよろしくないそうでしたが、近年、文化財修理の機会が得られて、文人表具に軸装された作品3点(「漁人二人図」、「勧進帳弁慶図」、「牛図」)が展示されておりました。もぉおっさん激萌えでした。

さらに、「郷土の画家~国松桂渓と西田恵泉~」では、偉大なる西田恵泉先生の代表作のひとつ「残照」が展示されておりました。

西田恵泉先生に関しては、1997年に企画展が開催されており、弊方、もちろん拝覧することがありませんでしたので、以前、「岡栗山と横井金谷」展図録とともに購入させて頂いておりました。

そして、昨年2023年1月14日から2月4日にかけて、「生誕120年記念 西田恵泉展」が開催されており、弊方、拝覧させて頂きました。恵泉先生の作品を始めて実際に拝見して、弊方激萌えでした。

写真が少ないので、1997年の企画展図録と昨年のチラシ(フライヤー)を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで雑に撮影させて頂いた写真を掲載させて頂きます。

もうお一方、国松桂渓先生ですが、同館にお伺いしてお名前を存じ上げることになったのですが、桂渓先生については興味を持たないようにしておりました。なぜなら弊方、日本の近代洋画(油絵、油彩画)の分野については、敢えて興味を示さないようにしておりましたためです。

国松桂渓先生に関しては、同館において1996年に企画展が開催され、図録も作成されていたのですが、弊方、これまで何回が栗東歴史民俗博物館を訪問させて頂いたときも、敢えて国松桂渓先生の図録は購入せず、興味を示さないようにしておりました。

しかしながら、昨年2023年7月15日から9月10日に京都文化博物館において開催されておりました「発掘された珠玉の名品 少女たち -夢と希望・そのはざまで 星野画廊コレクションより」展における、偉大なる星野桂三先生のギャラリートークを拝聴して、弊方の無知蒙昧が一方的に教化されてしまいましたので、本展にお伺いして桂渓先生の作品も拝覧して、図録もゲットさせて頂いた次第です。

写真が少ないので、1996年の企画展図録を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで雑に撮影させて頂いた写真を僭越ながら掲載させて頂きます。

ちなみに、1996年の国松桂渓先生の企画展図録における巻末の「謝辞」には、星野桂三先生のお名前がバッチリ掲載されておりました。やはりというかさすがというか! おぉ!! 星野桂三先生、偉大なり!!!

ということで、本展も開催中の展覧会/企画展でしたので、速報的(?)な内容にするつもりが、またもやムダに長くなってしまいましたので、今回はここまでで終わらせて頂きたいと思います。

・・・あっ! 忘れておりました!!

弊方、栗東歴史民俗博物館の在庫のある図録のうち、国松桂渓先生の図録以外は、興味のある図録は全て購入させて頂いたと思っておりました。しかしながら、もしかすると、見落とした興味のある図録があるかも?! ということで、見本を拝見しておりましたところ、1994年に同館で開催された「東方山安養寺の歴史と美術」という図録が眼に入りました。弊方の微妙なガラケー的なガラホで雑に撮影させて頂いた写真を、僭越ながら掲載させて頂きます。

写真をご覧頂けるとお分かりかと思いますが、有彩色で表現される仏教の神様と推定される女神さまがみどりごをお抱きになっているという、弊方的にこれまで拝見した記憶のない仏画が表紙を飾っておりましたので、いやん、今まで気づいてなかった、わぉわぉ! とか思いながら同図録の中身を確認させて頂きましたところ、この女神さまは、訶梨帝母すなわち鬼子母神さまでいらっしゃることがわかりました。ただし作者の記載はありませんでした。

弊方が仏画を拝見することがあまりないためにレアな仏画と一方的に思ったのかもしれませんが、それにしても趣深いなぁ、と思って同展図録を拝見していたところ、この訶梨帝母さまの次のページにも、やはり趣深い有彩色で華やかな仏様の図像が掲載されており、この仏様どなたやろう? と思って拝見したところ、弥勒菩薩さまだったのですが、さらに驚いたのが、その作者のご尊名が記載されておりました。

その名も「林丘寺宮元瑶」! そう!! かの偉大なる「美魔女」殿下でした!!!

「東方山安養寺の歴史と美術」図録において、訶梨帝母さまと弥勒菩薩さまの掲載されたページの写真を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで雑に撮影させて頂いたものを掲載させて頂きます。雑なので、いろいろと光が反射したり影が映ったりして見辛いかと思いますが、なにとぞご容赦頂けますようお願いいたします。

林丘寺宮照山元瑶先生すなわち後水尾天皇皇女光子内親王殿下が、なにゆえ「美魔女」殿下でいらっしゃるのかについては、弊方による下記の過去の note 投稿をご参照頂ければと思います。

「東方山安養寺の歴史と美術」図録には、次のように解説されておりました。僭越ながら引用させて頂きます。

光子内親王は観音菩薩を描くことを発願し、多くの観音像を伝えている。その大半は墨画の観音像だが、本図は裏彩色をもちいた金泥身に着衣を彩色で表わす本格的な仏画となっている。

企画展「東方山安養寺の歴史と美術」図録平成六年(1994)
栗東歴史民俗博物館第55ページ第1段第12-15行

弊方の過去の note 投稿でも申し上げましたが、数少ないながら、弊方、照山元瑶先生の作品をいくつか拝見しておりますが、いずれも水墨画でした。

オーマイガ!!! 作者不明の訶梨帝母像もそうですが、照山元瑶先生の弥勒菩薩像もぜひぜひ拝見したいと強く思ってしまいました。

・・・速報のつもりでしたが、やはりムダに長くなってしまいました。たいへん申し訳ございませんでした。


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