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西宮市大谷記念美術館「画人たちの仏教絵画」展

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

晩秋の過日、兵庫県西宮市の西宮市大谷記念美術館「画人たちの仏教絵画-如春斎再び!-」展(2023年10月21日~11月26日)を拝覧して参りました。

本展については、弊方、すでに旧Twitter現Xでも投稿させて頂いているのですが、改めて本記事としても投稿させて頂きました。

本展、「如春斎再び!」と銘打たれていることからも明らかなように、同館で2017年4月1日から5月7日まで開催されていた「西宮の狩野派 勝部如春斎」に引き続いた展覧会という位置づけのような感じがしなくもないです。

弊方、2017年の勝部如春斎先生の展覧会は、開催自体存じ上げておらず拝覧しておりません。何と言う失態! というか、たいへん著名なミュージアムの展覧会でなければ、積極的にインターネットで検索しない限り、なかなか開催情報そのものが得られにくいように思われ、言い訳させて頂きます。

実際、弊方の地元で開催されていた、とある展覧会について全く存じ上げておらず、偶然、会期終了頃に存じ上げて、最終日に慌ててお伺いしたこともありました。

それはともかく、本展には、二大メイン展示があったというのが、弊方の所感です、というか、何方がご覧になっても本展がダブルメインであることは明らかであったと思います。上から目線で偉そうな感じでまことに申し訳ありません。

ひとつは、同館の1階の展示室Iにて展示されておりました、勝部如春斎先生の大作、同市の茂松寺蔵の「三十三観音図」です。この「三十三観音図」は、2017年の如春斎先生の展覧会でもたいへんな評判を呼んだそうで、本展で再度展示されることになった模様です。

実際に拝覧して、弊方もたいへんな感銘を受けた(激萌えで萌え萌えはふ~んでございました)という所感を表明させて頂きたいと思います。

もうひとつのメインが、同館の2階の展示室IIにて展示されておりました、原在中先生の「三十三観音図」(京都府京田辺市の酬恩寺一休寺蔵)です。

原在中先生といえば、近世京都画壇にて強い存在感を示した「原派」の初代でいらっしゃいます。

原派については、福井県敦賀市の敦賀市立博物館において、2001年10月26日~11月25日に開催された「京都画壇 原派の展開」展や、本年2023年の2月18日から4月9日に京都文化博物館で開催された「原派、ここに在り-京の典雅-」展が知られているかと思います。

前者の展覧会に関しては、弊方そもそも存じ上げておりませんでしたが、図録が現時点でもバッチリ残っているということで購入させて頂き、後者の展覧会についてはバッチリ拝覧させて頂いて図録も購入させて頂いております。何とか記事化させて頂きたいと思います。

これら「三十三観音図」については、その「オリジナル」が、本年2023年に東京国立博物館(3月7日~5月7日)および京都国立博物館(10月7日~12月3日)で開催された「東福寺展」にて注目された、かの偉大なる明兆先生の大作「三十三観音図」であろうと考えられていますが、いずれも厳密な意味での「模写」ではなく、如春斎先生や在中先生の個性が発揮されている模様で、おっさん激萌え作品であったと言わざるを得ません。

などと偉そうなことを申し上げておりますが、もちろん弊方、明兆先生のオリジナルの「三十三観音図」を全て拝覧したことはありません。「東福寺展」で一部拝覧いたしたのみです。

ただし、本年2023年に相国寺承天閣美術館で開催されておりました、「禅寺に伝わるものがたり」の第I期「仏教説話と漢故事」(2023年3月11日~5月7日)にて展示された、相国寺の画僧、文室宗言先生が描かれた「観音三十三変相図」は拝見させて頂きました(これより後にリンクを張らせて頂いております)。

この「観音三十三変相図」は、明兆先生の作品を文室宗言先生が模写されたものだとのことです。例えば、相国寺の機関誌「円明」2016年(平成28年)正月号(第105号)に、「観音懺法会(かんのんせんぽうえ)を彩るもの-三十三観音図と動植綵絵-」という、立畠敦子先生(北九州市立小倉城庭園 主任学芸員(当時))の連載記事の最終回が掲載されており、この記事の中でも言及されております(第43ページ第17行~第44ページ第2行)。同号のアーカイブが残っておりましたので、下記にリンクさせて頂きます。

https://www.shokoku-ji.jp/wp-content/themes/shokokuji/assets/img/reference/book/pdf/enmyo_105.pdf

いずれの3作品群も、たいへん見応えのある美しく鮮烈で強烈でおっさん激萌えという素晴らしい作品群でした。もし機会があるのであれば、明兆先生のオリジナルも含めて「三十三観音図大展覧会」みたいな展覧会が開催されましたら、おっさん激萌えのあまりに萌え死にするかもしれません。

本展では、1階の常設展示室で展示されていた紀広成先生の作品群も激萌えでした。紀広成先生の作品をある程度まとまって拝見したことは弊方初めてでした。四条派愛好家の方々にとっても、たまらんかったかと思います。常設展示室とはいっても、本展では「4 円山四条派、大坂の仏教絵画」と位置づけられておりました。

もちろん館内は撮影禁止です。弊方も個人的には、作品を落ち着いて拝見させて頂く観点から、なんでもかんでも撮影可にして頂きたくないという見解を持っております。

とはいっても、本noteや旧Twitter現Xなどで情報発信を僭越ながらさせて頂くようになりますと、特別な写真撮影可のディスプレイをご準備して頂かなくても、例えば、ポスターとかチラシとかをレイアウトして頂くなどして頂いて、「フォトスポット」を設置して頂くとありがたく存ずる次第です。

本展にはフォトスポット的なところは特に設置されているわけではありませんでしたが、入口付近の特設ミュージアムショップ的なスペースが写真撮影可ということでしたので、ありがたく撮影させて頂きました。僭越ながら本記事の見出し画像として掲載させて頂きます。

それでも、写真が少なくて若干寂しいので、同展の作品リストとチケット半券の写真を下記に掲載させて頂きます。

さて、本展に関しては、日本絵画一愛好家(ヲタク)というよりも、個人的な興味から見逃せない(見逃すことができようか、いやできない(反語的表現))展示作品がありました。

それは、作品番号3-6「白衣観音之図」および作品番号3-7「観世音菩薩巌座像」の2作品です。これらステキ作品の作者は、かの偉大にしてやんごとなきお方、林丘寺宮光子内親王殿下です。落飾後の「照山元瑶」のお名前で著名なようです。

照山元瑶先生こと林丘寺(宮)光子内親王殿下は、「りんきゅうじ(のみや)みつこ」とお読みするそうで、京都市左京区修学院に所在する尼門跡寺院の林丘寺の開山であられて、落飾される前の御尊名は「朱宮光子(あけのみやみつこ)内親王」とのことです。

照山元瑶先生、林丘寺宮光子内親王殿下の詳細についてはインターネットの検索エンジンでお調べ頂くとして、弊方個人的に、吉川弘文館の『天皇の美術史4 雅の近世、花開く宮廷絵画 江戸時代前期』 (野口剛、五十嵐公一、門脇むつみ共著、2017年)を拝読して、次のエピソードをヲタク的に大変強い興味を持った次第です。

享保六年(一七二一)、霊元、東園基長(基雅、一六七五~一七二八)が訪ねた折、八十八歳の彼女は耳は遠く歩行は不自由のようだが顔色は大変よく老衰の様子がなく六十歳ほどにみえた(「元陵御記」、「基長卿記」同年九月二十七日条)といい、八十歳以降の作画も確認できることから、晩年に至るまで壮健で作画も続けていたと思われる。

『天皇の美術史4』第三章「後水尾天皇時代の宮廷絵画」
「二 天皇、皇族の絵画学習と作画―照山元瑶を中心に」より、同書第174ページ第15~17行

・・・び、美魔女や! 美魔女ですやん!!!

オーマイガッ!!! なんということでしょう! 江戸時代前期18世紀に、平安皇都に「美魔女」がいらっしゃったという、極めて信頼性の高い記録が残っているとは!!! おっさん激萌え!!! 

弊方、林丘寺宮光子内親王殿下、いや、照山元瑶先生のことを、「日本史上記録に残る最初の美魔女」と、一方的に非公式に個人的に認定させて頂きたいと思います。

弊方、実は「美魔女殿下」こと照山元瑶先生の実際の作品を拝見するのは初めてではありません。先ほどの「観音三十三変相図」を展示されておりました、相国寺承天閣美術館で少なくとも下記作品を拝見させて頂いております。

①「王朝文化への憧れ-雅の系譜」(2022年3月20日~7月18日)
   「寂蓮法師秋夕詠歌図」(鹿苑寺蔵)
②「禅寺に伝わるものがたり」(2023年3月11日から7月16日)
   「観音像」(瑞春院蔵)

前述させて頂いた「禅寺に伝わるものがたり」展のアーカイブには、「観音像」の画像が掲載されておりますので、前記の通りリンクを張らせて頂きます。かなり下の方ですが、「II期 展示構成」の「第五章 近世の皇女と禅」のところです。

さて、本展「画人たちの仏教絵画-如春斎再び!-」展で展示されていた「白衣観音之図」は、大阪府池田市の池田市立歴史民俗資料館の所蔵とのことで、同資料館のウェブサイト(池田市のウェブサイト)でも公開されております。

下記にリンクを張らせて頂きますが、「林丘寺光子内親王に関する池田市立歴史民俗資料館収蔵品」であり、合計4作品が収蔵されているとのことです。画像が掲載されているのは、伝林丘寺光子内親王筆「関帝像」と、林丘寺光子内親王筆「白衣観音之図」の2作品です。

『天皇の美術史4』の第三章を執筆された門脇むつみ先生によれば、照山元瑶先生の作品はかなり多く残っているそうです。皇族とはいえ多くの作品を残したということは、照山元瑶先生の作品に確かな「ニーズ」があったのではないか、と妄想されます。

特に本展で拝見した2作品のうち、特に「白衣観音之図」は、『天皇の美術史4』にも掲載されており(第三章の図9)、門脇むつみ先生は同作を「大幅で出来栄えも優れる」(同書第181ページ第5行)と評価されており、ぜひ拝見したかったので、所蔵の池田市歴史民俗資料館で展示されへんかなぁ、と同館のウェブサイトをチェックしていたのですが、これまで機会がありませんでした。

門脇先生によれば、照山元瑶先生は狩野派を学ばれた(狩野派宗家中橋家の狩野安信先生だそうです)だけでなく、古画も学ばれたようで、「白衣観音之図」は明兆先生の三十三観音図にも含まれる典型的な図様の一つにあてはまるようです。

実際、「白衣観音之図」の観音様は、勝部如春斎先生の三十三観音図の左15「黒風吹其舩舫」、並びに、原在中先生の三十三観音図の左15「黒風吹其舩舫」に描かれた観音様と同じポーズでいらっしゃるように見えます。

本作画像は、池田市立歴史民俗資料館のリンク先をご参照頂ければと思ったのですが、引用の範疇に入るかと思いまして、画質低めに調整しましたが、本展図録の本作該当ページ(第66ページ)を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを、僭越ながら引用させて頂きます。

念願の本作を拝見して、弊方、その筆致に何となくフェミニンな感じを覚えました。こんなことを申し上げると、ジェンダー的な観点から怒られるでしょうか。先入観でしょうか。

観音様の画面左上から左下には滝が描かれておりますので、画題的には「滝見観音」になるように思うのですが、観音様、めっちゃリラックスしてはりますね。

あるいは、本作の画題は「楊柳観音」あるいは「水月観音」のようにも思える気がするのですが、それにしても観音様、めっちゃくつろいではりますね。

本作では、観音様、滝を見てはるのではなく、あちら(どちらやねん)の方を向いて思いに耽っていらっしゃるように見えます。

「瀧見観音」、「楊柳観音」、「水月観音」の画題ではいずれも、胴体が太くて上先が細い花瓶のような器に柳の枝が差してある感じなのですが、本作では、煎茶椀のような器に柳なのか竹なのかわかりませんが、枝が下向きに収められて、枝のさきっちょと付け根側が見えているという感じで描かれております。

こういう描写は、弊方としては珍しいんやないやろか、と思いました。あまり観音様らしからぬ観音様のようで、女性があまりネガティブでない方向性で、お茶しながらウフフな感じで思案をなさっているようにも見えます。

妄想?! 妄想?! ヲタッキーな妄想?! 観音様に見立てた女性のステキな萌え萌え夢想を照山元瑶先生は描かれた?! いや、そうであるとするならば、仏画やおまへんですよね。

・・・えらいこっちゃ、5,000字をめっちゃ超えてしまいました。弊方、旧Twitte現Xで触れなかった照山元瑶先生のことを、どうしてもヲタトークしたかったんですわ! だらだら長い記事で申し訳ございませんでした。

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