親中派って言われましても。
「へー中国行ってたの?勇気あるね。すごいね」
と言われて、いつも反応に困ってしまう。
大体、笑いながら
「いやー、なんていうか成り行きで」
と当たり障りのないことを言ってみる。
中国に行く、とか行ったとか、住んでたとかそういうことを言うと決まって、
「すげー、勇気あるじゃん」
ってニュアンスのことを言われる。
確かに外国に行くとなると多少の思い切りは必要だし、
パスポートも必要だし、
でもなにもそれは中国だけの話ではないような気がする。
だけど、アメリとかイギリスとかフランスとか、
そう言うところに行く人たちに対して、
「すげー」はあるけど「勇気あるじゃん」って反応はあんまり返ってこない。
韓国に行く人に「いいなー」はあるけど、やっぱり「勇気あるじゃん」って答えは返ってこない。
中国という国は、多くの日本人にとって行くのに
「勇気が必要」な特殊な国なのである。
それは間違いなく中国の特殊な政治状況に起因している。
今28歳のわたしがまだ小学生だった頃、
日本のニュース番組は中国の下水油や、段ボール肉まん、農薬混入冷凍ピーマンなんかの、センセーショナルな食品にまつわるニュースをこれでもかというほど報道していた。
私が高校生の時は反日デモが起きた。
さらに、謎にLINEとかTwitterが使えなくて。
かと思えば、真っ赤なコートを着て二月のよく分からない時期に大量に来日して便座とかサロンパスとかよく分からないものを爆買いしてでかい声で訳のわからないことを叫ぶようにしゃべっている。
食い物は安全じゃないわ、なんか国全体で日本を嫌っていて、日系の店の窓ガラスを破りまくるわ、よく分からんテクノロジーを使って外国のサイトや情報を遮断していて、訳のわからないものを大量に欲しがって。
確かに、やばい国って思われても仕方ねーよなあ。
なんて思ったりもする。
案の定私が中国に渡航することになった時に両親も激烈に反対したし、中国に関わっている日本人以外から見たら中国っていう国は未だに、理解不能の謎の怖い国でしかない。
ましてや、映画や文化を通して日本人と精神的に近い香港や、
日本人にも大人気の渡航先の台湾を、容赦なくイジメ倒している絶対的な悪役である。
判官贔屓、って言葉があるくらいに日本人は可哀想な方に肩入れするタチで、そういう意味では台湾人や香港人に同情するのが自然の流れだし、実際私だってそういうところはある。
中国人や中国は、私の想像を超えることを何回もしてきたし、これからもしでかしていくんだと思うんだけど。
残念ながら、私はこの国に人生を賭けている人間なのである。
成り行きだけど、ありがたいことに中国と関係する仕事にも就かせてもらって安くない給料を受け取っている。
このご時世、いろんな観点から見ても日系の商品を中国に届けることは難しくていろんなハードルはあるけれどそれもすごくやりがいを感じていて、夢があることだと思っている。
この仕事を始めてびっくりしたことは、日中ビジネスの現場の中国人率の高さである。
周囲を見ていても、韓国や、東南アジア、ヨーロッパなんかはビジネスの現場に日本人が英語を使って交渉に出ていくパターンが多い。
だけど、中国に関しては最前線で商談をしたり交渉をするのは中国人であることが常で。
中国側中国人と日本側中国人が中国語で商談を行っている。
あくまで、私のいる業界での話なので、他業界のことはよくわからないけれど、
昔私に、
「眼には目を、歯には歯を、中国人には中国人じゃないとね!」
なんて冗談を言ってくれた中国人もいたけれど、
まさに空気の読み合いや、裏の裏を先読みして先手を打っていく乾坤一擲のやり取りは、確かに中国人同士でないと丸腰の日本人ではあっという間に丸裸にされてしまいそうな迫力がある。
中国人と一緒に働きながら思いを馳せるのは、彼らがいかに微妙な立ち位置を泳いでいるのかということだ。
例えば、去年の処理水の問題が起きた時、
会社にかかってきた大量の迷惑電話や、取引先からの中国語でのお問い合わせに対処していたのは中国人社員たちであったし。
その後中国政府が行った輸入制限によって、どの商品が輸出できて輸出できないのかというリストを作ったり、材料の産地を調べたり、あらゆることに追い回されてるのも中国人の社員たちだった。
さらに私が見ていて苦しかったのは、
ラーメン屋さんや旅館に中国から大量の迷惑電話を中国人がかけている様子を連日テレビメディアが報道したことで、会社の中の雑談でも良くこの件は話題に上がり、彼らがちょくちょく意見を求められていた場面だった。
「なんで中国人はあんなことするんだろう?」
「中国から日本に電話かけるってそんなに簡単にできることなの?」
「中国人ってやっぱり日本人が嫌いなんだね」
同胞が遠く離れた母国でやらかしたことについて、日本の会社で日本のために日々頑張っている中国人が矢面に立たされているのを見ると、いつも一緒に仕事をしている身として胸がちくりと刺されたような気持ちになる。
何だよ、そんなくだらない質問投げつけやがって。
って、同僚の中国人にそんなくだらない質問を投げてる日本人に言いたくなる。
だって、会議の中で「汚染水」という言葉を使う中国側に対して「処理水」という言葉を最初から最後まで貫いた、弊社の中国人社員たちの徹底的に日本側に立ってやり取りを行なっている同僚たちの思いや言葉を、質問を投げてる人たちが知ることはないのだから。
そう思うと悔しくて仕方がない気持ちになる。
それは、蘇州の日本人学校へのバス襲撃事件でもそうだったし、靖国神社への落書きアンド放尿事件でも同じことだった。
母国で何かが起きるたびに、ニュースを確認して。
母国で愛国ムーブメントが起きるたびに、PR計画や予算を調整するように走り回っているのはいつだって中国人たちだった。
多くの人にとって、中国というのが地図の上に存在している赤が好きな独裁の変な危ない国だとしても、
私にとってはそこに住む人一人一人に顔があって声があって思いがあって情があって。
思い浮かぶ名前がたくさんあるのだ。
多くの人にとって中国という国が、謎の恐ろしい国であって、中国人という存在が怖くて頭がおかしい人たちの集団だとしても、
私にとってはそうじゃない。
じゃあ、、盲目的に中国と中国人が好きかと言われたら、それだってそうじゃない。
そんな単純に割り切れるほどの簡単な付き合いはしてきてない。
中国のせいで嫌なこともあったし楽しいことも嬉しいことも感動することもあった。
だから、ネットで一部の中国人の極端な行動が分かりやすい日本語に翻訳され嫌悪感と共に一人歩きしているのを見ると、「ちょっと待ってくれよ」と思ってしまう。
極端な嫌日の妄言が翻訳されて海を越えるのに、
「バズりたいからってここまですんのかよ、、」
「こいつ流石に脳みそないやろ。ここまでしたら愛国じゃなくて中国の格を下げてるだけなんだけど」
って、中国人が同胞が行った行き過ぎた行為を冷めた目で見つめているコメントは永遠に大陸にとどまったままなのだ。
今や、日本に来て働いてる中国人の全てが日本が好きできたくて仕方がなくて来たわけじゃないとしても。
中国人としてではなく、一人の人間として彼らを見た時に、彼らだって日本で出会った日本人との一対一のコミュニケーションの中で何かを感じたり心を動かされてみたりして、ただ黙々と日本で税金を納めて働いている。
私だって、仕事仲間として彼らと一対一でやり取りをしたり、仕事を教えてもらったり、勤務後飲みに行ったり、悩みを打ち明けたり打ち明けられたり。
国と国じゃなくて、個人と個人で付き合っていて。
彼らが私のことを大事に思ってくれているから、私が大事に思ってる人たちのことを思えばこそ。
SNSに氾濫する、「中国で日本人はこんなに嫌われてます!こんな動画も作られてます!」
「中国人は日本人を殺したがってます!日本人は気をつけましょう!」という文脈で溢れかえる中国情報を見るたびにただ暗い気持ちになる。
こういう言論を多くの日本人が眼にして、なんとなく中国人に対して見えない心の薄くてでも決して崩せない堅牢な心の壁が出来上がっていったら、私が一緒に働いている中国人や、本気で私を心配してくれる中国人の友人たちはどう思うんだろう。
そんなふうに当たり前に心を痛めてしまう。
だけど、SNSで中国人の味方を少しでもする投稿をしたら。
いや、味方という書き方は誤解を呼ぶかもしれない。
「これは、一部の問題で中国全体を指すわけじゃない。これだけみて中国を判断して拒絶するような真似はやめた方がいいよ」
ってことを書いたらきっと、「親中派」とか「思想が中国にかぶれてる」って言われるのだろう。
そもそも、
親中派ってなんなんだろうか。
中国に被れる、ってなんなんだろうか。
当たり前に個人と個人で付き合い泣いたり笑ったりした人たちが、中国人だっただけで自分の大切な人たちのために、心配したり心を動かせば親中派になるのだろうか。
SNSで、台湾人と中国人の見分け方がバズると嫌な気持ちになる。
日本で彼らを見分けてどうするんだろう。
台湾人に優しくして、中国人には優しくしないってことだろうか。
どうして?
台湾人は可哀想だから?
いや、確かに可哀想だけど。
でも、人を国籍によって区別して態度を変えるのってフツーに差別じゃないの?
でも、少しでも大陸の方を持てばきっとものすごいバッシングを受けるから黙る。
私はモヤモヤして真剣に悩んでるのに、
当の中国人たちは「あいやー、めんどくさいね!死んじゃいそう!」って一言叫んで笑い飛ばして仕事に戻っていくのをみて、
ああ、強いなあ。って思って呆れてみたりもする。
親中派って言われましても。
目の前にいる人たちと一対一で誠実にやり取りしてるだけなのだ。
それは誰に対しても同じように、イライラしたり笑い合ったりムカついたり手を取り合ったり。
それは中国人でも台湾人でも香港人でも変わらない。
変わらないのにどうしていつだって一部の人間は、こいつは〇〇派で、あいつは××派でって決めたがるんだろうか。
誰といてもどこにいても自分が自分の目で見て思ったことを思ったままに感じて、感じたものを元に学んで、調べて自分なりに自分の核になる思考を作り上げていくしかない中で、今の状況はあまりにもアンフェアな気がする。
私はいつだって目の前の人をまっすぐ見つめていたいのだ。
私と同じ黒い髪と黒い目を持つ彼らと逃げ場なく向き合って、その結果彼らの心や本質に手が届かなかったとしても手を伸ばし続ける人間でありたい。
それだけを望んで、今日も中国と向き合っている。