中村文則 「掏摸」


中村文則の「掏摸」を読もうとしたきっかけは、ピース又吉のYoutubeを見たときに「中村文則さんの作品は主人公が暗い感情を持った作品が多い中で、著者と対談したときに明るくて人間性にギャップをすごく感じた。著者は自分が暗いことで人に迷惑をかけるのをやめようと思った。と語っていて本物の気遣いってこれなんだ!」という内容を見て、自分は僕も内面は暗いしどのくらい暗いんだろうということに興味を持ったため手にとった(笑)


厚みも内容も複雑性はそんなになく、サクサク読めていたが、

母と子供がスーパーで掏摸をしているシーンを読んでいてふと、ある女性を思い出した。


大学4年の春にスーパーのバイトで品出しをしていたとき、たった一回だっけ。スリで捕まった40代くらいの女性を見張っていてほしいと頼まれたことがあった。時間にして10分もないくらいだったけど、

正直なんでこんなことバカなことをするんだろう…?というのがそれが当時の僕の感想だったし、女性の表情も「なんでこんなことをしてしまったんだろう」という感じで泣き出しそうに深刻だったのを覚えている。

読んでいてフィクションであれノンフィクションであれ、自分とあまり関わりのない層(状況)の価値観というか、考えや背景を目にして頭の中身を殴られる感覚って本の楽しみだと改めて痛感した。

この先の人生で、スリで捕まった人を見ることもあまりないし、裁判員制度に当たらない限りなかなか罪を犯した人と接する機会はないと感じ、今思い返しても、あれはあれで貴重な体験だったなと…

脳は覚えているけど、思い出すきっかけを失っているだけってのを何かの本で読んだことがあったけど、まさにあれ。


本の内容としては、能動(スリ・セックス・教える)側の主人公が、いつの間にか受動(依頼される・狙われる)側に回っていて、その対比が割を印象的だった。

主人公もその中で自分の居場所を確保できていて奪う側にいたつもりだったけど、結局はヒエラルキーの中で搾取されることを再認識させる終わり方で、自分としては上を見ても下を見ても首が疲れるし痛くなるし、どこで落ち着くかが一番だよなという月並な感情を抱いた。

「足元ばかりをみるな、上をみろ」という言葉があるが、学生でも勉強や部活、社会人でも取引先との関係や上下関係、年収など立場を否が応でも意識させられるし、比較検討でしか人は優劣をつけられないんだから、自己啓発系にある登る山を決めて向かう道中で幸せを感じるしかないはやっぱり正しいと思う。

僕は20代ってやっぱり登る途中で背負う荷物も少ないし、所詮まだ20数年しか生きてない人生で(もちろん30代になっても言えるが)社会的な圧力や世間の目が寛容なうちに、自分が死なない程度に高い山に登ろうかしら。

塔の描写は、善意なのか何かは今もわからない、山の話と繋がればと思ったがそうはうまく行かなかった、、、



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