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ミラクル続きの妊娠・出産 〜 世間でいう超高齢出産だったけれど…

私の人生の中で妊娠・出産は、やっぱり1番忘れられない貴重な体験。


その日は突然やってきた

2018年9月、私は主人と友達と3人でケアンズ旅行をした。この時はまだ自分が妊娠していることを知らず、飛行機に乗り、船に乗り、プールで泳いでビールで乾杯!と楽しいことやりたい放題。今考えると、知らないからできたこと。怖い…💦😅

旅行中にあるはずだった月1周期のものが来ず、帰国後1週間以上経っても来ない日が続いた。まさかね…とは思ったが、念のため検査薬を購入して検査してみたら、


妊娠おめでとう!のライン印が‼︎


この時ほど喜びと驚きで目が飛び出そうになったことはない。妊娠がわかった時、私45歳だった。


30代は「子供がいたらいいね…」という話を主人と何度かしていたが、40歳を過ぎた辺りからは、2人でも楽しいからいいかと、治療などはせずに自然に任せて、「子供ができたら…」という話も年々あまりしなくなっていき、2人でできる趣味や楽しみの方へ気持ちを向けていった。

それだけに、私達だけでなく家族や周りの友達の喜びも大きかった。でも、それ以上に驚きの方が大きくて、

「信じられない!ホント奇跡だね。」

という反応だった。😵


妊婦生活スタート

病院は家から歩いても行ける距離にある総合病院を選んだ。

そして何より、家族、友人、近所の人達、病院の先生方など、周囲からの心温まる気遣いや手厚いサポートが嬉しかった。

そうだね、普通に考えたら超高齢出産だもんね。周りは、安静にとか、体調とか心配になって気にするよね。


でも、私自身はあまり年齢的な実感がなく、それほど気にせず、結構お気楽に構えてゆったりした気持ちで生活をしていた。

女性によって妊娠期の症状や体調は人それぞれと聞くが、私の場合、本当にラッキーなことにつわりもなく、味覚が変わることもなく、何でも美味しく食べることができた。お腹がどんどん大きくなっていくこと以外は普段と変わらない生活ができて、体調も毎日絶好調だったので本当に助かった。

不思議なことに、ほぼ毎日飲んでいたビールだけは全く飲みたいと思わなくなり、ピタッと飲まなくなった。(今はまた元に戻ってビール好きですが…笑)

お腹の子とよっぽど相性がいいんだねー。生まれる前から親孝行で助かるよ!😄 私の直感として、性別を聞く前から何となく「男の子」のような気がしていた。

オーストラリアに住んでいた頃、大きなお腹で出産日ギリギリまでレストランなどで働く女性達を何度か見かけたことがあった。向こうでは普通によくあることだし、私はどうなるかなぁ…と考えていたが、自営業ということもあって出産予定日の5日前まで働けたこともラッキーだった。


でも、予定日が近づくに連れて、一つだけ気掛かりな心配ごとがあった。

それは、いつ産まれるかわからないが、主人は日本語が話せないので、どんな状況にしろ、私がしっかり対応しないといけないなぁ…ということだった。

そんな余裕が実際あるのかなぁ…🤔


家には私の父親もいて色々と心配はしてくれていたが、まぁ今回は頼りにならなさそうだよなと思っていたので、タクシーや病院への連絡や現地での対応をどうするかなど、色んな状況を頭の中で考えつつ準備をした。


予定日が過ぎて数日経った。


健診のため病院へ行った日に、「あと1〜2日待って産まれなかったら体にも負担となるし入院しましょう」と言われ、入院の手続きも先に済ませておいた。


そして、いよいよその時が来た!


病院の健診から帰ってきた日の夜、入院となる前に産まれてきてくれたらいいなぁ…と思いながらベッドへ行った。

そして真夜中、少し変な吐き気を感じたので、きっと今夜なんだ!そんな確信があった。

夜中1時頃、陣痛が始まった感じがあったので、前から携帯に入れていた陣痛カウンターアプリを開いた。今は本当に便利な世の中だよねー。主人にも声をかけ、一応、病院にも電話をした。


「初産は時間がかかるので、病院よりお家にいた方がいい。陣痛の間隔がもう少し短くなってきたらもう一度お電話ください。」

とのことだった。


そうだよね〜、確かに家のベッドで横になっていた方が休めるかも。


妊娠中は不安材料を作るのが嫌で、あまり色んな情報をネットなどで読まないようにしていたが、それでも出産の感想など幾つか読んだものもあり、想像を絶する痛みとか、気絶しそうな痛みなどと書かれた話は目にしていた。


どんな痛みなんだろう…💦


陣痛カウンターと睨めっこしながら横たわり、数時間経った午前4時ごろ。

なんだか、カウントの間隔がかなり短くなっている気がするけど、測り方あってるのかなぁ…。確かにお腹も数時間前より痛いし、ちゃんとカウントできているのかも突然不安になった。主人を起こして再度病院へ電話。


「食べれそうなら何か少しでも食べてゆっくり来てください。」


この時も助産婦さんはそれほど焦らなくても大丈夫よという優しい口調だったが、病院へ来てもいいですよと言ってもらえたので安心した。

何となく、もう少し家でゆっくりしていたら動けなくなってしまうんじゃないかと思い、急いで登録してあったタクシーを呼び、病院へ向かった。

夜間受付で借りた車椅子に乗り、エレベーターで助産婦さんが待つ階へと向かった。この時、既に立っているのがやっとな感じだったが、

「少し歩いて運動した方がスムーズに進むので、まずはトイレまで歩いて、その後に内診しましょう!」

と助産婦さん。


何もかもが初めてのことだったので、そういうものなのか…と思い、かなり痛みもあったが入り口で車椅子を降りてトイレまで必死に歩いた。


その後、待機室にある簡易ベッドへ案内された。この部屋は陣痛の間隔が更に短くなるのを待つ場所で、特に初産の場合は、分娩室へ移動するまでに長時間ここで待機する人も多いらしい。


助産婦さんが内診のため入ってきたが、始めてすぐに出て行ったりとなんだか周囲がバタバタしだした。そして、すぐにもう1人別の助産婦さん(少しベテランの人なのかな)も来て2人で確認。きっと、間違いがないよう念のため他の助産婦さんの判断も聞いたのだろう。そして、


「全開です!今すぐに分娩室へ移動しましょう‼︎」

と。


「えぇーーっ!」やっぱり陣痛カウンター正確だったんだぁ。あの時に家を出発してホント良かったよ。


向かい側の分娩室へ即移動して、部屋の準備も整い、担当の先生も入ってきていよいよお産が始まった。

主人も横で立ち会ってくれているので心強い。


実は出産予定日の数日前、出産経験のある友達が安産の御守りを届けてくれて、「お産のコツ」のようなものを伝授してくれた。

①目をしっかり開いて
②顎を引きおへそ辺りの一点を見つめ、全神経と力を集中する感じで
③助産婦さんの合図に合わせて一気に力を入れて押し出す!


もちろん効果があるかどうかは人によるのだろうが、彼女の言葉を思い出し、精一杯の力を込めた。


痛みもマックスだったと思うが、それよりももうすぐ赤ちゃんに会える、一緒に乗り越えようという気持ちの方が強かった気がする。

4〜5回目のプッシュの後、今まで感じたことのないような熱いものが体の中を一気に通り抜けるような不思議な感覚で流れ出た。


息子の誕生だぁ!🤩

心配していたお産も30分ほどと驚くほどスーパー安産だった。

主人は終始落ち着いているように振る舞ってくれていたが、張り詰めていた気持ちが喜びと安心に変わり涙ぐんでいた。そして、お産直後に分娩室へ運ばれてきた朝食をパクパク食べる私を見て、

「どうなっているんだぁ?」と言いたげな、ギョッとした驚きの目をしながら笑っていた。



御守りを届けてくれた友達の言葉が本当に役に立ち、私を助けてくれた。助産婦さん達も驚いて、呼吸や力の入れ方もすごく上手だったと褒めてくれた。💮


産声を聞いて感謝の気持ちでいっぱいになった。46歳でママになり、新しい人生がスタートした瞬間だった。

色んなミラクルをありがとう!

そして、元気に産まれ、私達のところへ来てくれて本当にありがとう!
Welcome to the world.😌💖

産まれた日に友達が撮ってくれた💖


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