眠るあなたへ贈る独白

 何もかもが気持ち悪い。まず心臓、ずっと動いてるってなに? 止まったら死ぬってなに? 怖すぎるだろ。
 PCでも車でもそうだけど、起きてるときだけ動いて寝てる時は止まってるだろ。再起動する前提で作ってんのに、なぁ、心臓。寝てる時も起きてる時も絶えず動き続けて、今だってドクドクと血液を送り続けて、これが止まる時は死ぬときですって誰に教わるでもなく実感させられる。そのせいで私は自分が生きていることと、それが有限の時間が与えた奇跡であることと、過去と未来を夢想する羽目になった。感謝もするが恨みもするよ。

 お金が気持ち悪い。人々がより効率的に生きるためのツールが、今や多くの人にとっての生きる理由と成り果てた悲しき道具。気持ち悪いんだよ、お前。新札を「偽札みたい」ってはしゃいでた大人たちも、数回それをレジの自動精算機に通せばすっかり価値を覚えちまって、今や北里柴三郎も渋沢栄一も必要以上に崇め奉られてしまって、私たちがついに正気を取り戻すことはなかった。何度お札を刷り直したって、私たちはその利便性に気づき、気づくと同時にお金の奴隷になる。道具だと思って使っていたら、自分がお金を稼ぐための道具に成り下がる。
 実存は本質に先立つというのなら、この世はもはや実存で回ってなんていないし、「本質と定義されたもの」を追いかけて走り回るチルチルとミチルしかいない。

 壊したいと言えばテロリストになるし、守りたいと言えば洗脳教育の賜物だと揶揄される。ルーツがないから、寄る辺がないから、私たちはみんな胎盤の温かさを見失って、かすかな手がかりを求めてSNSとマッチングアプリとおっさんの性器にしゃぶりつく。温かい肉じゃがもカレーもクリスマスプレゼントも自分で作らなきゃ手に入らない世界に放り出されて、街に鳴り響く迷子の放送は幸せな病に冒された老人ばかりを呼びつける。

 それでも千年前と変わらず1日は24時間で巡り、10年前と変わらない速度で四季が移り、10年前とは違う顔つきで私たちは歩く。生きている地平がことごとく変わっていることに気付きながら、それでも記憶を頼りに自分に言い聞かせる。

「あの頃と何も変わっていない」
「まだ大丈夫」
「年末には帰るから」
「結婚はまだ早いんじゃない?」
「ボーナス払いもあるから問題ないよ」
「お世話になっております」
「戦争ってまだやってんだ」

 嘘を吐くことに何の抵抗もなくなった私たちの顔を鏡で見たことはあるか。とっくにほら、この世の立派な手先だ。

 あなたは無神論者だろうから、私が代わりに祈ろう。忙しいあなたの代わりに、あなたの分も祈ろう。

 誰の意思かも分からぬ声に急かされて明日の仕事に備えて眠るあなたの夢が、せめて幼い頃の夢みたいな美しさでありますように。
 何も怖くなかったあの日の気持ちのまま目覚めて、そうして様変わりした世界と自分に絶望して、死にたくなってくれますように。
 それでも正気のまま、狂気の世界に立ち向かっていけますように。
 どうか、安らかに眠れますように。
 いつの日にか訪れる本当の終わりを希釈しただけの無意味な一日を、弱毒生の一日を、痛いと思う心がまだ生きていますように。
 目覚めてもまだ、あなたはあなたのまま、苦しめていますように。
 それこそが、鼓動より、SNSの投稿より、週末の予定より、なにより、なにより、あなたが死んでいない何よりの証左であることに胸を張ってドアノブをひねって出かけていけますように。

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