僕らオタクがすみっこで楽しんでいたものがどんどん文化の中心になっていく

最近オタク文化が中心になりつつある。前は日陰者だったのに。その流れを自分の体験を通し振り返ってみたい。

ライトノベルとの出会い

高校時代、サブカルチャーにはまった。クラスで人気者になるためにはみんなの期待に応えてリアクションしないといけない。一発ギャグをしないといけない。テレビの話題についていかないといけない。そんなの無理だ。クラスの端で固まっている僕らがオタクになるのは時間の問題だった。

文化祭の準備をさぼり『らき☆すた』を読みふける友人。かわいいイラストに気になりながらも、マンガを読まず真面目な性格ゆえに一歩が踏み出せない自分。そんな僕が沼に浸かるきっかけ、それは趣味の読書だった。つまりライトノベルだ。『涼宮ハルヒ』を読みラノベに興味を持ちいくつか読む。『半分の月がのぼる空』を読んだころにはスピード感、キャラのかわいさといったラノベの魅力にはまりつつあった。そして『狼と香辛料』。完全に落ちた。全巻を読み漁り、そのあとも挿絵を繰り返し眺めていた。若気の至り……。

ライトノベルと別れ?

さて、ライトノベルは大学に進んでも続いた。大学に進むとだんだん登場人物と年齢が離れてきた。年齢が離れると、当然感情移入がしづらくなる。予感があった。きっと近いうちにライトノベルが読めなくなる。

幸い社会人になってもラノベは読めた。でも予感はさらに強くなった。そこで、今まで読みかけだったラノベを今のうちに読破することにした。入社して読んだラノベは『バカとテストと召喚獣』『ソードアート・オンライン』『涼宮ハルヒ』『ココロコネクト』など。途中まで読んで止まっていてた好きな作品をとりあえず全部読んだ。そしてラノベから離れていく覚悟ができた。

しかしだ。予想外なことに、ラノベが追い付いてきた。その名も「ライト文芸」。大人向けのラノベレーベル「メディアワークス文庫」を筆頭に、「講談社タイガ」「新潮文庫nex」とか続々と出てきた。クラスの片隅で楽しんでいたラノベ。気づいたら小説の中でも存在感のある立ち位置まで上り詰めていたのだ。

ボカロでも同じ現象が起こっていた

そのあとボカロでも同じことが起こっていることを知った。

高校時代から僕はボカロにはまった。じんさんとkemuさんが真っ向から勝負するかのごとく人気曲と凝ったPVが作られたあの熱狂時代。反動でしっとりとした曲が支持されたOrangeStarさんとナブナさんのあの時代。ボカロの主役はニコニコ動画だった。

あれから時がすぎた。減っていくヒット曲。工作ばかりであてにならないランキング。僕はニコ動を見なくなった。必然的にボカロ曲とも距離を置くようになった。そのあと聴くようになったのは気に入ったアニメの主題歌ぐらい。ボカロ業界だけでなく世の中の音楽業界全体と距離ができていった。

そして今年。音楽ストリーミングサービスに興味を持った僕は、「YouTube Premium」に加入し「YouTube Music」で曲を聴くようになった。久しぶりに聞くいわゆる有名曲。すぐに違和感に気づいた。なぜかツボの曲が多い。ジャニーズとかアイドルとかKポップとかには興味ない。なのに人気曲にやたらとツボな曲が多い。なぜだ。

アーティストを調べてみる。「米津玄師」「YOASOBI」「ヨルシカ」。曲を作ったのはハチさんにAyaseさんにナブナさん。みんなボカロ出身の人だった。知らない間にボカロの人々がメインストリームに駆け上がり、世の中に受け入れられていたのだ。

日本総オタク化が進んでいるのかもしれない

かつては「大人の文化」と「子供の文化」は断絶しているものだった。子どもは子供向けのアニメや小説を読み、大人になれば一般小説や大人向けのマンガを読む。それが当たり前だったのだと思う。

しかし今はそれがシームレスになりつつあると感じる。アニメは子供と大人両方楽しめるものが増えているし、ラノベも前年代が楽しめるようになった。『涼宮ハルヒの憂鬱』が小学生向けのレーベルから出ているのを見たときは驚いたものだ。

つまりひとことで言うと、日本総オタク化が進んでいると言えるのではないか。一人のオタクとしては大歓迎だ。そしてこの現象がどこまで行きつくのかはとても気になる。

個人的に今熱いと感じているのはvTuberだ。vTuberが当たり前のようにテレビ出演して、当たり前のようにタレントと会話している未来が見えたら面白いなんて最近は考えたり。ぜひとも見届けたい。これは長生きしないといけないな。

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