映画『別離』を見ての覚書

昨年2017年に公開されたイラン映画『セールスマン』(監督:アスガー・ファルハディ)が大変面白かったので、同監督の前作『別離』をDVDで観た。イラン映画としては初のアカデミー賞外国語部門受賞作品である。

この映画は、イランの首都テヘランで暮らすふたりの夫婦の物語から始まる。結婚して10年以上が経つふたりの間には中学生になる娘がいて、子供の教育のためにも国外への移住を望む妻・シミンと、アルツハイマーを患った父の介護をするため国内に留まることを望む夫・ナデルの意見は対立し平行線をたどる。ついには離婚騒動へと発展していき、映画の冒頭は裁判所での協議の場面から始まる。カメラは終始ふたりの姿を正面から捉え、カメラ側に立つ判事に向かって(観客に向かって)今の現状と、その成り行きを説明しながら語る。この映画の冒頭はラストシーンでも繰り返され、言わばこの夫婦に対するジャッジを観客である貴方ならどう判断しますか?という問いかけが行われているのだ。

やがてふたりは別居の道を選び、シミンは実家へと戻っていく。彼女は娘のテルメーを連れて行こうとするが、テルメーは父の元に留まることを選択する。父の介護が必要なナデルは、姉からの紹介で子連れの女性・ラジエーを介護人として雇う。ところがある日、ナデルが仕事から帰宅すると、そこにはベッドに縛り付けられたまま、酸素呼吸気も外れ、倒れている父の姿があり、ラジエーは子供とともに姿を消していた。やがて彼女が戻ると、ナデルはラジエーを責め立て、部屋から現金が紛失していることから、彼女を泥棒だと決めつけ家から追い出そうとする。泥棒呼ばわりされるのは心外だと憤るラジエーを、ナデルが無理やり追い出そうと突き飛ばした瞬間、彼女は家の扉の前の階段を転げ落ちていってしまう。その後、ナデルはラジエーが身ごもっていた子供を流産で亡くしたことを知らされる。ラジエーとその夫であるホッジャトはナデルを殺人罪で告訴し、逆にナデルも彼女が父に対して行った行為を問題に告訴する。裁判は彼らと彼らの周囲の人々を巻き込みながら、やがて泥沼化していく…

物語はミステリーとしての構造を多分にはらんでいる。ラジエーが家から離れていたあいだ何をしていたのかという点や、ナデルはラジエーが妊婦であったことを知っていたのか、果たしてナデルが彼女を突き飛ばしたことが流産の本当の原因だったのかが、観客の前に謎として提示される。ナデルが彼女を突き飛ばすシーンも、直接的には描かれておらず、突き飛ばした直後に扉を閉めてしまうナデルの姿を映した後、すぐさま階段に倒れ伏せるラジエーの姿へとカットがつながっているため、観客は一度はナデルに非があることを確信するが、やがて物語が進むにつれて、現場の状況や階段の位置、倒れていた彼女の場所などから不確かな疑問点が浮かび上がってくるのだ。

裁判所でのシーンも非常にリアルに描かれていて、多くの人で混雑している薄暗い内観をドキュメンタリー風に映し出すショットが印象的だ。対象となる人物との距離感が適度で、その間のレイヤーを行き交う人々が何層にも増して埋め尽くされている。誰が主要人物なのかわからず、並列化されるため、また誰しもが同様の事件の家中にいるかのようにも映される。より生々しく感じられ、同時に終着が見えないこの裁判の閉塞感があらわれている象徴的なショットだ。

主に新作映画についてのレビューを書いています。