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断面的ではなく、多角的に物事を見ていく。

「なんのために勉強するの?」

子供の頃、よく友達や大人に聞いていた。

何を言われたかも大して覚えてない。多分、自分にしっくりくる言葉がなかったんだと思う。

勉強をする目的が見つからず、工業高校を卒業して、そのまま就職した方が良さそうと思い、森ビルに入社した。(そんな感じだったので学生時代まともに教科書開いたことない……笑)

社会人3年目の時、勉強する理由が見つかった。

それは友達との関わりの中で、「賢吾はAと言ってるけど、日本の歴史から見るとBという風に見れるよね」と言われたこと。

最初何を言っているのかがわからなかった。でも、話を聞いているうちに、「あーだから、Bという選択肢が考えられるのか...」と納得した。

知識を得る理由、学ぶ理由はここにある。ということを体感した瞬間だった。

それまで出来事の背景までを考えるということをしらず、起こった出来事の表面的な部分、断面的に物事を見ることしか考えていなかった。そんな状態だったから、自分の意見はなく、基本的に周りに翻弄されてばかりだった。

そこから、多角的に物事を見る。つまり、背景を考えるということを意識できるようになった。
・なんでこの出来事が起こってるのか?
・どんな文化背景があるのか?
色んな情報を集めることによって、多角的に物事が見えるようになるということの意味が少しわかってきた気がする。


台湾を例で例えると、「台湾人って親日だよね」と言ってもらえることが多いが、なぜ親日なのか?日本のことを好いてくれるその背景には何があったのか?など。
(この部分を書き始めると止まらなくなるのと、余談になるので割愛しますが、1895年から1945年の50年間、台湾は日本の一部で、その間に上水道の整備や教育などを施して国の体制基盤を作ったこと。それとその後に中国が台湾の統治を始めたことに起因していると思っています。)

だからこそ、Aという事柄にAかA'か?という観点ではなく、Bという選択肢が生まれる。周りに翻弄されるでなく、自分の判断軸で物事を考えられるということなのかなと。

ある意味、今ニュースで放送されている出来事も、表面的なことをそのまま受け取ってしまうと、翻弄されてしまう。
人間関係も同じだと思っている。
誰かが言った表面的な言葉の一言を切り抜いて、誤解や解釈が生まれる。


多角的に物事を捉えること、そして誰しもそれを無意識にやっている時と、やっていない時があり、それにより翻弄されることが多いんだろうな・・・と。

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