ムスメが不登校になった 9 陰と陽
不登校のロールモデルが見つからない中、
わたしたちがどう歩んでいったか。
わたしが悩んだ中で気づいたこと、救われたことを伝えたいので
ここに記しておきます。
あなたにとっての、明日への活力になると嬉しいです。
名古屋駅のホテルのティーラウンジで相談した先生に
「海外の教育なんか向いてるんじゃない?」と
全く想定外の展開になり、
ムスメはちょっとその気になっている。
目に宿る力が、今までと違っている。
これは・・・えらいことになった。
この進路は、全然わたしたち夫婦が思い描いて
「いなかった」道です。
通常、子供の進路の話をするとき、
親自身は、「自分の経験」をもとに話をしがち。
・公立なら◯◯高校、私立ならXX高校がいいよ
・△△高校はだめだよ
・家から近いところがいい
・家から離れたところがいい
・文系がいい
・理系がいい
・商業系がいい
・工業系がいい
・男子(女子)校がいい
・共学がいい
・部活はやったほうがいい
・部活はやらない方がいい
・大学は行った方がいい
・専門学校がいい
・就職したほうがいい
・・・・・
たとえば、自分が理系だったら、子供に理系を勧め、
自分が理系でいやな思いをしたら、文系を勧める。
自分の経験上のアドバイス、または、そのウラを提示しがちですね。
そして子供という生き物は
これらの選択肢を意識的に、かつ、無意識下で
大いに考慮に入れ(つまり親の影響を大きく受けながら)、
Yes or No を選びながら、自分の進路を決めることになります。
つまり、びっくりするような進路は
たいてい出てこないのです。
親も、子供も、同じような「絵」を見ています。
うちも、そうだと思っていました。
そのため、今回の「海外教育」という選択肢は
わたしたち夫婦にとってまったく想定外のため、
思考が止まってしまいました。
親として、いいか悪いかの判断ができないのです。
自分が経験したことならば、
「あの高校は不良が多いから、行かないほうがいいよー」
など、アドバイスができそうなものですが、
経験したことがないから、どうしたらいいかわからない。
このころ、わたしは
名古屋駅にあるビルで働いていました。
お昼休みになると、急いでランチを食べに名古屋駅地下街へ行きました。
お昼は定食、夜は居酒屋、北海道メニューがおいしいお店。
ほぼ毎日、ここで食べました。
その真上に、大きな本屋さんがありました。
「ジュンク堂書店 名古屋店」
という本屋さんのあるそのビルは、
地下道でわたしの勤務していたビルとつながっていました。
ランチをそそくさと食べおわると、
階段を上がり地上に出て、本屋さんへ向かいます。
この頃まだ残暑が厳しく、
本屋さんの自動ドアが開くと、ひんやり涼しい風が体を抜けます。
ああ、この冷気にもっと包まれたい・・・と、急いで中へ。
毎日本屋さんへ通って、何をするかというと
ただうろうろして、本のタイトルをぼーっと見つめるだけ。
海外の教育ががいいのかわるいのか。
英語のレベルはついていけるのかどうか。
他の選択肢は考えなくてもいいのか。
なにより、海外ってこわくないのか。
心配ばかりがむくむくと大きくふくらむばかり。
そして、この心配ごとをどうやって解決すべきか
その手段がまったくわかりませんでした。
だれに聞いたらいいのだろう。
留学経験者の方にもお話をきいたことはありますが
やはりその方目線の「いい」「わるい」という話題で終わってしまいます。
ある方は、
早くに海外教育を受けるのはいいよー、と言い、
ある方は、
日本の教育をしっかり受けてから海外にふれるべきでは、と言い、
ある方は、
日本にあるインターじゃなく、やっぱり海外へ行くべき、と言い、
ある方は、
海外に行くなら国は◯◯がいい、と言い、
ある方は、
海外教育はお金をかけてやるほどでもなかった、と言い、
たくさんのアドバイスをいただきながらも
自分の子供のための決断材料は見つけられない。
結局、わたし自身の中に軸がないので
心配ばかりが膨らみます。
とにかく、なにかのきっかけやキーワードが欲しくて
本屋さんの棚をぶらぶらと眺める30分。
受験、教育の棚に限らず、
芸術、スポーツ、国際文化、歴史、科学、
旅行や雑誌コーナーもぼーっと眺めました。
あてもなくただ、広い広いフロアの
本棚のあいだをジグザグと眺めて回るだけで
昼礼が始まる直前に、何も買わずあわてて出ていく。
そんな日々を送っていました。
泣きそうでした。
ある日の昼休み。からあげ定食をほおばって、
階段をかけ上がり、冷房の効いた本屋へ飛び込みました。
そして、いつものように本棚の間の通路を
ぶらぶらしていました。
背表紙のタイトルを、ただ目で追っていました。
頭には、まったく入っていません。
ふと、一冊の背表紙の前で、足が止まりました。
「不登校からの海外留学」というタイトル。
え、この本棚、何度も通ったけど
こんな本あったっけ??
その棚は、教育の棚、「不登校」のくくりにありました。
こんなわかりやすい棚にあり、
こんなわかりやすいタイトルで、
「不登校」と「海外留学」という
まさにうちのムスメにヒットするキーワードが
2つも入っているというのに、
どうしてわたしは今まで見つけられなかったのか!!!
その本を手にとり、パラパラと数ページ読みました。
「おっ、これは・・・」
わたしののどや胸、耳のあたりまでが、
じわーっと熱くなるのを感じました。
一直線へレジへ向かい、カバーをつけてもらいました。
一連の本屋通いで、今回はじめて本を買いました。
帰りの電車の中で、読みました。
日本の学校という一面からみたとき、
どうしても一定数「浮いて」しまう子がいる現実。
「浮いて」いる子たちが、また学校に戻ることが
非常に難しい現実。
そして、その数が増えている現実。
そんな子ども達に「留学」という新しい道を
サポートしている団体が出版している本でした。
1200もの事例をもとに多くの内容を綴っていました。
留学はたしかに大変な選択だが、
一方で、日本よりも多様なあり方を尊重している。
子どもたちは自分らしくいられることで、
だんだん自信をつけていく。
そんなようなことが書いてありました。
わたしは、
「1200例も相談事例があるんだ・・・」
と、その数の多さにびっくり。
ああ、自分だけじゃないんだ。
わたしはさっそくムスメにこの話をしました。
同じようなことで悩んでいる子が、実は多くいること、
海外で自分らしさを取り戻し、自信を取り戻す子どもがいること。
同じような境遇の人たちがいることは
わたしにとって心強く、
ムスメにも、なにか勇気を与えてくれるかな、と思ったのです。
するとムスメは、
「ここの事務所へ話を聞きに行きたい」
と言いました。
えっ?聞きにいくの?
意外な答えに、あわててそこの事務所を探しました。
メイン事務所は東京でしたが、
名古屋にも事務所がありました。
そして、なんというご縁か。
かの本屋さんの、すぐ裏手にあったのです。
名古屋駅を降りてしばらく歩き、
あの本屋さんの前を通り、
そこの事務所へ向かいました。
いちばん最初に相談へ行ったカウンセラーさんも
すぐ近くにあったことはさらなる驚きでした。
その時は、周りの風景を見る余裕すらありませんでした。
その事務所では、
常勤の名古屋のスタッフの方に加え、
ふだん東京にいる社長さんがいらっしゃいました。
わたしたちに時間を合わせ、来てくださったとのことでした。
お二人は、ムスメのお話を熱心に聞いてくださいました。
そして本業の留学サポートの話を始めました。
小学校、中学校、高校、いろんな子が
親元を離れて留学をしている。
みんな、日本の学校に行かなくなった子どもたち。
留学期間も、1ヶ月、3ヶ月といった短いものから
1年、3年といった長いものまで、さまざま。
自分にあった期間を選ぶことができるそうです。
アメリカ、イギリスをはじめ
カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、
スイスなどもありますよ、
現地サポートメンバー(日本人)もいるので、
安心してください、とのこと。
あれ、ちょっと待てよ。
「ムスメは海外留学に行きたいわけではないよね?」
そもそも、高校は軽井沢の学校を目指していたわけですから。
不登校の子どもたちが、海外の教育に触れたとき
どんなふうに元気になり、自分を取り戻すのかを
知りたいなと思っていたのです。
まさに、軽井沢の高校を目指すための
足がかりになればいいなと。
「留学についてはまだ検討していないので
また今度〜」
と伝えようと思ったら、ムスメが
「わたし、ニュージーランドがいい」
!!!!!!!!!!!!
子どもというのは、ゾーンに入ると
いとも簡単に、親の想像を超えていきます。
絶句。
ニュージーランドは、
英語があまりできなくても、比較的受け入れてくれるとのこと。
なので、ムスメのように、英語が話せない子でも
(いわゆる、一般的な日本の中2生レベルでも)
ニュージーランドなら公立学校もサポート体制がある。
そしてニュージーランドは
原住民である「マオリ族」と
後から住み着いた「イギリス系民族」が
共存共栄している国。
国歌は、1番がマオリ語、2番が英語。
原住民言語を「1番目」にまず歌います。
先に住む人への尊敬を表していることがわかります。
いろんな文化が存在することを
国全体で尊重しているので、
きっと、多様な考え方を尊重してくれるだろう。
という話を聞き、ムスメは、
「中学3年の1年間だけ、行く」
という計画を立てました。
1年間、異国の地でがんばって英語力を伸ばし、
軽井沢の高校入学の準備をしたい、とのこと。
な、なるほど。。。
留学を受験の準備として活用するのか。
高校受験のために、1年間親元を離れる決意をした
13歳。
まだ13歳です。
ただ離れるだけでなく、外国で過ごすとは。
彼女のその心の内を想像したくても
恐らく想像が追いつかない。
とにかく、恐ろしくすごい決断をしました。
彼女は学校へ行けなくなってから
自信喪失の期間を過ごしました。
そしてしばらくした後、
親元を離れ、異国へ旅立つ決意を固めました。
まるで、陰の世界から陽の世界へと
瞬間移動をしたよう。
もしかしたら、落ちるところまで落ちたら
あとは上がるしか無い、と、
逆に勢いがついたのでしょうか。
9月に中学校へ行かなくなり、
10月にこの事務所へ相談しに行き、
11月に決断をし、
次の年の2月に、13歳のムスメは
ひとりで、ニュージーランドへ旅立っていきました。
この間、たったの6ヶ月。
ですが、濃密な6ヶ月。
そして、わたしたち家族にとっても
ターニングポイントとなる6ヶ月。
ずいぶんあとになってから、
ムスメに聞きました。
英語もそれほど好きではないあなたが
留学するって決めた、あのときって
どんな心境だったの?
「自分の人生を賭けたよね」
と答えました。
家族と離れ、ひとりで異国の生活。
言葉はまったくわからない。
不安材料は、見つけようと思ったら、
いくらでも見つけてしまうし、
行かない理由は、いくらでも作れてしまう。
だけど、行くしかない。
目の前のチャンスに、賭けるしかない。
そう思ったそうです。
13歳が自分を変えようと思い、
人生を賭した選択。
すごく、重いです。
そのムスメの決断に
親として、いいかわるいかなんて、
言えるでしょうか。
言えないです。
全力で応援することしか、できません。
さて、ムスメが旅立つと決めたあと、
わたしたち親の課題が、ひとつありました。
それは「留学資金」です。
当面の生活資金以外の貯金、資産運用などは
なーんにも考えてこなかったわたしたちは、
「・・・とにかく2馬力で、必死に頑張ろう」
と、夫婦で手に手を取り合い、
日々健康に働くのみ、と決意をしたのでありました。
多くの方から、資金面の心配から
「子どもさんがひとりだから、行かせられたんだよね」
と言われることがあります。
子どもがひとりだから、留学に行かせたのかしら?
たぶん、ちがうと思います。
子どもが二人いて、
どちらも留学が最適だとしたら、
留学に行かせたと思います。
(期間は調整するかもしれないけれど)
お金が足りなければ、
ローンを組んだり、両親や親戚からお金を借りたりして
工面したと思います。
工面できなければ、あきらめるかもしれない。
だけど、精一杯、子どものことを第一に考えて
動き切ると思います。
親のわたしたちが、子どもに教えてもらいました。
「いまを、あきらめない」。
子どもは、その親の背中をきっと見ているはずで、
あきらめない姿勢に、なにかを感じ取ってくれたかな、と。
今だから、わかります。
だから、親や、周りは、
あきらめてはいけないのです。