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ムスメが不登校になった 6 進路 

ムスメは9月1日から学校を休み、
様々な場所で時間を過ごすことができるようになっていました。

晩ご飯も、献立を自分で考えて
本やスマホを見ながら、何でも作れるようになりました。
マドレーヌや、シュークリームなど
お菓子作りもとても上手になりました。

そんなある日、わたしは学校に電話をかけました。
連絡は取らないで、と先生にお願いはしていましたが
こちらから学校へは、1週間に1回、電話をすることにしていたのです。
ムスメの近況を簡単に伝えていました。

いつもなら、すぐに切るのですが、
先生はこう切り出しました。

「(ムスメの名前)さんが学校で勉強できるような
 プランを考えました。
 もしよろしければ、学校にいらっしゃいませんか。
 そのお話をぜひ聞いていただきたいです」

なるほど。学校で勉強するプラン、ね。

ムスメは、勉強はしたい、と以前から言っていました。
ただ、いろいろな人間関係が解決しないといやだ、と。

プランを聞いてみるだけでも、いいじゃない。行ってみる?
と、ムスメに聞いてみると、
「ん、行ってみる」とのこと。

このとき、私たちが考えていたムスメの進路は、全くの白紙状態。
「学校には行きません」とは先生には伝えましたが
ムスメの気分が変われば、再び学校へ通うこともありえます。

学校に着くと、
9月1日「学校へ行きません」とお伝えしたお部屋とは違う、
応接セットが置いてあるお部屋へ通していただきました。
前と同じで、紙のほこりっぽい匂いがしました。

ムスメは、勉強したがっていました。
「普通に」勉強をしたいと言っていました。
この普通とは、
「多くの子どもたちが享受できる教育の機会を、わたしも受けたい」
という意味でした。

わたしは先生にそのことを伝えました。
その上で、
「進路は、ムスメがやりたいことを実現できる方法を選びたい」と。

すると、学年主任の先生は
プランをいくつかご提案くださいました。


一つ目は、保健室登校。
 教室へ入らず、保健室へ直行する。
 授業は保健室で受ける(ほとんど自習だったかな・・・覚えてない)。
 テストも保健室で受ける。

二つ目は、時差登校、別室登校
 教室へ入るのが朝、いやな場合は、遅刻してもOK。
 教室へ入ってもいいし、保健室にいてもよい。
 (授業はどうだったっけ・・・忘れました)

三つ目は、近くの施設で勉強をする
 そこは学校から少し離れた場所に建つ教育を受けられる学校の施設。
 先生が交代で訪問し、授業もテストも受けられる。
 同じように学校へ通えない子が、通う施設があるとのこと。

この3つの良いところは、
 出席日数がカウントされること。
 この頃の愛知県の高校入試では、
 出席日数が足りないと、高校の内申評価が悪くなり
 出願さえもできなくなります。


・・・と先生は、
出席日数が稼げるこの3つを、進学も視野に入れたプランとして
提案してくださいました。
「保健室登校から徐々に慣れていけばいいですよ」
とおっしゃいました。

ムスメは、ずっと下を向いていました。

わたしは先生に聞きました。
「先生、ご提案ありがとうございます。
 この3つのプランだと、出席日数も規定を満たすし、
 勉強もできるし、高校へ出願もできるんですね」

先生は、こうおっしゃいました。
「そうです。出席日数は規定を満たすのでよいプランと思っています」

「進学の際に提出する成績も、ちゃんとつくわけですね?」

「あ、お母さん、
 成績は、全部「1」なんです」

ん?いま何て? もう一度聞きました。

「成績は、オール1、となってしまいます。
 他の生徒と同じ教室の中で授業を受けたり
 テストを受けないと
 他の生徒との比較ができないため、
 成績は1をつけざるを得ないんです」

!!!!
わたしはものすごく驚き、目を見開きました。
ムスメを見ると、ただでさえ大きな目を、もっと見開いていました。
二人して眼球が落ちてしまうのではないか、と思うほど。

成績がオール1、ということは
高校受験に必要な「内申書」の成績がオール1。
この当時、愛知県高校入試の合格判定基準は、
内申書と当日の試験の割合が50%、50%でした。
当日の試験が100点だとしても、結果、高校入試の得点は50%となります。

つまり、ほぼどの高校も受かる可能性は少なく、
進学先の高校の選択肢は、限りなく狭まる、という意味でした。

「そんな、先生、頑張っても評価が1なんて・・・、
 なんとかならないんですか?」

「お母さん、そうはおっしゃいましても
 この評価だけはどうしても・・・」

この仕組みはここの中学校だけのものか、
より上位の方針、つまり、
市や県の教育委員会の方針なのかは、わかりません。

いずれに、この先生方に何かを訴えても事態は変わらない、
ということは察しました。

はあー、と深く息を吐いたわたしは、
ムスメを一瞬見ました。そして
ムスメの気持ちを代弁するつもりで言いました。

「先生、ご提案ありがとうございます。
 が、どのご提案も難しい気がします。

 ムスメは勉強がしたい気持ちはあって
 その環境を整えてくださることはありがたいのですが、

 彼女がどんなに頑張ったとしても、
 「1」の成績をあと1年半受け取り続ける現実を、
 彼女はどう受け入れればよいのでしょうか。

 いま彼女は自信をなくしている最中です。
 「1」をもらいつづけて、その自信が回復するのかというと、
 わたしは難しいのではないか、と思います。」

ムスメは下を向いたままでした。
わたしの伝えたことは、ムスメの意向におおむね沿っている、
という返答ととらえました。

先生は困惑した様子でした。
それに対するご提案は特にないようでした。

いったん結論はここでは出さず、
これにて帰ります、とお伝えすると、

今まで黙っていた担任の先生が、ムスメに対して
話しかけました。

「なあ、(ムスメの名前)、今度、体育祭があるんだ。
 いまみんなは、一生懸命練習をしているんだよ。

 体育祭当日、少しだけでも、見に来ないか?
 みんなから見えない場所から見たらいいから」

ずっと黙っていたムスメが、下を向いたまま
初めて口を開きました。

「運動会では 
 ”心をひとつに” というスローガンを掲げています。

 その一方で、いま学校には、いじめがあったり
 つらい思いをしている子がいます。

 実際は全然心をひとつにしようとしていません。

 言っていることと、やっていることが違うので
 行きたくありません」

ちいさな声でしたが、力がありました。

(そんなことを思ってたの???)
わたしが再度、目を見開いて彼女を見つめました。

この不登校に対する彼女の心の中の怒りが
はじめて見えたような気がしました。

担任の先生は、ぐっと黙ってしまいました。

わたしたちは、学校を後にしました。

ムスメに話しかけました。
「もう、この学校は、いいね。どう思う?」

ムスメは答えました。
「うん。もう行かない」

進路の選択肢が1つ減り、
その代わり、無限の可能性が目の前に広がった瞬間でした。


学校という組織は、素晴らしい組織です。
勉強も運動も学べ実践でき、
人間関係も学べる素晴らしい場所です。

学校組織そのものが良い・悪いと
論じるつもりは全くありません。

世の中には、いろんな組織があります。
学校も、会社も、町内会も。

いい組織、悪い組織があるのではなく、
合う組織、合わない組織があるのだと思います。

ムスメは、自分の価値観に合わない学校に
たまたま通っていたことに気づいた、ということです。

ムスメは、
「本音と建前」「理想と現実」
の裏表が存在する中で、
理想に近づこうと努力しない人々や、
本音を言い合える環境にならない現実に対し、
怒りを持っていたんだ、と思いました。

建前だけで「心をひとつに」は大いに結構。
運動会でクラス対抗で力をあわせるのも大いに結構。

それを日々の現実に、どう反映するか?
ひとりひとりの日常に、どう反映するか?

それが教育の役割だと思います。

教育現場は、特別な場ではなく、
日常であり、生活の一部です。

であればこそ、
その日常が自分に合わないと思ったら、
いまの「日常」がいつ変わるかと、待ち続けるよりも

自分の価値観に合った「日常」を過ごせる場所へ
ふらっと移りゆくのも、全然いい。

気持ちが、軽やかになりました。
ある種の「学校に対する正しさ」を、捨てた瞬間でした。

そうなんですよね。
「正しいか」「正しくないか」なんて
どうでもいい価値基準なのかもしれません。

あともうひとつ。
自分の思いを伝えることは、なんとかっこいいことか。
この日のムスメは、最高にかっこよかった。
完全に「表現者」でした。
しびれました。

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