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合格通知とタイミング

時は3月。
学校の合格発表のシーズンでしょうか。

第一志望へ合格した人、
おめでとうございます!

第一志望へ合格しなかった人、
残念でしたね。
第一志望合格を目指してこれまで頑張ってきたのだから
悔しさや悲しさが、こみあげてくると思います。

合格発表というものは
人生の岐路、ひとつの区切りでもあります。

その岐路は、
自分の希望通りに選択できる場合もあれば、
自分の希望とは異なる選択をせねばならないときもあります。

どんなに努力をしても、どうにもならない事もあります。

学力は努力の賜物でしょう!!という方もいますが
テスト当日の一発勝負で実力が十分に発揮できるか、というと、
そんなこともありません。

反対に、いままでE判定しか出なかった学校なのに
合格することもあります。

「もしも違う大学へ行ったら、わたしの人生もっとよくなるのかな」
なんて思うこともあるでしょう。
どの大学へ進むかは、大きな大きな選択です。


わたしのはじめての人生の岐路は、大学受験のときでした。

淡路島には大学がないので
進学希望の場合は、島の外に出て一人暮らしをするしかなく、
日本全国が進学先になりえます。
つまり、目の前に膨大な数の選択肢が登場する、ということ。
(高校は「遠いか・近いか」の2校しかなかったのに)

とはいえ、淡路島の高校生のおもな進学先は、
神戸・大阪・京都。あとは四国。近隣府県に偏っています。

東京や東北、北海道、九州など遠方への進学は、
ほとんどありませんでした。

わたしも、なんとなく神戸・大阪・京都の大学を希望していました。

そんな中、なぜか1つだけ、東京の大学に出願をしました。
関西の大学にしか興味がなかったので、
ろくに調べもしなかったため、
その大学は特に愛着もなく、むしろよく知りませんでした。

その東京の大学に受かっても、行く気はありませんでした。
いわゆる、東京見物・物見遊山の記念受験です。

まったく、いい気なもんです。
お父さんお母さん、散財させてしまいごめんなさい。


受験当日。
その当時は地方試験会場というものがほとんどなく、
どの大学も、現地の大学へ足を運ばねばなりませんでした。

わたしは、受験スケジュールを立て、
2月初旬に大きなボストンバッグをもって淡路島を出発しました。
関西圏の大学4校と、東京1校。

まずは大阪へ入り、
2月◯日、◯◯大学。
2月X日、XX大学。
次の日に京都へ移動して、
2月◇日、◇◇大学。
次の日に東京へ移動して、
2月△日、△△大学。
次の日に京都へ戻って、
2月□日、□□大学。
そして、淡路島へ帰島。
1週間ほどの受験ツアーです。

2週間ほどで、合格発表が続々と戻ってきました。
当時は、インターネット合否通知などはなく「電報」でした。

え、あれっ?
4つ受けた神戸大阪京都の大学のうち、
先んじて3つの電報が届き、
3つ、不合格でした。全部不合格。

まったく想定してない結果に、青ざめてきました。
不合格通知を立て続けに見ると、
わたしの人格そのものを否定された気分です。
(人格テストじゃないから、全く関係ないのですけどね!)

わたしは、非常に落ちこみました。

と、その時、
東京の大学から合否電報が届きました。
これが不意を突かれ「合格」だったのです。

とくに思い入れもなかった大学からの合格の知らせですが、
おあずけを食らったあとのごちそうは、いと美味し!です。
涙が出ました。

最後、京都の大学1つの合否電報は「合格」。

5つの大学を受け、2勝3敗、でした。

父に「2つ受かったー!」と報告に行くと
父はその合格通知をぽーいとゴミ箱に捨てて、

「あほー。まだ国立残っとるやないか。勉強せい」

あちゃー、そうでした。まだ受験残ってた。
国立大学が第一志望なんでした。


そんな国立はつるっとすべりまして、
進路は、京都か東京か、2択に絞られました。

そもそも関西圏へ進学するつもりだったので
まあ京都だろうな、とぼんやり思っていました。

が、なぜか決断できないのです。

高校へ行き、担任の先生に相談しました。

「え、受かったこの2つの大学、
 学部がぜんぜん違うやん。
 自分が勉強したい学部へ行くべきやろ」

そうなんです。学部が違うんです。
京都の大学は、工学部電気電子工学科。
東京の大学は、数学科。

でも、決められない。
学部の違いは、当時のわたしにとっては決め手にならなかった。

さらに困って向かったのは「進路指導室」。

出世コースを早々に諦めたおじいちゃんの先生たちが、
職員室を抜け出し、
お茶を片手に世間話をしているような空間でした。

職員室にいる先生が「タテマエの空間」ならば、
進路指導室にいる先生は「本音を聞ける空間」でした。

わたしは、進路指導室が大好きでした。

2つ受かりました、と報告すると、
「えっ!東京やん、東京の大学受かったんか!!」

東京へ進学する生徒は、全校生徒450人の中でも
毎年、2〜3人という高校ですから、珍しい出来事です。

おーいおーい、◯◯せんせいー、XXせんせいー、
(わたしの旧姓)が、東京の大学に受かったって!

と、いろんなおじいちゃん先生を呼び出したもんだから、
次々と先生たちが進路指導室へやってきて
すごいやんよかったやんおめでとう、と言ってくれました。

わたしは、
京都か東京か、どっちの大学へ行くか迷ってるんです。
と打ち明けると、
おじいちゃん先生たちはキョトンとした顔で、

「・・・そりゃ、東京に決まっとるやないかー!」
と口を揃えていいました。

「お前な、東京を若いうちに見てこい!」
「東京はすごいしでっかいぞー」
「芸能人も、いっぱい会えるかもしれへんわ!」
「実は食材は東京のほうが安いんやで。
 タイムセールいうてな、スーパーも6時から・・・」

ああーーーーわかったわかった!はいはい!
東京〜〜って言いたいだけでしょ、と
勝手に盛り上がる先生たちをたしなめます。

「でも、学部が全然違うんですよね〜」
と担任の先生に指摘された事を相談すると、

「そんなもん、勉強の面白さなんか、やって初めて気づくもんや」

そ、そうなんかな・・・うーむ。

先生たちが東京ネタでキャッキャと盛り上がる中、
現代文のおじいちゃん先生がかけてくれた言葉が
岐路に立つわたしの背中を、そっと押してくれました。

「淡路島の子は、ほとんどが京阪神の学校へ進学するわな。

 けどお前は
 そんな京阪神進学組の多数派とはちょっと違う、
 「東京の大学」という選択肢になぜか出会った。

 ひととは違う道が、目の前に現れた、ということは
 ひととは違う道に「縁がある」ということや。

 誰もが目の前に現れる道やないし、
 現れても、だれしもがそれを掴み取ることは、できひん。

 迷うということは、その大学、気になっとるんやろ?
 それは、お前にとって【運と縁に恵まれたタイミング】ということや。

 誰もが掴める道やないんやで」

そうか。心にひっかかるこの感覚は「ご縁」というものか。
わたしは「東京の大学」へ進路を決めました。


あとからわかった話。

◯◯大学は、1点、合格点に届かずでした。

◇◇大学は、合格点に10点、届かずでした。
「10点」という点差にわたしはあっと息をのみました。

テスト中、解答を全部埋めたのに、
なぜか全問消しゴムで消して白紙で出した大問がありました。
配点は「20点」。
予備校の試験解答速報で答え合わせをしたら、
その解答は、わたしが消しゴムで消した解答で合っていました。
消しゴムで消さなければ20点加算され、
合格点を超えていたことになります。

「もし・・・だったら」という仮定の話はヤボですが、
ほんのちょっとタイミングがずれていると
◯◯大学や◇◇大学に、合格していたかもしれないなと思いました。

でもわたしは合格通知をもらえなかった。

そして、まったく眼中になかった東京の大学からは
合格通知がもらえた。

「もしも◯◯大学に合格していたら」
わたしはどうなってたかしら、と、くよくよ想像してみたところで
そのほうが良かったかどうか、なんてわかりません。

この道は、どんな道であれ、
◯◯大学であれ、
◇◇大学であれ、
東京の大学であれ、
大学へ行かないという道であれ、

道は、いま歩いている一本しかない。

東京の大学はわたしに合格通知を送り、
それを受け取ったわたしは【運と縁に恵まれたタイミング】を感じ
導かれるように、一本の道を選び、歩いていく。

どういう道を歩くことになっても、
楽しいこともつらいこともあるでしょう。
そして、わたしにとって、そしてあなたにとって、
最善最良、ベストの道であることに間違いありません。

だって、道は一本しかないのですから。
他の選択肢と、比べようがありません。
人とも、比べようがありません。
過去とも、比べようがありません。

いろんなタイミングやご縁や運が絡み合い、選んだその道は
たとえ、はじめは希望しない選択肢だったとしても
必ず、わたしやあなたにとって、実り豊かな道となるでしょう。


その東京の大学は、正面に大きなメイン建物があります。
左右対称なその建物は、戦前につくられたもので、
クラシックな佇まい、キャメル色の壁面、赤いとんがり屋根。

この大学へ行こう、と決めた瞬間、
わたしは、この学校のメイン建物を思い出しました。

建物の前には、大きな松の木。
松の木の隣に立つわたしを、想像してみました。
わたし、松の木、キャメル色の建物、そして青い空。
「うん、悪くない」と思いました。


今おもうと、人生の岐路は
「どっちの道を選ぶか」よりも
「自分の意思で道を決められるか」が大事なんだろうと思います。

決める回数が多ければ多いほど、人生は豊かになるのでしょう。

この春、
新しい道へとすすむみなさまへ。
大学生になるみなさまへ。
社会人になるみなさまへ。
生きるステージを変えるみなさまへ。
そして、今ある道を引き続き歩くみなさまへ。

実り多き目の前の道を、楽しみましょう!
新しい選択肢に、目の前の道に、
乾杯!


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