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ムスメが不登校になった 3 学校に行かない日々

9月1日、学校に行かなくなって、
約1ヶ月間。
ムスメは、なんにもしない日々を過ごしました。

と言うと、
「お母さん、おおらかに見守って立派ですね、さすが」
などと感想をいただくのですが、

実体は、立派からは程遠く、
心の中では、余裕などあるはずもなく、
やきもきしていました。

本当にこのままで大丈夫なんだろうか。
学校の勉強は遅れてしまうし、
進学先のことも考えないといけない。

だけど、あの子が選べる選択肢と、出会えるのかしら。。。
という不安が押し寄せていたのも事実です。

最新の注意は払っていたつもりでしたが、
きっと、ムスメに対しての言葉や態度にも
そのイライラや心配は出てしまっていたと、思います。

・だいたい学生は、
 進学しよう!とか、ナントカ高校に行きたい!とかいう
 目標がなかったら、だめでしょ!?

・勉強は、学生の本分でしょ?
 目標を立てて、しっかり前に進んだ実感をもたないと。

今となっては笑っちゃいますが、
この当時は、まだそんなことを思っていました。

なので、おそらくムスメにも
「今日は何の ”勉強” をしたの?」という聞き方を
していた、と、思います。
ああいやな聞き方!!笑

勉強したくなるには、
その前に心や体が元気で健康じゃないと
勉強なんかできっこないですね。

今をどう生きるかに精一杯な子供に
「先の目標」なんて、もってのほか。

この当時のムスメに、勉強や目標のあれこれは
届かなかったでしょう。

それに、一番不安なのは、ムスメ本人。

当人ではないわたしが不安がって騒ぐのは、
まったく的外れな話です。

が、的外れな感情を持って過ごしていたことも、
これまた事実です。残念なことに。

ーーー

学校に行かなくなって、
ムスメは、最初は朝から晩まで、ずっと家にいました。
夜、仕事から帰るわたしと夫を待つ、という生活。

中学生が学校に行かず、外をフラフラすると
どこで何を言われるかわからないし、
そもそもひとりで外出する意欲も出ないようでした。

が、だんだん退屈になってきたのか、
出かけたいと言い出しました。

「お母さん、朝から図書館行っていい?」

当時、図書館が、不登校生がふらっと行く場所として
「いつでも来ていいんだよ」
という発信をテレビでも報道しはじめた頃でした。

「あーいいよ。行っといで」

そして、図書館と学校に、先に電話をしておきました。

 ムスメは、授業の時間帯に
 図書館に行くことがあるかもしれません。
 その際は、「あれ、中学校は?」とか言わずに
 そっと見守っていてください。
 これは、教育の一環として、ご協力をお願いします。

(よくこんなことが、スラっと言えたな、わたし!)

おかげでムスメは、外に出て図書館で過ごすことができました。

次にもっと退屈になったのか、
「お母さん、スーパーに行っていい?」

え、スーパー?
民間企業には、ちょっと協力してって言いづらいなあ。

ですが、学校に行かないだけで
お店に対して迷惑行為をするわけではない。

お客としてスーパーへ行くことに、なんの懸念がありましょうか。

「うん。スーパーもいいよ。
 お客として堂々と行っておいで。
 一切悪いことじゃないし。

 ただ、もし、誰かに
 中学校行ってないの?みたいなことを言われたら、
 すぐ、お母さんに連絡して」

学生に絶対遭遇しない、午前中を選んで
ムスメはスーパーへ行くことにしました。

おかげでムスメは、スーパーに行けるようになりました。
スーパーより大きい、ショッピングモールにも行くときもありました。

朝と夕方の客層は、違うねー!
品揃えも、全然違うねー!

なんてことをムスメは言っていました。

ランチ用のお弁当のラインナップも豊富。
朝スーパーは、ランチの質をぐっと向上してくれたことでしょう。

そんなある日、仕事場のわたしの携帯に
ムスメから電話がかかってきました。

「お母さん、晩ご飯のおかず、作っておこうか?
 これからスーパーに行くから、料理作っておく」

な、なんと!お料理を作る!?
しかも家族分の晩ご飯を!???

ムスメは、図書館でお料理の本を借りて、
いくつか美味しそうなメニューにふせんを貼っていたらしい。

わたしの回答は
二つ返事で「お願いします」。

ムスメは、朝からスーパーへ行き、
鶏のひき肉を5パック(多過ぎ!)と
里芋を買ってきて、

時間はたっぷりあるので
料理本をみながら、自分のペースでお料理をしました。

自分しかいないので、他の誰にも頼れないけれど、
自分で作りたいものを、作りたいだけ作れる、自由な時間。

夜、わたしが帰ってきたら、
炊き立てのご飯とスープ。

それに、朝から作った力作
「里芋のそぼろあんかけ煮」が食卓に並んでいました。

「なんで、里芋のそぼろ煮をつくったの?」
と聞くと、

「え、だって、美味しそうだったんだもん」

料理本の写真が美味しそうだったから、
が、理由。

里芋はよく味が染みて、
ホクホクに煮えていました。

里芋、皮をむくときヌルヌルするから
大変だったろうに。

鶏そぼろのあんかけは、やさしい味。
しょうがが効いていいアクセント。

それに、わたしと夫が喜ぶように、なのか、
そぼろあんは、お肉の量が多い!!

ムスメの思いやりがたっぷり詰まった
そぼろ煮。

そして、
自分でこれを作りたい、と思い立ち、
自分で買い物に出かけ、
自分で本をみながらお料理をし、
自分のペースで時間配分も決めて、
自分で献立も考えて用意し(焼き魚もあった)、

「お父さんとお母さんは、きっとお肉いっぱいの方が好きだろう」と
自分なりのアレンジも加え、

自分でやりたいことを全部やりきった
ムスメのその顔は、

ほどよい充足感の自信に満ち、
本当に、いい顔をしていました。

自分の人生は、自分で決めるという体験。
成功も、失敗も、すべて自分の宝物。

こういうことの積み重ねが
人生でいちばん大事なことなんだろうなあ。

本当に、あたたかい食卓でした。

それと同時に、不登校への漠然とした不安は
すこしずつ、溶けて小さくなっていきました。

そぼろ煮、本当においしかった。
お肉たっぷりだったし。わたし好み。

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