見出し画像

ムスメが不登校になった 2

中学校に行かない、と決めたムスメ。
中学2年の9月1日でした。

そのことを学校に伝えたあと、
わたしとムスメは、陽の高いうちから
昼寝をしました。

いや、むしろ、疲れて寝落ちした、という方が正しいでしょうか。

気づいたら、夕暮れ。
わたしは、夕飯づくりに取りかかりました。

夫が会社から帰ってきました。

夫は、このことに驚いてはいましたが
「そうか、大変だったな」とだけ。
好きにしたらいい、とムスメに言いました。

いつもの晩ご飯の時間を、
おだやかに過ごしました。

ーーー

ムスメの勉強机には、写真が飾ってありました。

その年の春に、志望高校の前で撮った写真。
校門には、高校名が刻まれていて
その横にムスメが立っていました。

ムスメが中学に行かなくなって数日経った後、
わたしは改めて、その写真を見ました。

志望校に立つムスメの顔は
なんとも言えない、緊張感のある顔をしていました。

このとき、もうすでに彼女は
「息をしていない顔」にみえました。

「あの子は、本当にこの高校に行きたかったのかな。。。」
ぐるぐる考えが頭を巡ります。

わたし自身は
ムスメが写真を飾り、
目標を掲げて勉強に励んでいることを、喜んでいました。

その一方彼女は、
自分の心に次々と浮かぶ、疑問、反発、思いを
ぐっと飲み込んで、

見えないスタンダードに
懸命に合わせようとしていたのかもしれません。

それが、あの顔だったのかも。

学校、友達、先輩後輩、塾、世間。
いろんな価値観の押し付け合いで
疲れていたのかなと思っていましたが、

親であるわたし自身が、
彼女を、
見えない無意識の力で
見えないスタンダードに押し込めようとしていたのかもしれない。

どうしようもない後悔と
どうしようもない自責の念にかられました。

しばらくぼんやりした後、決めました。

スタンダードを押し付ける親は、今日でさようなら。
世の中の常識を、捨てよう。
人はひとりひとり、ちがうのだから。

わたし自身が、
これまでの価値観をぽいっと捨て、

ものの見方が大きく変わりゆくのを
感じました。

「ああ、いまからがスタートだ」
わたしは少し、元気が出ました。

そして、高校で撮影したその写真を、
勉強机の本棚から、そっと下ろしました。

ーーー

中学校へ行かなくなってから
ムスメは家にいて、
わたしと夫は、仕事に出かける日々。

ムスメはひとりで家にいる間、
何をしていたのでしょう。
実はよくわかりません、笑。

わたしは、ムスメが昼間何をして過ごしているかは、
特に気に留めていませんでした。
テレビ見たよー、おやつたべたよー、
ふーん、そうなの、という感じ。

とにかく、起きたい時に起きて、
食べたいときに食べて、
眠りたいときに眠るという
自然のリズムを取り戻す大事なプロセスでした。

まだ13歳の子供に、
こんな辛い思いを背負わせてしまった。

とにかく、健やかに生きてほしい。

その一心でした。

本当は、わたしが家にいて、そばにいてあげたかったのですが、
仕事もあるので、それができませんでした。

なので、
お昼に必ず電話をするので、必ず応答するように
ムスメにお願いしました。

そして、お昼に何を食べるかを毎日ききました。

何のためって、生存確認です!笑

その当時は、仕事中も心ここにあらず。
心配で心配で、真剣に生存確認を目的として
毎日お昼ごはんの献立をヒアリングしていました。

ムスメは朝起きて、夜眠るという、
ハワイのカメハメハ大王のような生活を
約1ヶ月ほど、過ごしました。

後日談。
ムスメが当時を振り返って言うことには、

「お母さんいなくってのびのびできたよ。
 家にいたら、ぜったい何か小言を言いたくなるでしょう?
 ちょうどよかったわ!」

ですって、笑
子供というのは、意外と強いのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?