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美しい時間、幸せな日々

Time flies.

この言葉の通り、イスタンブールでの時間があっという間に過ぎようとしている。

一方で、前回の日記の最後に記された6.11という日付が、遠い昔のものにも感じる。

今、人生で一番幸せな時間を過ごしているのではないかと思う。

これまでも「今が一番幸せ」と思ってきたけれど、これまでの感覚とは質感が違う、もっと細やかで、網目の細かい生地のような、そしてとてもリアルな感覚だ。

数十分前まで、ベッドの中で夢を見ていた。映画か何かの撮影のために着物を着ていて、でも襟のところから中に来ている洋服が見えて困っていた。そんな話だった。

もう十分に寝たという感覚があり、ベッドを出た。

いつもはもっと寝ているパートナーも起き出した。7時前だが、彼も十分に寝た感覚があるのだろう。

この3ヶ月間、1ヶ月ごとに3つの家に暮らしてきたが、それぞれの家で見る夢の質感が違った。一つ目の家での夢はとにかく重かった。リアルという言い方もできる。夢の中での出来事が、夢と分かっていながらもとてもリアルで、朝から随分とエネルギーを使ったという感覚があった。

二つ目の家での夢は軽やかだった。他の家に比べて見た夢自体が少なかったようにも思う。

今の家での夢は長い。リアルだが、一つ目の家での夢ともまた違った質感だ。

夢というのは自分自身の無意識以上に集合的無意識につながっているのではないかと思う。場所によって、土地によって、そこに横たわる集合的無意識に違いがある。質感の違う夢たちからそんなことを考えていた。

そんなことを書いているそばに、小ぶりな茶色の鳩が二羽やってきて並んで毛繕いをしている。体の大きさと目の周りの色が若干違うのだが、つい数日前まで順番にやってくる彼らを一羽の鳩だと思い込んでいた。

この家の持ち主が鳩たちに餌をあげていたのか彼らは私たちを怖がることなく毎日バルコニーにやってくる。世話好きの彼も鳩たちに毎日餌をあげている。

ある日、バルコニーの横のダイニングスペースでパソコンを眺めている彼の横に鳩が来て、彼が「Pigeon(鳩)」と話しかけている姿を目にした。

美しい時間だった。

イズミルの人たち以上に、イスタンブールの人たちは猫が大好きだ。


若い男性が子猫を可愛がる姿も何度も目にした。
猫を見るときの目は、皆優しく穏やかだ。

都会の中でも自由に生きる猫たちに自分の人生を重ね合わせているのかもしれない。

そんな中で毎日を過ごしているせいか、(いや、きっとそれは理由付けにすぎないだろう)ここのところめっきり成長や変容に関する関心は減ってきている。

シンプルに今日を生きる。楽しむ。少なくとも今の私にとってはそれで十分幸せなのだ。何かを目指さなくてもいい。何かを成さなくてもいい。

そんな想いと、行いをさらに一致させていきたいという感覚がある。

そうするともっと、取り組んでいることを手放していくことになるだろうか。

まずはあと3日間のイスタンブールでの時間を存分に味わいたい。2021.6.25 Fri 7:31 Istanbul そう言えば、昨晩の満月は随分とオレンジ色だった。

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