ひとりでは出会えないシャドウ、「いなかった自分」に出会うとき
「Does your mother have no time for you?」
一緒に暮らしているオランダ人のパートナーにそう聞かれたのは、母への電話を切ってから5分ほどしてからのことだった。
延長の申請をしていたオランダの個人事業主のビザについて5年間の延長が認められたことを告げる手紙を受け取ったことを両親にメッセージで知らせようと思っていたところ、「電話しないの?」と聞かれたのが昨日。
「これまでは年に1度くらいしか電話をしなかったからきっとビックリすると思うよ」と返事をしたところ「きっと喜ぶと思うよ。僕もあなたが電話をしたら嬉しい」と言われ電話をかけることにした。
それを今日にはすっかり忘れていたのだが、「ハッ!」と思い出したのがちょうど日本では夕飯は終わっているだろうと思われる時間だったので、「お母さんに電話するね」と彼に一声かけてLINE電話をかけた。
長いコールの後出た母が何かあったのかと言うような怪訝な声をしているので「今大丈夫?」と聞くと「今日は○○で今ごはんを食べているから、1時間後くらいにかけていい?」という言葉が帰ってくる。
「大丈夫だよ」と返事をし、心配をかけてもいけないので「ビザが更新されることが決まったからそれを伝えようと思って。あとそちらの近況も聞けたらいいなと思って」とつけ加えた。
言っていることが一部聞こえなかったけれど、夕飯を食べているなら仕方がないと電話を切り、しばらくすると、リビングにいた彼が「電話はどうだったのか」と聞いてくるので、「今夕飯を食べてるんだって」と返事をした。
そこで返ってきたのが、先ほどの質問だ。
「あなたのお母さんはあなたと話す時間がないの?」
少し悲しそうな顔をして聞いてくる彼に、「ごはんを食べてるのなら仕方ないし、1時間後にかけるって」と言うと、「ごはんを食べていてもビデオコールで話せばいいじゃない」という言葉が返ってくる。
確かに、彼は昨日、入院先で食事中のお父さんと、自宅にいるお姉さんと3人でビデオコールをしていて、それに私も顔を出したのだが、我が家にはビデオコールの習慣も、そもそも電話を頻繁にする習慣もない。
それでも電話をすると母はよく喋る。(よく聞くなあとも思うがよく喋る)
年末にも「電話をしたら喜ぶと思う」と言われ、久しぶりに母親に電話をしたのだが、案の定、あれやこれやと近況の話が始まり、気づけばあっという間に1時間くらい時間が経っていた。
小さな頃から独立心の強かった私を気遣ってか、大学生で一人暮らしを始めて以降、よっぽどのことがないと親から電話がかかってくることはなかったし、私からも年に一度連絡をすれば良い方、なんてときもあった。
それは3年半前に欧州に渡ってからも同じだ。
「『あなたと話す時間がない』というほど深刻なことではない」と思い、パソコンの前の椅子に戻り、向き合っていたことを再開したが、そのとき、知らない感覚がからだの中にあることに気づいた。
微かな、ほんとうに微かな感覚。これまで体験したことがない感覚。
「ああ…」
すっと霧が晴れていくように、同時に小雨が静かに降り出すように、これまで知らなかった物語が現れてきた。
私には「自分のことを一番に優先してほしい」という欲求を感じた体験が、正確には、それを受け取ってもらって、表現してもらって、「自分の中そんな欲求があるのだ」と認めた経験がなかったのだ。
ちょうど明日、シャドウに関する勉強会の2回目で、「受け止められることのなかった感情や欲求は、自分でもそれが何かを認識できないままなかったことになっていく」という話をするところだった。
シャドウとは居場所をなくした自分の一部だが、多くの場合、一度もしくは何度か感じたり表現をした感情や欲求が、「不要なもの」「自分の存在を脅かすもの」として押し込められた結果生まれている。
それらは自分の中に存在したことがある欲求や感情なので何かのプロセスを経てそれに気づくことができるが、認識する機会さえなかった感情や欲求は始めから「欠落」しているような状態であり自分で見つけることは難しい。
ではどうやって関わったらいいか。
勉強会でちょうどそんな話をするところだった。
そこにやってきた、見知らぬ感覚。
懐かしささえない。
そんな感覚があったのかと戸惑いさえ覚える感覚。
そのおおもとにある感情や欲求は推測をするしかないが、これまで経験してきたいろいろなことが、パズルのピースのようにつながっていく。
結婚していた夫の家族に初めに会ったときに感じた、その正体の分からない、異質な感覚。
そして、離婚したいという話を切り出されたときに言われた言葉たち。
あのとき彼はきっと「自分のことを一番に考えてほしい」と言いたかったのだ。
でもそのときの私には、どんなに頑張っても、たとえ、彼が直接その言葉を口にしていたとしても、その意味が分からなかっただろう。
何せ自分がそんな欲求を認識したことがなかったのだから。
私の中に、微かな感覚として生まれたことは少なからずあったであろうその欲求を、小さな頃一番身近にいた母はなぜ受け止めることがなかったのか。
それは母自身がそんな感覚を受け止められた経験がなかったからだと想像する。
日本舞踊の師範をしていた祖父に母は厳しく育てられ、薬局を営んでいた祖母は忙しかったと聞いている。
兄がいて、その下に自分がいるという関係は私も同じで、それは兄と妹がいる父とも同じである。
終戦直後という時代背景からも母や父の親(祖父母)たちが懸命に日々を生きていたということは容易に想像ができる。
「自分のことを一番に優先してほしい」
そんな気持ちの居場所はきっと最初から母の中に(もしかしたら祖母の中にも)なかったのだろう。
承認欲求と呼ばれる欲求や気にかけてほしいという欲求、一見、似たような欲求は居場所があるにしろないにしろ存在したことはあったのだけれど、この欲求に関しては本当にこれまでずっと「なかった」のだ。
自由であること、自由に表現することについては母の中で意識に近いところで強い欲求があったことの影響からか、惜しみなくその機会を与えられてきた。
しかし、自分の中に感じたことさえないものは、受け止めることも、与えることもできないのだ。
そんなことに気づいてしまって、戸惑いながら目の前の作業を続けていたが、あたらしい感覚とともにそのまま居続けることが、どうにもこうにもできなくて、彼が日本語の勉強をしている書斎を覗いた。
パソコンを見つめたままだが、私の気配に気づき、おいでとヒラヒラと手の平を振ってくる。
椅子の隣に立つと、いつものように、ここにどうぞと左足の膝を叩くので、膝に腰掛ける。肩に両手を回して抱きしめると、同じように、何も言わずに抱擁が返ってくる。
身体感覚が鋭くて、私の心やエネルギーの状態をすぐに察する彼のことだから、私が何か感じているのが分かったのだろう。
しばらく日本語の教科書に載っている内容について話をしていると、LINE電話がかかってきた音が聞こえた。
「お母さんから電話がかかってきたみたい」と告げると彼は「良かった!」と屈託のない顔で笑い、私はパソコンの前に戻り、立ち上げていたLINEで電話を掛け直した。
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自分の中にずっとなかったものは、自分と向き合うだけでは見つけることができない。
誰かとの関係性の中で突然に、もしくはだんだんと出会い、経験し、「そこにあったはずのもの」を、ゆっくりと抱きしめていくことになる。
今までないということにさえ気づいていないものが「なかった」ということに気づくのだから、そこに生まれる感覚と向き合うために、小さな子どものように、そろりそろりと踏み出していくことになる。
何せ、初めて出会うものだ。
お互いのことを知って、良い関係をつくっていくのに時間もかかるだろう。
そこに葛藤や苦しみもあるかもしれない。
「気づかなければよかった」と思うこともあるかもしれない。
でも、今こうしてこの感覚に出会ったというのはきっと、宇宙からのギフトなのだ。
ひとりでは決して出会うことのなかったものに出会う。
ともに体験をしていく。
そうしなさいということなのだろう。
「What can I do for you?」
外出から帰ってきたときに、ディナーを終えたときに、たびたび半分冗談めかしながらも言われるその言葉を聞くときに感じる、嬉しさともまた違う不思議な感覚も、行き場のない感情が消えていくときに発する微かな音の名残だったのだろう。
何者かも分からない、ただ「あたらしい感覚」だったものを、今は少し、こそばゆく感じている。
2021.01.20 Wed 21:53 Den Haag
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