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お湯のあたたかさを保つために必要なことと組織開発


窓の外に広がった青空を見て、ほっとしている。6時頃目覚めたときにはまだ外は暗くて「いよいよこの季節がやってきたのか」と思った。

つい二週間ほど前は毎日「暑い」ということばかりを日記に書いていたと思うが、今度は「暗い」「寒い」ばかりになるだろうか。半袖やノースリーブのワンピースにカーディガンを羽織ってもまだ寒く、もうシャツは長袖となり、さらにその上に一枚羽織りものをしている。数日前にフローニンゲンに住む友人が日記の中で現在の気温は日本の11月ごろに相当するというようなことを書いていたが、調べてみると確かにそうで、「ということはもう冬物の上着を羽織ってもおかしくはないだろうか」などということを考えたりもした。実際、自転車に乗っている人には日本では秋以降に見られるジャケットのようなものを来ている人もいる。(相変わらず薄着の人もいるのだが。)

身体についてはここからどんどんと変化が起こっていくだろう。おそらく女性特有の変化や変動なども大いにあるのだと想像する。食生活や運動で補うことはもちろんだが、そもそももっと身体のことを知る必要があるかもしれない。たとえば40代というのは「これまでとは全く違う国で暮らす」というくらい違うのかもしれない。そう思うと、身を置く場所は変わらなくても、日々の暮らしが旅のようにも思えてくる。まだ知らない自分と出会い続ける。そんな風に旅を楽しむことができるように、揺らぎを前提としたスケジューリングにするのが望ましいだろう。「寝る間を惜しんで働く」というのは、30代前半くらいまでできるライフスタイルだったのだというのが今になって分かるし、そんな風にして働いて、身体を壊すという経験をして良かったとも思う。当時はまだそれでも持ち直すことができたが、今同じようなことをしたら回復することも大変だろう。

今日は朝、湯を沸かそうとしたらケトルでは上手くIHが作動しなかった。ケトルの底面の大きさがIHの加熱機能がある部分よりもひと回り小さいためだろうかとも思うが、それでも昨日まではIHにケトルをのせて湯を沸かすことができたのでなぜ今日になってそれができなかというのが不思議でならない。

首をかしげたところでどうにもならないので、小さな鍋に水を入れ、湯を沸かすことにした。沸いた湯を、柄杓ですくって小さな煎茶椀に注ぐ。久しぶりに柄杓を使ったが、日本にいた最後の年は一年以上、ほぼ毎日お茶を淹れていたためか、柄杓の使い方を身体が覚えており、考えるより先に手が動いた。身体が拡張する。そんな感覚があった。

それでも小さな煎茶椀に湯を注ぐ途中で少し湯がこぼれ、その様子を見て自分の心がまだ定まりきれていないことを感じた。

こうして思い返すと、改めてお茶を淹れるというのは心を知るのにとても良い時間だと感じる。知るとともに、自然に鎮まってゆく。できれば寒い日はいつも御釜に湯を沸かしておいて、1日に何度か静かにお茶を淹れたい。さらに炭で御釜をあたためることができたら…これほど美しい時間はないだろう。

ゆっくりと沸かした湯は冷めにくいというのは、中国茶の先生に習ってからしばしば口にしていることだが、最近電気コンロが壊れ、IHで湯を沸かすようになって感じるのは、「熱する側があたたまっている」というのも、熱せられた側のあたたかさが続くために重要だということだ。

例えば電気コンロは、電気コンロそのものがあたたまりケトルとその中にある湯をあたためる。そしてコンロのスイッチを切ってもコンロはかなりの時間、あたたかさが続く。御釜も同様で、中に入っている水をあたためるプロセスで、まず御釜があたたまる。だから、沸いた湯のあたたかさが続く。しかしIHの場合は、表面が多少あたたかくなるがあっという間に冷めていく。そうすると、沸いた湯もあっという間に冷めていくのだ。

これは当たり前と言えば当たり前なのだが、企業や組織で何かを取り組もうというときにも同じようなことが起こっているように思う。上司が部下にコーチングをしましょうという取り組みでは、「部下の主体性を上げる」ということが目的になっていたりするが、上司の方があたたまっていないのだ。肝心なのは、実は上司の側である。今の仕事の中で何か実現したいことがある。そして仲間と共にそれを実現したいと思っている。もしくは、他者が持っている力を発揮することを後押ししたいと思っている。そんな想いがあってこそ、他者をあたためることができるのであって、表面的なスキルだけ学んで他者と関わることは、電気的な仕組みとして水をあたためることはできるものの、スイッチを切ればあっという間に沸いた湯が冷めてしまうIHと変わらないだろう。

企業も、企業にプログラムを提供する側も、「瞬間湯沸かし器」のような取り組みに多くを期待しすぎてないだろうか。湯は、一度沸けば当分冷めることはないなどと思ってはいないだろうか。

翻って他者と関わる自分はどうだろうと考える。時間を共にするそのとき、交わす言葉だけでなく、あたたかさや抱擁とともにあれているだろうか。自分自身の質感を感じ直している。2020.8.28 Fri 8:30 Den Haag

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